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文化三年 六月某日夜半 柳原土手

 重く垂れ込めた雲が、月を覆い隠していた。

「あれか――?」

「うむ。間違いない」

「……なんだ。しょぼくれた爺いではないか」

 昼間は床店(とこみせ)が建ち並び、多くの人が行き来する柳原土手下の道

も、夜ともなれば人通りも絶え、出るのは夜鷹か辻斬りくらいである。

 そして、まさに今、黒覆面の武士が三人――

 ばらばらと取り囲まれて、そのしょぼくれた爺い――柏木周庵は足を止め、

「何か、用かな」

 のんびりとした口調で言った。

「主命により、お手前の命、もらい受ける」

「……主命?」

 周庵は、首を傾げた。

 芝居ではなしに、何のことやらよく分からない。

「問答無用――っ!」

 一人が地を蹴り、一気に間合いを詰めた。

 長身の大上段から繰り出された凄まじい斬撃は、しかし空を切り、周庵の小

柄な影が、ついと床店の方へと逃れる。

「逃がさぬ!」

 すかさず後を追おうと踏み出して、男は、がくりと膝から崩れ落ちるように、

その床店へ突っ込んだ。

 床店というのは、朝、道端へ持ってきて商いをし、夕方にはまた持って帰る

という、ほとんど露天のような営業形態で、夜は無人となる粗末な筵掛けの小

屋には、しばしば夜鷹が客を引っ張り込んでいたりするものなのだが、幸い誰

もいなかった。

「さすがに、訳も分からず殺されちゃあ、かなわんな」

 一瞬、雲の切れ間から月光が差し、周庵の姿を照らし出す。

 脇差しひとつ帯びてはいない、掛け値無しの丸腰で、右手に杖を持ってはい

るが、左手には薬箱代わりの風呂敷包みを抱えたままだ。

 だが、床店に突っ込んだ男は、そのまま立ち上がることが出来ない。

「別に、怪我などさせてはいない。忘れてあげるから、つまらぬ真似は止して、

さっさと連れてお帰り」

「おのれ!」

 残りの二人が、ほとんど同時に動いた。

「分からねえ人達だ」

 伝法に言って周庵が、ふわりと風呂敷包みを高く投げ上げた。

 転瞬――

 一人の刀は宙へ飛び、もう一人は脾腹を打たれてくずおれた。

「危ねえなあ。そんなこっちゃあ、同士討ちになるよ」

 落ちてきた風呂敷包みを受け止めて、すたすたと歩き出した周庵を、誰一人、

追うことは出来なかった――


数日後―― 往診

 天下祭りも終わり、江戸は、焼け付くような真夏の暑さに包まれている。

 周庵先生は、出かけようとしていたところのようで、幾度も水をくぐり、

少々よれかけた羽織を手にしたまま振り返り、「おや」と、言った。

「なんにも無いが、まあ、お上がり」

「出かけるんじゃぁなかったのかえ?」

 あたしが、上がりはなに腰を下ろすと、先生も側に来て、行儀良く座った。

「なに。格別、急ぐ用があるわけでもないが、こんな日は、家に逼塞していた

って、暑いだけだからな」

「そうともさ。往診に行くなら、付き合うよ」

 と、言ったら先生は、ちょっと苦笑いをした。

 あたしがついて行ったところで、何の役にも立たないことは、分かり切って

いるからね。おまけに、行く先々でいちいち、「娘さんで?」だの、ひどい時

には、「お孫さんで?」なんて聞かれて、閉口するらしい。

 だけど、結局勝手に、付いて出た。

 

 先生が以前、「どんな大金が手に入っても、何が何だか分からないうちに、

あっという間になくなる――」なんて言っていた訳は、じきに分かった。

 先生は、金創――すなわち、傷の療治を看板に掲げているわけだけど、そん

なことはお構いなしに、医者という括りで頼ってくる者はいる。

 それは大概、医者には見捨てられ、薬を購う金もないと言ったような貧乏な

人達で、先生は、なんだかんだと言いながら、結局最後まで面倒を見るのだ。

 まともな医者にかかれずに、先生を頼ってくる頃には、既に手の施しようも

なくなっていて、最後が最期ということになることが多いのは、決して先生の

せいばかりでは無いはずだけど、先生は、薬礼を取らない。おまけに、薬だけ

ではなく、食う物や着るもの、時には借金の心配までして帰ってくる。

 そんなわけで、往診なんかしたって、一文にもならないどころか、どんどん

出て行くほうが多いのさ。

 

