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 夏休み最初の日曜日。
 これでもかと言う位に陽が差す朝。
 公園のベンチで伊達を待っていた僕は、とんでもなく悪い幻を見た。反射的にその幻から逃げようとしたところ、その幻が僕の両手に抱きついた。
 右腕には白いインド木綿のシャツに着古した青のジーンズの美女。
 左腕には黒のゴスロリ服の少女が抱きついている。両方とも胸の谷間に僕の腕を巻き込んでいた。
「おはよー少年!」
「おはよーお兄ちゃん!」
 二人とも満面の笑みを浮かべている。後ろのお姉さんがケタケタと笑い転げていた。あんた、僕の守護をするんじゃなかったのか?!
 遙か後方に精根尽き果てた表情の伊達が見えた。
「嘘だ! これは悪い夢だ!」
 思わず叫ぶ僕に二人は笑い声を上げる。
「あら? お姉さんを悪い夢と言うの?」
「実の妹は悪い夢?」
 二人はさらに僕に密着して来る。響子姉(きようこねえ)は今更だが、浩美! いつの間にそんなに発育した? B? いやCカップはあるぞ。そのわざとらしい甘え方は恐怖だぞ!
 生まれて初めてのデート。Wデートとは言え、初めてのデートだったんだ。朝からシャワー浴びて、気合い入れてお洒落して来たんだ。
 これは悪い夢に違いない。
 きっと、僕はまだ布団の中にいるんだ。セーブポイントからやり直せるはずだ。さぁ、気合いを入れて目を覚まそう!
 僕は目を堅く瞑り、そして気合いを入れて目を開けた。
 僕の腕を笑いながら振り回す二人がいた……。
 がっくりと項垂れている伊達に僕は叫んだ。
「伊達! 状況を説明しろ!」
「すまん。神崎。俺は朝駆けで拘束された。止められなかった」
 伊達の顔は今まさに死刑を執行される罪人のそれだった。

 要約すると、土曜日にショッピングモールで水着を選らんでいた伊達を浩美が発見したらしい。
 浩美は伊達に声をかけた。
「伊達先輩。明日プール行くんだよね?」
 にんまりと浩美は微笑んだらしい。悪魔の微笑みなのだが、伊達には初々しい乙女の笑みに見えた。
「お兄ちゃんと行くんだよね?」
 その引っかけに伊達はまんまと乗った。
「ああ、そうだよ」と迂闊に口を滑らしたらしい。(僕は家族には図書館へ行くと言っていた。恥じらいがあって隠したのだ)
「じゃあ、私も行くね」
 浩美はにぱっと笑ってそう答えた。そこで初めて伊達は罠に嵌ったことに気付いたが、手遅れだった。
 なんとかなだめすかして止めさせようとしたが、浩美が言うことを聞く訳がない。
「いいもん。私は勝手に行くもん!」
 最後には、そう言って意地でも動かなくなった。
 押し問答をしている所に(最悪のタイミングで!) 、響子姉(きようこねえ)が通りかかったのだ。こういう話をやんやと喜ぶのが、響子姉(きようこねえ)だ。
「ああ! Wデートの話ね♪」
 暴露したらしい。
「デートですって?」
 浩美は据わった目で伊達を見て言ったそうだ。
「激しく聞いてないわ!」
 日本語、間違えてるし……
 で、伊達は泥沼に嵌った。「絶対に行く!」と言い張る浩美に苦渋していると、響子姉(きようこねえ)が言ったそうだ。
「じゃ、浩美ちゃん。私と行こう。保護者同伴で現地別行動。これで問題ないでしょ?」
 妥協策としては妥当だと伊達は判断した。甘い男である。
 で、今朝方、浩美と響子姉(きようこねえ)が伊達家に朝駆けしたと言う訳だ。
 僕は空を仰いだ。
 青いなぁ~ このまま一人帰って寝ると言うのは無理なのかなぁ~
「達観してるな? 性少年!」
 意味も無く笑って、響子姉(きようこねえ)は僕の背中を叩く。他にどうしろと言うのだ? 何気に語感が違うし……
「心配しなさんな。ちゃんとデートの時間は作ってあげるから。浩美ちゃんの単独特攻よりは、なんぼかマシでしょ?」
 耳元で囁く。確かにマシではあるが、浩美を止める選択肢は無かったのかなぁ?
