目次
ー 序 ー
夜桜に見惚れる
魅入り見入られ
彼の名は
シャッターと天本社長
清水恵流(しみずめぐる)
いざ、再会
アヤ
アイス屋参謀
仔リス系女子
清水恵流
掴む
恵流とアヤ
木暮優馬の息抜き
木暮優馬の溜め息
わんぱくな31歳
陽と優馬
落款
2組の恋人たち
回想
鈍感と天然
天然の所業
刹那のサイクリング
共同作業
ホムセンで凱旋
長い一日
駐輪場にて
陽と優馬のお買い物
花火大会
花火の後
悪魔バージョン降臨
湖と月の妖精
ガーデンパーティーとマヌガッさん
宴の終わり
優馬の暗躍
初耳なんですけど
取材後、車内にて
取材後、木暮家にて
掲載記事
ノリノリな人達
美術部顧問 大友政直
恩師の思い
天本良治
陽くん、お仕事です
大人のやり口
苦行へのご褒美
ざわめき
トリガー
深夜の電話
初めてのクリスマス
扉の向こう
神々の壁
昔の話
気になるもの
来訪者
宣戦布告
陽と恵流のお正月
リニューアルオープン
駆け引き
皿上の攻防
負ぶわれる理由
画商の目
舞踏家との出会い
五島武一
武道家の追想
開演前
舞踏家と画家
恵流、焦げ付く朝
パーティーの前日に
五島さんのおしごと
アヤとチューハイと夢占い
フラッシュバック
ふたりは今日も楽しそうです
ふたりは今日も仲良しです
天本夫妻の心配事
激しく動くもの
アヤ、昔語り
アヤ、寝耳に水
衝撃の悲劇
恵流の選択
恵流の意地
恵流の回想
優馬来訪
スパルタン優馬
クリスマスコンサート
音と映像
怒涛
感性と本能の人
そのくせ、妙に律儀だったり
陽の年末年始
画家と音楽家
栞 (心の声を混じえてお送りします)
真相
お別れ
顛末
強制夏季休暇
異国の風
五島さんは心配性
夏の夜に咲く
夏蓮の本領
波紋の一滴
月光のバルコニー
月とアポロン
籠絡の朝
扱い方指南
急転直下
頭上で交わされる戦略
任しとけ
なし崩し成立
譲れない条件
それぞれの理由
倉庫改装中
胸の炎
せめてもの
恩師 大友
ブラックホール
夏蓮の色
宴の翌日
五島の懸念
夏蓮の恋慕
午後の来客
渡辺博己の告白
広がりゆく世界
おまじない
お絵描き仙人はマイペース
ギャラリーにて思う
五島武一、毒を吐く
律儀で生意気、ちょっと天然
準備万端
渡辺博己の願望
貫かれる
この世界
揺れ動く
若きワタナベの悩み
続・ワタナベの悩み
脱? ワタナベの悩み
夏蓮の告げ口
アウトプット
動揺
五島の懸念、再び
ちょっとした違和感
掲載記事2
強制じゃない夏季休暇
天翔ける不死鳥を
妖怪甘党ジジイ
冷たい湖底
悪い夢
残酷な告知
飲み込めぬ現実
激情
陽の覚悟
菅沼の不安
ジレンマ
連鎖
異変
中原探偵社
あの日の回想
不気味な仮説
報告書
手紙
台風が近づいている
台風襲来
対峙
特性、力、対価
封印
優馬の後悔
陽、眼前の悪夢
五島の失敗
陽、為す術もなく
栞、病院へ
夏蓮、覚醒
最後の更新
あの日。陽の回想
邂逅。陽の回想
悪魔と呼ぶのなら。陽の回想
放送開始
儀式
生贄
放送終了
後ろ姿
苛立ち
懺悔
限られた時間
夏蓮の確信
夏蓮の回想と、決意
運命の恋人
想い
時は過ぎて
友達
ホムセンのアヤ
あの場所で
ここから
おまけの話
おまけの物語 1/4
おまけの物語 2/4
おまけの物語 3/4
おまけの物語 4/4