 もちろん、先生を頼る人達のみんなが、本当にどうしようも無いくらいに困

っているというわけじゃない。中にははじめから、先生を頼ればただで診ても

らえるからという下心の、たちの悪いのもいる。

 十日ほど前、突然真っ白になって倒れたという橋本町のちづるさんは、今日

も青白い顔で、せっせと針を動かしていた。

 先生の顔を見て、きちんと居住まいを正して頭を下げたけど、明日の朝まで

に仕上げなければいけない大急ぎの仕事なのだと弁解して、手を止めようとは

しなかった。こうして、食べるものも食べずに、根を詰めて仕事をしすぎたせ

いで身体が弱り、血の気が下がって倒れたのだということで、先生は、ちょっ

と目の裏を見てから、

「ご亭主に酒など飲ませなくて良いから、飯はきちんと食べなさい。薬などよ

り、それが一番肝要だ。食う物も食わずにいては、次第に目も弱くなって、や

がて針仕事どころではなくなるぞ――」

 と、貞淑過ぎるちづるさんを、少し脅すように意見しているところへ、まさ

に酒臭い息を吐きながら、ご亭主の作田甚十郎が帰ってきた。

 作田さんは、どこぞの藩で勤めをしくじって浪人し、江戸へ流れてきたもの

の、士官の口はおろか、まともな仕事にもありつけず、酒に飲まれて身を持ち

崩し、ご新造のちづるさんのお針仕事でなんとか糊口をしのいでいるんだ。

 その大事のちづるさんが倒れたというので、早速先生を頼ったくせに、当人

は外で酒を食らって朝帰りとは、いいご身分じゃないか。

 そんなお足があるのなら、ちったぁ先生に回しやがれ――と、思っていたら、

先生は、違う説教をした。

 曰く、そんな銭があるのなら、ちづるさんに、滋養の付くものを食べさせて

やりなさい。ちづるさんは、食べるものも食べないで酒代を稼いでいるような

ものなのだ。例えば、卵は安いものではないが、それでも外で酒を飲む金で、

三つや四つは買えるだろう――

 ところが、作田さんはへらへら笑って、なんと懐から小判を一枚、ちゃりん

と放り投げた。博打で、大勝ちでもしたのだろうか。

「鰻でも、山鯨でも、食わせてやるさ。これは、今日までの薬礼だ。取ってお

くがいい。あんたに、借りは作りたくないからな」

 ……一体、なんて言い草だろう!

 先生は、黙ってそれを拾い上げ、そして、ちづるさんに渡すと、何だか煎じ

薬みたいなのも置いて、橋本町の長屋を後にした。

 ああ、まったく……このお人好し加減には、涙が出るよ。

 

「くれるってものくらい、もらってくれば良かったじゃないか」

 ぷんすかと、あたしが言ったら先生は、すました顔で、

「金に困っていない奴がくれる物なら、何でももらうことにしているよ」

 と、言った。

「だけど、作田さんの懐には、まだ大枚がうなっていただろう」

「そうだな。……出所が、ちと気になるな」

 そこなの?! そんなことまで心配してやっていちゃ、身が持たないよ。

 でも、あたしが何か言う前に、

「てえへんだ、先生――!」

 どっかの下っ引きみたいな口調で、紺看板の折助が、血相を変えて飛んでき

たから、話はそこまでになった。

 折助っていうのは、大名旗本に仕える中間達のことだよ。彼らが着ている、

お屋敷の紋が入った半纏を、俗に紺看板と言う。

「どうした、留吉」

「丑松と重吉が、やられた」

「なんだと――?」

 先生が、ちょっと顔色を変えた。


 中間部屋

~柏木周庵によって語られた話~

 