「伊達よぉ? 三枝にどう言う気? 流石の姉御も怒るぞ」
「メールした。『大馬鹿者!』と返信が来たよ」。
 血の気が引いた顔で伊達は答える。姉御は怒ると怖いからな~。彩宮さんとセットで攻められたら、命が危ないかもしれない。というか、なんで僕がそんな災禍に巻き込まれねばならんのだ?
「お兄ちゃんはなんで、浩美に嘘ついたのかなぁ?」
 浩美は僕の腕を逆手に極めて言う。痛いし、怖い。
「普通、妹に言わないだろ?! こんなこと!」
 力ずくで手を振りほどいて、僕は言った。筋が痛んだ。

 午前九時半。僕たちは駅前のミスドに着いた。乱入者のおかげで遅刻してしまったのだ。ギャルゲーだとポイントダウンも著しいシチュエーションだ。つうかバッドエンディング直行だな。恋人に惨殺されたりするんだ。
 おそるおそる店に入ると姉御と彩宮さんが満面の笑顔で僕たちを迎えてくれた。
「遅いぞー! もうドーナツ食べちゃった」
 姉御が叫ぶ。
「おはようございます」
 席から立って、深々と頭を下げる彩宮さん。
『おい、伊達。姉御も彩宮さんも怒ってないじゃないか? 大丈夫なんじゃないか?』
 僕は伊達に耳打ちする。
 伊達は太いため息をついた。
『これが怖いんだよ。全く分かってないな。お前は。今日は一日針のむしろだと覚悟しろ』
 伊達は怯えていた。
 三枝と彩宮さんは当然私服である。三枝はパステルカラーの黄色の半袖のポロシャツにオレンジ色のジーンズと派手な服装だが、元々艶やかな顔立ちだから良く似合っていた。
 彩宮さんは淡い茶色のおとなしめにフリルが付いたワンピース姿だった。うん。可愛い。
「杉浦先輩! お久しぶりです!」
 三枝は立ってお辞儀する。響子姉(きようこねえ)と僕らが在校中に顔を合わしたことはないが、桜ヶ丘高校の生きる伝説だったりするのだ。響子姉(きようこねえ)は。
 三年期末の全国実力テストをオール満点で全国トップに立ったことがあるのだ。弓道部にも在籍していたから、三枝には神格化されて見えるのだろう。
『パーフェクト・ビューティー』こんな恥ずかしい通り名が今も残っている。
「いやだー! そんな仰々しい挨拶やめてよー」
 響子姉(きようこねえ)は照れながらバンバンと三枝の肩を叩いた。一流モデル級の美女が高校生と騒いでいるのだ。店中の視線が集まっている。あっちのテーブルでは響子姉(きようこねえ)に見とれて呆けている彼氏の腕をつねっているカップルがいる。
 つまりはこういうことだ。フェロモン垂れ流しの響子姉(きようこねえ)といる限り、どこであろうと目立ちまくるのだ。
 彩宮さんは、響子姉(きようこねえ)のテンションが下がるまで、ピンと背筋を伸ばしたまま彫像のように動かなかった。三枝とのじゃれあいが終わった一瞬の時を狙って、彩宮さんは深々と礼をした。
「お久しぶりです。お姉さん」
「―――えっ?」
 響子姉(きようこねえ)は一瞬言葉を失った。それも一瞬だった。
「もしかして、市民病院の五人組の鈴ちゃん?」
 どういう記憶野を持っているのか、響子姉(きようこねえ)は普通ならすぐ忘れている出来事を覚えていた。
「はい。彩宮鈴香と申します。改めてご挨拶させていただきます」
 無表情のまま、彩宮さんは怜悧な声で言う。強い眼力(めぢから)で響子姉(きようこねえ)を見つめていた。
「杉浦響子よ。よろしくね。鈴ちゃん。あの日はショックだったなぁ。鈴ちゃん、私に『浩ちゃんをとらないで!』って言ったのよ」
 あははと笑う響子姉(きようこねえ)に彩宮さんは、「今でもいやです。私の神崎君を取らないでくださいね」
 彩宮さんはにっこりと笑みを浮かべて答えていた。
 怖ぇ~ マジ怖ぇ~ 後、『私の神崎君』と言う台詞に照れたりする。
 響子姉(きようこねえ)は流石に笑みを引きつらせたが、すぐ、にぱーとしたいつもの笑顔で答えた。
「大丈夫よー。鈴ちゃん。こんな可愛い彼女がいるのに浩ちゃんが、こんなおばさん相手にするもんですか! ね、浩ちゃん!」
 響子姉(きようこねえ)は僕の肩をひっぱたく。なんか本気で叩いてないか?