閉じる


ー 序 ー


 先ず、月が在った。

 星の無い空にぽっかりと浮かぶその満月は、曖昧な陰影をたたえ煌々と闇を照らしていた。


 次に、雲が流れた。

 うっすらとたなびくすじ雲は、月の光を遮ることをしない。気高く光る月を護るように、もしくは支えるように夜空を横切っている。



 そして、樹が現れた。

 空中から突如として伸びだした枝は、はじめ、夜空を割るひびの様に見えた。
しかしそれは次第に大きく育ち、夜空の多くの部分を覆うまでになった。幹を太くし根を生やした。



 大樹の傍らに、泉が湧いた。

 清らかな水には暗い空と明るい月、薄い雲と枝葉の影が上下を反転して映っている。控えめに輝く静かな波紋によって少し歪んだ逆さまの世界が、風景に神秘性を添えていた。



 大樹の根元には、花が咲いた。

 力強く伸びた茎の先に、燃えるような紅の花。泉のほとりに咲くその大輪の花は、暗闇に踊る炎を思わせた。




 とある夜の、とある場所。


 全ては、ここから始まった。




夜桜に見惚れる


「へえ。こんなんなったんだ・・・」


木暮優馬は仕事の疲れも忘れ、その絵に見入っていた。

街中の一角にある、小さな工房。看板には、『天本 木工房』と書かれている。

その隣、軽トラ一台がギリギリ納まる駐車スペースの奥に隣接された資材置き場のシャッターに、それは描かれていたのだった。


月夜の桜吹雪の絵。

シャッターの右上には人や車が通ると点灯する照明が設置されており、闇の中に絵を照らし出す。
照明は上手く隠されてあるため、まるで絵の中の月が風景を照らしているかのような効果をもたらしている。

満月の下側をうっすらと隠す薄雲が良いアクセントになっていた。

左端に描かれた桜の樹は、銀色の月に向かって手を差し伸べるように枝を伸ばしている。
枝にはほんのりと薄桃色の桜の花が咲き誇り、強い風にキラキラとした花びらを舞い散らせる。景色を映す湖面には散り落ちた花びらがたゆたっている。

月にかかった雲と桜吹雪が風の動きを上手く表している、と彼は思う。

そして、木陰の草地に咲く紅い花。
風になど負けはしないと背筋を伸ばしているようで、凛とした生命力が感じられる。
遠くから見ると、花の紅色が闇にぼうっと浮かぶ炎の様にも見え、ほんの少し恐ろしくも感じる。

桜の樹はおそらく、地面から三分の二程までしか描かれていない。
そのため、自分が地面に座って夜桜を見上げている様に感じるのだった。




脚立に登り一心不乱にシャッターを塗りつぶしている青年を見かけたのは、確か二週間程も前だったろうか。

汚れた作業着の袖をまくり、頭にはタオルを巻き、両手に軍手を着け黙々と刷毛をふるっていたその青年は、そのひたむきな眼差しのせいだろうか、二十歳を越えたばかりぐらいに見えた。


珍しく仕事が早く終わり、たまにはゆっくり風呂に浸かろうかなどと考えながら歩いていた時に、チラリと見かけただけの光景だった。

だが、その青年の真剣な眼差しが非常に印象的で、木暮優馬の心の片隅にずっと残っていたのだ。
とは言え、今こうしてそのシャッター絵を見るまでは、その光景が心に残っていたことにすら気付かなかったのだが。

青年はその時、平凡な薄灰色のシャッターを真っ黒に塗りつぶしているだけだった。
なのに、額の汗を拭う合間にも、ローラーと刷毛を持ち替える瞬間にも、シャッターから片時も視線を外さなかった。射抜くような、強く鋭い視線。




今、完成した絵を眺めて思う。

彼にはあの時既に、完成した絵が見えていたのではないだろうか。
真っ黒に塗りつぶされたシャッターの上に、ありありと。


イメージしたものを形にする才能。
それを見事に実現させる情熱。
そして何より、疑いなく真っ直ぐに自分の力を信じる若さを思い、木暮優馬は密かに嘆息した。

その場から動くことが出来ず、馬鹿みたいにうっすらと口を開けたまま、ただただその絵を見上げていた。


そのシャッターの真上、二階の窓の端から、件の青年が自分を見下ろしていることにも気付かずに。

 