 丑松と重吉は、先月の末、大名屋敷の賭場で、つまらぬ喧嘩の挙げ句、中間

の藤蔵と、大身旗本の子息の若侍とが命を落とした事件の折りに、件の若侍の

亡骸を、旗本屋敷まで運んだ中間だった。口上には、わたしが立った。

「だからねえ。みんな、心配ぇしていやすよ。先生のことを」

「……なるほど。その心配ならば、手遅れだったな」

 数日前の、謂われ無き襲撃のことを思い出していた。

 

 かの若侍は、坂崎彦太夫の嫡子、郁之丞。坂崎家は、三千石の御大身で、郁

之丞のことはおそらく病死で届けをしたのだろうが、万一事実が公になれば、

例え大身旗本でも、ただでは済まない。

 僅かばかりの口止め料では安心出来ず、いっそ関わり合いの者達の口を全て

塞ごうとでもいうのだろうか。

 坂崎家へ郁之丞の亡骸を届けた折り、丑松と重吉は、顔を見覚えられでもし

たのだろうが、わたしは、名乗っている。住まいを突き止めることも、容易か

ったに違いなく、おそらくわたしが最初の標的だった筈だ。

「ちくしょう。抜かったな――」

 あの時、引っ捕らえてでも、なにゆえの所行か聞き出すなり、後をつけて行

き先を確かめるなりしていれば、二人を死なせずに済んだかも知れない。

 考えが足りなかったと悔やんだが、後の祭りだ。

 それにしても――あの日、あの騒動の場に居合わせた者全てを突き止めて、

口を塞ぐことなど出来るはずもないのに、あまりにも愚かなことだ。

 

「他の者達は、無事なんだろうな?」

「そりゃあ、まあね」

「お前も含めて、よくよく気をつけることだ。そこそこ、遣う奴らだったよ」

 喧嘩慣れしているとは言っても、中間は所詮武家奉公人で、武士ではない。

中には多少の心得のある者もいるが、本格的に剣術をやった者などほとんどお

らず、先夜のように個別に闇討ちを仕掛けられたら、ひとたまりもないだろう。

 だが、留吉は、ぶるるんと首を振った。

「それどころじゃあねえ。みんな、怒り心頭でさあ。弔い合戦だと言って、討

ち入り支度だ」

「馬鹿野郎――」

 

 藤蔵のように、過ちで殺されたのではない。

 たまたまその場に居合わせて、力があって背丈が合うという理由で、亡骸を

運ぶ役を担っただけの何の罪科もない二人が、口封じの故に殺されたのだ。

 日頃は喧嘩ばかりしているようでも、いざとなったら中間達の結束は固く、

他の部屋の者達までもが集まって、気炎を上げていた。

 昨今は、刀の持ち方も知らないような腰抜け侍も増えたが、坂崎彦太夫は、

先夜の刺客のようなのも飼っているようだから、剣呑極まりない。

 しかも、旗本も三千石の大身ともなると、家臣だけでも何十人、中間小者や

女中まで含めれば、百人近い人員を抱えているのだから、そこへ討ち入るなど

ほとんど戦で、どう転んでもただでは済まないだろう。

 二人の亡骸をあらためると、重吉は、抜き打ちの逆袈裟で、丑松は、逃げだ

そうとした背中を袈裟懸けに斬られていたが、

(あの三人とは、太刀筋が違う……)