「こちらが妹さん?」
 彩宮さんは浩美に視線を移す。浩美は珍しく彩宮さんの強い視線にたじろいでいた。無意識だろうが、僕の後に隠れようとする気配を見せる。
「ああ、妹の浩美。無理矢理付いて来たんだ。ごめんな」
 僕の言葉に彩宮さんは小さく頷くと、浩美に頭を下げた。
「はじめまして。彩宮鈴香です。浩平さんとお付き合いさせて頂いています。ふつつかものですが、宜しくお願いします」
 あ、今度は『浩平さん』だ。くらっとする。浩美は彩宮さんの礼儀正しい挨拶に口をぱくぱくさせていた。響子姉(きようこねえ)が浩美の肩を軽く突いた。
「ど、ども! 神崎浩美です。ついて来てごめんなさい!」
 浩美はドタバタとした仕草でぺこりと頭を下げた。面白い。あの浩美がたじろいでいる。
「今日は楽しみましょうね」
 彩宮さんは普段の怜悧な顔に戻って浩美を見つめながら言った。浩美はその言葉に血の気を無くして、小声で答えた。
「……そ、その、よろしくお願いします。彩宮先輩」
 流石だ。絶対零度の魔女は、初見でこの個性豊かで我が儘な女性陣相手に、イニシャティブを握っていた。
 さて、朝食も済ませ、プールへ行く途中、響子姉(きようこねえ)がひそひそと話しかけてきた。
「ちょっと、浩ちゃん。まさか、鈴ちゃんに私と寝たなんて言ってないでしょうね?」
 心臓が口から出るかと思った。朝っぱらから天下の往来で何を言うんだ? この人は。
「ば、馬鹿! そんなの言える訳ないだろ?」
「あからさまに敵意を向けられている気がするのだけど……?」
「気のせいだよ。彩宮さんは人付き合いが苦手なんだ。昔もそうだっただろ?」
 う~んと響子姉(きようこねえ)は小難しい顔で腕を組み、小首を傾げる。
「……確かに人見知りの激しい子だったけど、敵意は向けられていなかったわよ。昔は。ポッキーあげたら懐いたし……。
 そか!  餌付けしないとダメなんだ。何か奢ってあげようかな?」
 他人(ひと)を野生動物のように言う。悪意もなく天然にそう思ってしまうのだ。響子姉(きようこねえ)は。
「あのな。頼むから余計なことはしないでください。今日は浩美のブロックをお願いします」
 本気で頭を下げて頼む。
「浩美ちゃんねぇ……」
 響子姉(きようこねえ)は後ろを振り返る。しょんぼりと肩を落として遅れて歩く浩美が響子姉(きようこねえ)の視界に入る。
「そんな覇気残って無いような感じだよ。蛇に睨まれたカエル? 流石、『絶対零度の魔女』! 石化の魔術でも使えるのかしらねぇ?」
 本当に浩美は元気を無くしていた。三枝が気を利かせて何か喋りかけている。兄としては心配な限りだが、伊達と並んで前を歩く彩宮さんの視線が痛く感じる。本能的にこれ以上、響子姉(きようこねえ)や浩美に関わるのは危険だと感じた。
「響子姉(きようこねえ)、悪いけど離れてくれ。浩美を頼みます。彩宮さんが見てる」
「ほっ?」
 響子姉(きようこねえ)は前方に目を向ける。
「あちゃー。威嚇射撃受けてるやん。私。まぁ、浩ちゃんの幸せ第一だからねぇ~ おばさんは退散しますー」
 浩美の方へ行こうとして、響子姉(きようこねえ)は振り向いて僕を見つめた。
「浩ちゃん、あの娘(こ)。情が怖いよ。覚悟しなよ」
 真顔で言った。
 僕は深く頷くと伊達と彩宮さんの間に入った。
「なんの話してたの?」