 

 

 


魅入り見入られ



木暮優馬が彼を見つけたのは、偶然だった。


珍しく休みの合った日曜、優馬は恋人の神崎栞と久々のデートを楽しんでいた。
昼食のあと話題の映画を見て、感想など語り合いながら大きな公園を散歩している時だった。

数人の若い女性達が、何やらキャッキャと騒いでいるのでふとそちらを見やると、そこに彼がいた。

池の側の芝生にレジャーシートを敷き簡素なアウトドア用の折り畳み椅子に座った彼が、絵を描いていたのだ。
今日は頭にタオルこそ巻いていなかったが、後頭部で一つに括ったヘアスタイルは見紛いようもなかった。


彼の正面には、同じく折り畳み椅子に腰掛けた若い女性がふたり。
友人同士だろうか、椅子をぴったりと寄せあって座り、時おりクスクス笑いながら絵のモデルとなっている。

レジャーシートの上には数枚の絵が並べられ、「絵 1点1000円」「似顔絵 1点1500円(2名まで)」との表示がある。
カップルやベビーカーを押した夫婦等が通りすがりにしばし足を止め、それらを眺めていた。

彼は真剣な眼差しでモデル達を見つめ、せっせと筆を動かしている。
が、その表情は、以前見かけた時よりもずっと柔らかなものだった。



「なあ、ちょっと見て行かない?」
「あら、似顔絵屋さん?この公園では初めて見たわ」

ぴょんぴょんと跳ねるような足取りで池の方へ向かう栞の後ろ姿を見て、木暮優馬は頬を緩めた。
看護師という仕事柄か、普段はクールでテキパキとした女性という印象が強い彼女だが、実は好奇心旺盛で、面白そうなものを見つけると、いつもああやってすっ飛んで行ってしまう女性なのだ。

早くも他の客の背後から背伸びして絵を覗き込んでいる。比較的長身なうえにヒールを履いているので、あの位置からでも見えるらしい。
片足ずつ重心をずらして覗き込む度に、ストレートの黒髪が背中で揺れる。


「優馬!こっちこっち!」

振り返った顔は、お気に入りを見つけた時のいつもの表情だ。嬉し気にパッと輝き、瞳をキラキラさせている。
非常にわかり易い。わかり易すぎて、優馬はいつも吹き出すのを堪えることになる。


「こっちこっち、って‥‥オレが見つけたんですけどぉ」

弱々しい抗議など一顧だにせずヒラヒラと手招きしていた手が、こちらへ伸びて来た。
応えて右手を差し出すと、栞はその手を掴み引き寄せる。
優馬に見せたいものがある時、栞はいつもこうするのだ。

「ほら、すごく素敵な絵だよ」

「うん。知ってる」



優馬達のその遣り取りに、彼は顔を上げた。


「あ」
「‥‥?」

目が合った際の彼の表情を一瞬不思議に思ったが、栞の声で引き戻された。

「優馬、知ってるの?」

「あー、うん。ねえ君、工場のシャッターに夜桜の絵を描いてた人だよね?」
「あ、はい」


目顔で訊ねる栞に、優馬は例の絵のことを簡潔に話した。

「すごく綺麗な絵でさ、でも綺麗なだけじゃなくて、何ていうか‥‥ちょっと怖いような……凄い絵なんだ。初めて見た時、絵の前から文字通り動けなくなって、しばらく眺めてた」