 先夜わたしを襲った三人の他にも刺客がいるようで、全くもって油断がなら

ない。

「どこでやられたんだ?」

「米沢町で」

「……米沢町だと?」

 坂崎郁之丞を刺した若旦那は、明石屋という呉服屋の総領息子で新太郎。

 その明石屋があるのが、両国米沢町一丁目だった。

 明石屋は、界隈では知られた大店で、こちらも事件のことはひた隠しにして

いるだろうが、突き止めるのに、さほどの手間はかからないだろう。

 順当に考えれば、郁之丞を刺したのは新太郎なのだから、真っ先に狙われて

もおかしくはない。

 もっとも、ここでそんなことを口にしたところで、中間達にとって新太郎は、

仇の片割れみたいなものゆえ、いっそ、真っ先にそっちをやってくれりゃあ良

かったんだ――などという話になるのが落ちだから、

「とにかく、早まって馬鹿な真似をするのは止せ――」

 こんなことになったのは、わたしの始末が悪かったのだ。わたしが、片を付

けると請け合って、中間部屋を後にした。


 亀屋

 浅草御門近くにある郡代屋敷の横っちょの木戸内を、俗に大路次と呼んで、

居酒屋だの一膳飯屋だのといった食べ物店が多く軒を連ねている。

 菜飯屋〔亀屋〕も、その中の一軒だった。

 亀屋は、万蔵親分のお店だよ。

 もっとも、切り盛りしているのは、おかみさんのおつたさんで、近所のおき

みちゃんという娘さんが手伝いに来ており、そこそこ繁盛している。そのおか

げで万蔵親分は、気儘にお上の御用で飛び回っていられるというわけ。

 亀屋という屋号は、むかし万蔵親分が、お玉が池の善六という親分の子分だ

った時分、亀井町に住んでいたことから「亀万」なんてめでたいあだ名を付け

られていて、善六親分が亡くなって、跡を引き継いだ万蔵親分が、おつたさん

と一緒になって商売を始めるという時に、そのめでたい名前を残そうと、おつ

たさんが考えたものらしい。

 万蔵親分自身は、亀万というあだ名をさして気に入ってはいなかったのか、

いっそ「おかめ屋」の方が良かった、などと悪態をついているんだけれどね。

 おつたさんは始め、両国広小路の人出を当て込んで、米沢町に店を出すと言

い張っていたらしいのだけれど、その分家賃も随分高いし、薬研堀には嘉平と

いう老練の御用聞きがいて、縄張りって物があるんだからと渋る万蔵親分と一

悶着の末、大路次で手を打ったということだ。薬研堀の嘉平は、西両国、矢の

倉から日本橋浜町辺りを仕切っていたけれど、郡代屋敷の西、そして竜閑川よ

り北側の内神田一帯はおおむね万蔵親分の縄張りだったからだ。

 それはともかく――

 

「まったく。先生も、長次も鉄砲玉だ。一体どこへ行っちまったんだろう」

 あたしは、ぷりぷりしながら、亀屋のお運びを手伝っていた。

 ただ飯を食っちゃあ悪いし、あの先生に金を払わせるのは、なお悪いようで、

気がさすからさ。

 その先生は、「お前さんの来るような所じゃない――」とか何とか言って、

広小路で風車を売っていた長次にあたしを預けて、留吉さんと一緒にどっかへ

行っちまった。

 ところが、その長次も、この亀屋にあたしを置いて、糸の切れた凧みたいに

飛んで行っちまったんだ。面白くないったら無いよ。

「薬研堀のとっつぁんは、辻斬りを探しているみてえだが――先生が動いてい

なさるってことは、そんな単純な話じゃねえんだろうね」

 ふらりと帰って来た万蔵親分が、ぷかりと煙管をふかしながら、言った。

 薬研堀の嘉平親分は、貫禄も実績も万蔵親分の比じゃない年季の入った御用

聞きだから、本当に行きずりの辻斬りの仕業と思っているかどうかは分からな

いけれど、殺されたのが屋敷勤めの中間で、もしも斬ったのが歴としたお侍と

いうことにでもなると、これは町方の岡っ引きの出る幕じゃない。

 無頼の浪人が、金目当てに辻斬りをはたらいたという線以外では、手の付け

ようがないんだ。

「だけどさあ、折助を辻斬りが狙うかね?」

「そこだがね、おあいちゃん。斬られた丑松と重吉は、ここのところ、えらく

羽振りが良かったらしい。大方、博打で当てたんだろうが――」

 それを知っているような、賭場に出入りの無頼浪人が、二人を待ち伏せした

か、あるいは夜道でたまたま二人に会ってふと悪い気を起こした――という嘉

平親分の見込みも、あながち狂っているとは言えない。自分でも、まずはその

線から当たるだろうと万蔵親分は言った。

「――丑松と、重吉の羽振りが良かったというのは、本当か?」

 いつ来たのか、周庵先生が、懐手で立っていた。


 引き続き 亀屋

~柏木周庵によって語られた話~

 

「まあ、ここじゃあ何だ。二階へお上がんなせえ」

 と、万蔵が言った。

 亀屋の二階には小座敷がひとつあるが、普段ここに客を上げることはない。

 御番所(町奉行所)の役人が立ち寄った時や、店先では出来ない、御用がら

みの内緒話をする時などに、使われている。

「これは、薬研堀のとっつぁんのほうで聞き込んだことだが、ここんところ、

仕事もしねえで女郎屋なんかに居続けをしていたらしいね」

「どこの賭場で当てたものか、分かっているのかね」

「いや、そこまでは聞いちゃいやせんが――」

「……なるほど」

 丑松と重吉の金回りが、不相応に良かったということになると、話はまた違

ってくる。

 もしかすると二人は、明石屋を強請ったのではないか――?