 さりげなく爽やかに声をかける。伊達はげっそりした顔で振り返り、僕に助けを求めていた。
 彩宮さんは僕を冷たく一瞥すると言った。
「杉浦さんが凄い美女だと言う話『パーフェクト・ビューティー』って杉浦さんのことだったんだ。神崎君、昔と同じで、相変わらず仲が良いのね?」
「まぁ、本当の姉弟みたいに育ったからなぁ~ あれで人は好いんだよ」
「姉弟? 本当にそれだけ?」
 彩宮さんは一瞬、恫喝するような視線で僕を見据えた。僕は激しく狼狽えたが、感情の起伏が激しくなればなるほど、表情が消える性癖が幸いした。
「それだけだよ。それ以上でもそれ以下でもない」
 外見は落ち着き払って、そう答えることが出来た。誰しも墓の中まで持って行かねばならない秘密がある。この歳でそんな秘密を抱えるのはどうかと思うが、響子姉(きようこねえ)とのあのことは、誰にも口外出来るものではない。
「そう……」
 彩宮さんは呟くような小さな声で答えた。
「素敵なお姉さんと妹さんがいて羨ましいわ。慕われているのね」
 哀しげに視線を落とす。僕はなんだか悪いことをした気分になった。でも、不器用なので声が出ない。しばし沈黙があった。唐突に彩宮さんは顔を上げ、明るく笑った。
「私ね、今日のために水着を新調したのよ」
「あ、僕も」
 ぽろりとこぼす。
「どんなの買ったの?」
 彩宮さんは微笑んで下から僕の顔を覗き込む。頬が紅潮した。
「トランクス。パステルピンクの。学校の水着しか持ってなくてさ。デートっぽくしないといけないかなって……」
 あはははと笑う。
「それよ」
 彩宮さんは人差し指で僕の鼻先を差す。
「デートよ。私もデートは初めてなの。水着はねぇ~ 裸見せるより恥ずかしいわよって明美が言うから、神崎君に見せて恥ずかしくないように、明美と丸一日かけて選んだの」
 僕はこの台詞を聞くまで、女の子とプールに行くのが、どんな大事か分かっていなかった。彩宮さんの水着姿を想像して赤面する。
「ど、どんなの買ったの?」
「ふふ。ひ・み・つ。プールサイドまでおあずけよ」
「うわっ! それって生殺しだよ!」
「そうよー デートなんだから私しか見てはダメなのよ。杉浦さんとか明美とか見つめたらお仕置きだからね。私、嫉妬深いんだからね。あ、妹さんもダメよ。貴方、シスコンぽいから!」
 彩宮さんはぎろりと僕を睨む。怖い……。
「了解。善処する」
 そう答えたものの、大丈夫なんだろうか? 自分? 響子姉(きようこねえ)の水着って裸よりエロイ感じがする。
「嵐が来るぞー」
 俯いたまま、伊達がぼそりと呟いた。サラ・コナーではない僕は「知ってるわ」と答える根性はなかった。

 で、でかい……
 全天候型ドームプールはまさに偉容を放っていた。夏休み最初の日曜日と言うこともあって学生と子供連れの家族がドームを囲むように列を作ってる。
「うわぁー大きいー」
 浩美がようやく本来の元気を取り戻して驚きの声を上げた。
「ホント! 凄い大きいねぇー」
 三枝がそれに頷く。
 対照的にげんなりした声で響子姉(きようこねえ)が言った。
「えー? あんなに並ぶの? 私、やだぁ~」
 傍若無人の声を上げる。
「浩ちゃん、伊達君、並ぶの任せた。私、茶店で待ってるから順番来たら携帯鳴らして」
 女王様か? 響子姉(きようこねえ)?