後半は絵描きの彼に向けた言葉だった。あの時の感動を直接作者に伝えられることが、素直に嬉しかった。


「あの……知ってます」

「へ?」

「……俺、見てました。カーテンに隠れて、倉庫の2階の窓から」


「え・・・・」


優馬は思わず、自由になる左手で額を擦った。

「それは、恥ずかしい………俺、相当アホ面してたよね?」


栞が吹き出した。
両手で口元を覆い、クスクス笑っている。

客の女の子達も、肩を震わせ笑いを堪えている。


笑われて、優馬はさらに赤面した。

「ヤバい。恥ずかし過ぎる。俺は逃げる」


「邪魔してごめんね」
彼と客らにそう言い残すと、優馬は両手で顔を隠しながら足早にその場を離れた。


「ちょっと優馬ぁ‥‥お嬢さん方も、お邪魔しちゃってごめんなさいね」

優馬は栞の声に立ち止まると、顔を隠したまま半ば振り返り、開いた指の隙間から片目で向こうの様子を窺った。

その様子を見て客の女性達は、声を上げて笑い手を叩いて喜んでいる。こちらへ駆けてくる栞も苦笑気味だ。


辿り着くなり、腕を軽く叩かれた。

「もう。私、絵を買いたかったのに」
「ごめんごめん、動揺しちゃってさ。後でまた行ってみよう。ね?」


頬を膨らませる栞を宥め、池の向こうにあるソフトクリーム屋に注意を向かせる。

「ほら、アイスあるよ。アイス食べようか」
「……すぐそうやって、はぐらかそうとするんだから」


言葉とは裏腹に、栞の歩調が速くなった。
優馬を睨むふりをするが、目尻には笑いが滲んでいるし口元は既にほころんでいる。この作戦は、いつだって成功するのだ。


「早く早く、こっちこっち」

今度は優馬がそう急かし、ふたりはほとんど小走りでソフトクリーム屋を目指した。

 


彼の名は

彼の元へ戻ったのは、30分程経った頃だろうか。

先ほどの客は既に居らず、彼はひとりで絵を描いていた。


「やあ、先ほどはどうも失礼しました」

優馬の声に、彼は弾かれた様に立ち上がると、ペコリと頭を下げた。


「さっきは済みませんでした。俺、余計なこと言っちゃって」
「いえいえ。こっちこそ変な風に逃げたりして」

男ふたりが謝りあっているのを他所に、栞は絵を見分している。

「あらら。私の欲しかった絵は売れちゃったのね。窓から雨模様を見下ろしてる感じの」

「ああ、はい。今日はわりと売れ行きが良くて。すみません」


優馬が栞の隣にしゃがみ込んだ。

「あー、あの赤い傘の子のやつか。あれ良かったよな」
「そうそう。となりの小さな黄色い傘の子も可愛いの」

栞も膝を抱えてしゃがむ。

ふたりして指を差しながら、あれがいいこれもいい等と言い合っていると、彼が思い切った様に声を上げた。

「あの、もし良かったら、好きなのひとつずつ差し上げます。持ってって下さい」

「え」
「それは駄目よ」

「いえ、あの‥‥俺、嬉しかったんです。シャッターの絵をずっと見ててくれたのも、今日声を掛けてくれたのも。だから、お礼というか、さっきのお詫びというか‥‥」

言い終えると、彼は両手を後ろに回し腰の辺りをゴシゴシと擦りながら照れた様に目を逸らした。




3名の話し合いの結果、2点の絵を1000円&缶ビール1本で買うことに落ち着いた。

「なんか、逆にすみません。気を遣わせちゃって」
「ううん。とんでもない。元々買うつもりだったんだもの。得しちゃった。ね?」

同意を求める栞に、優馬は笑顔で頷く。
「だな。あのさ、俺達これからメシの予約入れちゃってるんだ。だから今度、改めて似顔絵を頼みに来るよ。いつもここに居るの?」


話によると、公園の使用許可はひと月毎に申請しなければならず、来月以降のことは未定なのだそうだ。なので、許可が下りなかった場合は、別の場所で描くことになるらしい。


あ、と言って彼は荷物を探り、「これ、良かったら」と小さな白いカードを取り出しふたりに手渡した。

右上と左下の隅に、4分の1の太陽と三日月の手書きイラストがあしらわれており、中央には名前が書いてある。

「俺、大月 陽って言います」



 


 

 

 

大月陽くん、おおつき よう と読みます。

俳優の大泉洋さんとは全くの無関係です。大泉さん、好きですが。

 

 

