閉じる


第一章 少年

試し読みできます

第一章 少年 1

「ん...ううん...」

 暖かい春の陽射しに呼応するかのように、少年は休眠状態から目を覚ました。

 彼の巣の外は、つい先月まで雪に覆われていたことが嘘のように、色とりどりの花が咲き乱れ、夏毛に生え替わった野生のカンガルーウサギが跳びはね、ヒト族の家畜として飼育されているケナガオオネズミの幼体が母ネズミに乳をねだっている。その他にも、数多くの動植物が、短い夏季を精一杯に謳歌している。

 少年は、この巣に一匹で暮らしている。少年の父親は、彼が幼体の頃に、二匹のハンター族と一匹のドワーフ族と共にパーティを組んで東方に旅立ち、そのまま音信不通となっている。『ミズガルズ・オンライン』の世界には、「セマホール」と呼ばれる情報伝達システムが整備されている。しかし、どんなに優れた通信システムがあったとしても、情報を発信する者がいないのならば、それらは無きにも等しい。おそらく少年の父も、家族との絆を完全に断ち切るために「セマホール」の利用を拒み、今なお東方を彷徨っているのだろう(あるいは、もう既に全てのライフポイントを使い切って、ゲームからログアウトしたか)。

 一方、少年の母親は、父親が旅に出て暫くして悪質なウイルスに感染し、ゲーム運営の間接代理人たる「シシル陸島政府」の手によって強制ログアウトされている。つまり、少年は両親のいない天涯孤独の身なのである。

 尤も、『ミズガルズ・オンライン』では、種族を問わず乳離れした幼体のアバターは、全て寄宿巣に入れられて教育を受けることになっている。少年も例外ではなく、昨年まで寄宿巣で暮らしていたため、両親がいなくとも「寂しい」と感じたことはない。

 彼が現在の巣を手に入れたのは、寄宿巣時代に始めた稼業が軌道に乗り、充分な蓄財が出来てからである。木造で、部屋は寝室とリビングの二部屋、そして離れのトイレ、これが彼の巣の全てである。この巣には以前、グール族のつがいが棲んでいたが、二匹ともゲームからログアウトしてからは、永らく空き巣となっていた。その巣を、少年がこれまで貯めて来た200ポイントの銀貨をはたいて買い取ったわけである。

 それはさて措くとして...。

(ああ~...よく休眠した。何時もながら永く休眠した後は気持ちいいな~)

 少年はそう思いながら、寝室からリビングへと抜けるドアを開ける。ところが、その途端、彼の顔色は一変した。

 入口は斧のようなもので無残に破壊され、テーブルも椅子も、そして少年が趣味で蒐集していた『青狸の冒険』のパピルス製絵本321巻も、その他室内のあらゆるものが無くなっていた。

「ああ~、しまった!休眠前に全資産を質に入れて凍結しておくべきだった!」

 彼はそう叫んで悔しがったが、すぐに考えを切り替える。なにぶん、少年には銀行預金もまだ充分にある。一巻につき銅貨10ポイント分の『青狸の冒険』の絵本などは、大きな市場に出掛ければ、すぐに買い戻せるだろう。

(それにしても僕のコレクションを盗むなんて、どんな不埒な輩だろう?もしかして、「マフィ」の一味の仕業かな?)

「マフィ」とは、少年の棲むシシル陸島を本拠地として、『ミズガルズ・オンライン』世界の各地にネットワークを展開している犯罪組織である。しかし、「マフィ」ならば、営利誘拐で資産家から金品のポイントやレアアイテムを奪い取る、麻薬性プログラムを密売するなど、大胆かつスケールの大きな犯罪で荒稼ぎを行う印象がある。安価なパピルス絵本を盗み出すという、コソ泥のようなチンケな犯罪をやらかすようでは、「マフィ」の沽券にもかかわるだろう。やはり「マフィ」とは無関係の、単なるチンピラ窃盗団一味の仕業と考えるのが妥当のようである。

(まあ、取りあえず、カリーニンとニルスとウォルフの三匹に久しぶりに顔を見せに行こう...)