 中間風情が、三千石の旗本に強請をかけるのは難しかろうが、町人相手なら

ば、容易いだろう。

 中間達は、概して気が荒く、喧嘩っ早くて柄が悪いから、堅気の者からは、

やくざ者も同然の無頼の輩と思われ、嫌われている。その実、やくざ者に比べ

れば裏表のない、さばさばとした気の良い連中が多いのだが、そういう不心得

な者も、やはり決して少なくはない。

 すると、明石屋の用心棒か何かの手にかけられたのか。

 あるいは――

 

 先刻、中間部屋を出た後、わたしは坂崎彦太夫の屋敷の前まで行ってみた。

 別に、何らかの思案があったわけではないが、道順としては明石屋よりこち

らの方が近かったというだけのことだ。

 ひょっとして、先夜の三人に行き会わないでもないという考えもあったが、

なかなかそう都合良く、いくものではない。

 明石屋のほうは、何か忠告してやるにしても、下手をすれば、それこそ強請

がましく受け取られかねなかったから、どう話を持っていくかは、よくよく考

えなければならなかった。

 ところが――

 坂崎家の門脇のくぐりから、当の明石屋の主、新兵衛が出てきたから驚いた。

 気弱さや後ろめたさなどは感じられず、むしろ、堂々としており、門番の扱

いも、丁重だった。

(どういうことだ――?)

 いささか当惑しながら、思わず、見え隠れに後を追った。

「尾行けやすかい、先生」

 さりげなく近づいてきた長次が、そうささやいた。

 人に尾行けられていることに気づくのは容易いが、人に気づかれないよう尾

行けるというのは、案外難しい。しかし、相手は何の心得もない町人だ。

 それに――

「どうせ、店に帰るだけだろう。それより、あの子はどうしたんだ」

「亀屋のおつたさんに預けて来やしたよ。大体――へっ、「危ない所へ連れて

行くな、おかしなことは教えるな、妙な振舞いに及んだら承知しねえ――」と

くらあ。おいらの手には、負えないね」

 なるほど長次は、不思議に博打の才があって、しばらくふらふらと遊び暮ら

していたり、縁日で、子ども相手に飴や風車の大道商売をしていたかと思えば、

今度は盛り場で、いかがわしい興行の手伝いをしていたりと、気はいいものの、

まったく若い娘を預けるのに、適当な男とは言えなかった。

 しかし、目端が利いて耳ざとく、すばしこいので、読売屋のネタ取りなんぞ

もすれば、気が向けば、下っ引きでもないのに万蔵の御用を助(す)けていた

りもするといった具合で、こういったことはお手の物だ。

「そこの坂崎家と、米沢町の明石屋のことを――両家は、元々つながりがある

のかといったようなことも含めて、何でもいいから調べて欲しい。出来れば、

急ぎでな」

「がってん承知だ!」

 勢いよく長次が飛んで行き、わたしは、そのまま明石屋を尾行けてみたが、

やはり何事もなく米沢町の明石屋へ戻った。

 念のため、二人が殺されていたという辺りへも足を運んでみたが、もはやす

っかり取り片付けられていて、何も残されてはいなかった。

 

「するてえと、何ですかい。米沢町の中間殺しは、坂崎様御家中の仕業かも知

れねえってことだね」

「そうなるな」

 丑松と重吉は、明らかに侍の手によって斬り殺されており、坂崎家と明石屋

がつながっているのであれば、やはり、その可能性が高い。

「もしそうなら、あっしらにゃ、手が出せねえが……」

 悔しそうに万蔵が言った、その時――

「兄哥、亀屋の兄哥、いなさるかね!」

 階下で、辺りをはばからぬ大声が響き渡った。



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