 


シャッターと天本社長


「もうじき、あのシャッターの衣替えなんですよ」

翌々週、4月最後の日曜。
優馬はまた、あの公園に居た。今日は栞と休みが合わず、ひとりきりだ。

生憎いまにも降り出しそうな曇天で、ゴールデンウィーク中にも関わらず、大月陽の似顔絵屋は暇らしかった。
優馬は公園の風景を描く陽の隣に座り、甘い缶コーヒーをチビチビ舐めながら徐々に完成に近づく絵を眺めている。

ぽつぽつと無駄話をしながらも、陽の手は止まることは無かった。


「シャッターの衣替え?」

「そう。来月からは、桜じゃなくて新緑になります」
「季節毎に描き直すの?」
「いえ……」

大月陽が種明かしをしてくれた。
あの桜の花は、実は白と銀色の特殊な塗料で描いたもので、照明の色を変えることによって、桜になったり、新緑の葉、紅葉や雪景色にもなるのだと。


「何それ! 凄いじゃん! 自分で考えたの?」

目を見開いて驚く優馬に、陽は短く笑った。

「いや、そんな大したことじゃないんです。色つきのセロハンを被せてるだけなんで。桜はピンク色と薄桃色。新緑は緑と黄緑。紅葉は赤と黄色。適当に斑状に貼り合わせたのを照明に被せるだけ」

曖昧な笑顔で肩をすくめる。
「やってることは、高校の文化祭レベルです」

「いやいやいや、凄いよ。十分凄いって。謙遜は美徳だけどさ、日本人の悪いところでもあるよ? 第一、あれを口開けて何分も眺めてた俺の立場はどうなる」

陽がフッと吹き出し、照れ隠しのように鼻の下を擦った。


「見に行く! 俺、来月になったら絶対見に行くよ。あー、でも……あそこ通る度にほとんどクルマ停まってて、よく見えないんだよなぁ」
「まあ、元々工房の駐車スペースですし」

優馬は缶コーヒーを飲み干し、空き缶を足元に置いた。

「あら。えらいクールね。オオツキ君」
「いや、別にクールとかじゃ……」

「えー、じゃぁ今から飲みに行く?」

大月 陽は戸惑った様子で一瞬言葉を詰まらせた。

「……ちょっと、文脈が辿れないんですが」
「いいじゃん、細かい事は。もうすぐ雨降りそうだし、客もいないし? ちょっと付き合ってよ。オッサン暇なのよ」

 

 

 † † † 

 

 

 

大月陽はどことなくくすぐったい、クスクスとこみ上げる笑いを堪える様な感覚で、夜道をひとり歩いていた。
ひと雨通り過ぎたこともあり、少し熱くなった頬に夜風が気持ちよい。

なんというか、謎の勢いに押されて飲みに付き合ってしまった。
出逢って間もない人間と意気投合して飲みに行くなんて、初めての経験だった。

高校を出て今の職場に就職し、オヤジさん達に飲みに連れて行ってもらうことは何度かあった。だが、自分ひとりの、職場とは関係のない人付き合いというのは久しぶりだ。

少しだけ。ほんの少しだけ、自分の世界が広がった気がして、ワクワクする。陽は胸いっぱいに夜の空気を吸い込んだ。

元々物づくりが好きだし、木工の仕事はとても楽しかった。職場の先輩達も優しくて良い人ばかりで、恵まれた環境だと思っている。
仕事と絵描きづくしの毎日に、充分満足していた。

(でも、たまにはこういうのも悪くないな……)


陽はうっすらと微笑みながら、水彩絵の具やクレパスの入った道具入れを持ち替え、ポケットから財布を取り出した。道端の自販機でスポーツドリンクを買い、ガードレールに腰掛けて一気に半分程を飲み干す。

「うめー……」
口元を袖でぐいと拭う。

あまり酒に強くないことは自覚していたのでセーブしながら飲んでいた筈なのだが、やはり少し飲み過ぎたかもしれない。
楽しい酒の席だった。


あの木暮優馬という男は、なんだか不思議な男だ。

するりと懐に潜り込んできて、こちらに警戒感を抱かせないところがある。
軽薄、とまではいかないが、若干お調子者っぽいように思う。だが、何故か嫌悪感は無く、話す程にずっと前からの知り合いだった様な親しみを覚えるのだ。