 カリーニン・ニルス・ウォルフの三匹は、少年とは旧知のアバターたちである。三匹それぞれ種族が異なり、少年はいつか、彼らとパーティを組んで旅に出たい、と常々思っている。

 ともあれ、少年は久しぶりに巣から外に出る。

「ああ...陽の光が気持ちいいなあ...これほどまでに人間の五感を忠実に再現してくれるから、『ミズガルズ・オンライン』は止められないんだよ...」

 少年はそう独り言をつぶやき、三匹のアバターがいつも集う、村はずれのトネリコの古木へと歩んで行く。

 

 ちなみに『ミズガルズ・オンライン』の世界では、アバターの中で、リアル世界の自分のユーザーが何者なのか、そしてゲームを運営している存在が何者なのかを知る者は、一匹もいない。少年もまた、例外ではない。アバターたちに分かっているのは、彼ら彼女らが休眠状態の時に、リアル世界のユーザーがゲームから離れて活動している、ということである。このオンラインゲームは、そのような仕様になっている。尤も、それに不満を持つアバターの中には、自らのユーザーの正体を暴こうとする者も、少なからず存在するそうだが...。


試し読みできます

2

 さて、少年とは旧知のアバターたちであるが、今日もトネリコの古木の根元で他愛ない会話に花を咲かせている。

「...ところでサ、カリーニン、お前、鏃に毒の唾を塗りたくって狩りをするけど、自分の毒には中らないのか?」

 屈強そうなヒト族の若者・ウォルフが訊く。

 それに対してカルストマツテンほどの大きさのハンター族の少女・カリーニンが応える。

「そりゃ当り前じゃない。フグが自分の毒でデリートしないのと理屈は同じよ」

「それ、『青狸の冒険』に出てきた有名な問答だから」

 雪のような純白の毛髪を生やしたトロル族の巨人・ニルスがツッコミを入れる。

「にしてもウォルフ、あんたの親父さんとお袋さんってパン職人だけど、ウォルフはどうして傭兵になったの?」

 カリーニンが話題を変える。

「だって俺はチマチマとパン生地を捏ねたり、レンバスを焼いたりするのが嫌なんだよ。それに、悪徳地主の手先になって得物を振り回す『マフィ』共より、貴族に忠誠を誓って剣を手に取って戦う傭兵の方が、はるかにカッコイイだろ?」

「レンバス」とは、エルフ族の幼体の餌になる携帯食のことである。彼らは、幼体の時期は他の種族同様、ハイヒールイノシシの腸詰でも、フリルトカゲの卵のオムレットでも、野菜スープでも何でも口にするが、成体になると、身体の維持に必要な栄養素のみを凝縮したレンバスを一日にたったの一欠片、及び水のみしか摂らなくなる。それはさて措くとしてニルスは思う。

(悪徳地主の手先になる「マフィ」も貴族に忠誠を誓う「傭兵」も、どっちも同じようなものだと思うが...)

 そう、雇い主が「悪徳地主」か「貴族」かの違いだけで、「マフィ」「傭兵」の両者とも、所詮は「用心棒」でしかない。尤も、傭兵志願の若者が100匹いたとしても、そのことに気付く者は、ほんの4~5匹程度だろうが。

「しかし傭兵をやっていると、生傷が絶えないんだよなー。ケガをする度に痛い思いをするし...。『ミズガルズ・オンライン』で嫌なのは『痛さ』だの『寒さ』だの『疲労』だのまでリアルに忠実に再現するトコなんだよ。こないだの冬だって物凄い寒さだったし...」

 ウォルフがゲームに対する不満をこぼす。

「俺は『春の陽気』と『夏の暑さ』の方が大嫌いだ」ニルスが吐き棄てるように言う。「トロル族は元々寒冷地に適応した種族だ。それなのに、俺の祖父さんと祖母さんが北方氷原を出て、この大塩海に孤立するシシル陸島に移住しちまったモンだから...。こないだの大寒波の時は、俺はむしろ大喜びしたぜ」

「あ、そうだ!暖かくなったことだし、そろそろあいつに会えるんじゃないのか?」

 ウォルフが思い出す。

「あいつって...ああ、イスカリオテのことか!」

 ニルスも呼応する。

「イスカリオテに会うのは半年ぶりになるわね...って、噂をすれば何とやら、だわ!あそこにいるのはイスカリオテじゃない?」

 カリーニンが街道を歩いてくる人影を発見して言う。それを確認してウォルフも反応する。

「本当だ。おーい!イスカリオテ!!半年ぶりだな!!!」

「カリーニン!ニルス!ウォルフ!みんな、元気そうで何よりだよ!!」

 少年――イスカリオテ(コードナンバー:E-SPPI-5071940-1007)も、手を振って三匹のアバターたちに応える。