元来人付き合いがあまり得意ではない陽だったが、優馬とはほとんど緊張せずに話せた。
むしろ、おそらく5~6つは年上であろう優馬に対し、言葉遣いが気安くなり過ぎない様にと気を遣った程だった。


陽は立ち上がり、またブラブラと歩き出す。
夜桜のシャッターの写メを撮るのを忘れない様にしなければ。

「待ち受けにするから送ってくれ」と、優馬から指令を受けているのだ。

有無を言わさぬ勢いでアドレス交換させられたが、まあ、不満は無かった。ちゃっかり奢ってもらったわけだし。
それに何より、自分の絵をそこまで気に入ってくれているというのが嬉しかった。



鼻唄混じりで家の前に差しかかると、外に出ていたオヤジさんに声を掛けられた。

「おう、陽。こんな時間に珍しいな」
「ええ、ちょっと飲んで来ました」

へへ、と笑う陽に、良治は強面の顔をほころばせた。
天本 木工房の社長、天本良治。陽の仕事の師匠でもあり、今は親代わりの様な存在でもある。

「楽しい酒だったみたいだな。彼女かい?」
「違いますよ、残念ながら。あの、このシャッターの絵を気に入ってくれた人で。なんか、奢ってもらっちゃった」

「おう! そうか! そりゃ良かったなぁ。良かったなぁ」

良治は、まるで自分が褒められたかの様に顔を輝かせている。
いや、自分の渾身の仕事を絶賛されても、おそらくこんな嬉しそうな顔はしないだろう。


「その人に、写メ送ってくれって頼まれたんすけど、車動かしていいっすか?」

ポケットを探り鍵を出そうとすると、良治は「おう、呑んだ後だろ。待ってろ待ってろ!」といそいそと車に乗り込み、車を移動してくれた。

陽が写メを撮ろうとすると、「待て、待て」と外水道にかけてあったホースを取り出す。

「さっきの雨で汚れたからな」
真面目な顔でそう言うと、シャッターを水洗いし始めた。


「いや、そこまで……そんな汚れてなかったし」
「駄目だ駄目だ。せっかく気に入ってくれたんだろ? それにな、こうするとキラキラしてカッコ良くなるんだよ」

強めの水流でしばらく洗い流すと、良治は得意気に「な?」と陽を見返してきた。
確かに、濡れたシャッターは瑞々しく光をはね返し、夜桜を鮮やかに浮き出させている。


酒の酔いも手伝ってか、良治の心遣いに陽は少し目を潤ませた。

良治と陽は、様々にアングルを調整しながら何枚も写メを撮った。



この絵は、陽が初めて依頼を受けて描いた作品だった。


「資材倉庫のシャッターがつまんないから、なんか描いてよ」
「ゲイジュツなんてわかんないからさ、任せるわ」

デザインを含めた木工の仕事をしているくせに、社長はわざとそんな言い方をして、全て自由に描かせてくれたのだ。
仕事が終わってからの数時間と、休みの日を丸々使い、陽は1週間かけて一生懸命描き上げた。

ギャラは、材料費と現金5万円。
それと、オヤジさん手作りのイーゼルだった。絵を置く『受け』の部分に、陽の名前が美しく彫られていた。
絵が完成し、ギャラとプレゼントを受け取ったたその日。嬉しくて嬉しくて、陽はイーゼルを抱いて眠ったものだ。



「おう! じゃ、早く寝ろよ。明日も早いからな」

自分の方がはしゃぎながら写真を撮っていたくせに、急に社長の顔に戻って手を振る良治に、陽はいつもより大きな声で応えた。

「はい! おやすみなさい! オヤジさん」




 


 

陽「優馬さん、ビールは飲むくせにコーヒーは甘口なんですね」

優馬「ブラックコーヒーとか、苦くて無理!ビール最高(^ ^)

 

 

 



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