「さ、女性陣は涼みましょう。三枝さん、鈴ちゃん、浩美ちゃん、おいで~ 奢るよ~」
「えっ? でも……」
 三枝が戸惑い顔で伊達に視線を送る。体育会系だから、こういうのを他人任せに出来ないのだ。
「いいよ。明美。行ってこい。三十分以上は並びそうだからな」
 伊達が格好をつける。ちなみに、彩宮さんと浩美はちゃっかり響子姉(きようこねえ)に付いて行っていた。響子姉(きようこねえ)は本気で餌付けをする気らしい。
「んじゃ、よろしくね~」
 響子姉(きようこねえ)は三枝の腕を引っ張りながら、喫茶店へと消えて行く。去り際に、彩宮さんはペコリと頭を下げて行った。無言である。
 デートなんですけど? カップルなんですけど……。なんで躊躇わずに見捨てるんですか? 彩宮さん。
 まぁ、そんな具合で男二人でバカ話しながら待っていると、順番が来た。携帯で呼び寄せると女性陣はすぐ現れた。響子姉(きようこねえ)の餌付けは本当に効いたみたいで、女性陣は和気藹々としていた。
 まぁ、善哉。善哉。
 更衣室の出口で待ち合わせにして、男女別れて(当たり前だが)更衣室に入る。
 伊達の水着は迷彩模様のバミューダパンツだった。やけにぶかぶかに見える。
「……なんだよ?」
 異物を見るような僕の視線に気づいて伊達が言う。
「いや。重装備だな? お前なら競泳用とか履きそうなイメージだったんだが」
「女性陣の面子考えろよ。明美の水着を見るのも初めてなんだ。その、身体が妙な反応したら困るだろ?」
 ああ、納得。女性陣は百花繚乱。その水着姿に本能が反応しない保障はない。
「お前も、三枝の水着教えて貰っていないんだ……」
「お前も、鈴ちゃんの水着、聞いていないの?」
「三枝と一緒に買いに行ったらしいんだが、水着は女の勝負着だからとはぐらかされた」
 ぽりぽりと耳の後ろを掻く。
「杉浦さんの水着は?」
「聞きすらしてない」
「あの人は別格だからなぁ~ 期待もあるけど、怖いよな」
「彩宮さんに他の女に見とれるなと、釘刺されたよ」
「聞いてた。鈴ちゃん、お前とだったら普通に喋るよな?」
「そうか? お前等、二人の時、何話してたの?」
「会話にならねぇよ。何を話しても、無言で刺すように俺の瞳見つめるだけだからな。明美くらい懐広くねぇといけないんだろうな」
「……お前、守備範囲広いのに?」
「鈴ちゃんとか、杉浦さんは別格だよ。平気で話せるお前が分かんねぇ」
 伊達はそう言って荷物をロッカーに詰めて鍵をかけた。
「じゃ、行きますか?」
 僕と伊達はプールサイドへ向かった。

「おおっ?!」
 僕は伊達と共に感嘆の声を上げた。
 でかい! 広い! これなら多少並んでも甲斐がある。
「おい! 見ろ! ウオータースライダー、十メートルはあるぞ!」
「あっちの滝はナイアガラの滝だぜ!」
 男二人で盛り上がっていると、いきなり背中に抱きつかれた。
「浩ちゃん、お待たせー♪」
 背中に当たるメロンのように巨大でマシュマロのような双球は間違いなく響子姉(きようこねえ)のモノだった。身体の一部が変化する。
「うわーーー!!」
 僕は叫ぶと、響子姉(きようこねえ)の腕を振り払い、プールに飛び込む。収まれ! 自分!
「いきなりなにするんですか?  アンタは!」
 僕はプールに下半身を隠して抗議する。そして響子姉(きようこねえ)の水着に息を飲む。金ラメのハイレグビキニの水着はゴージャスとしか言いようがなかった。ロケットおっぱいとは良く言った。Fカップの良く張った隆起に目が行く。少ない生地に溢れんばかりの肉体を押し込んでいる感じだ。峰不二子さんですか? 貴女?
 響子姉(きようこねえ)の登場にプール場全体がどよめいた。気のせいではない。男ばかりか女性まで、響子姉(きようこねえ)の肢体に見入っていた。人を引きつけるオーラがあるのか? フェロモン分泌が異常なのか? とにかく目立つ。
「なによぉ~? 逃げなくても良いじゃない!」
 響子姉(きようこねえ)は腕組みしてジト目でこちらを睨んで来る。
 そんなに派手な肉体と水着で、思春期の少年に抱きついてはいけません。
 響子姉(きようこねえ)の真横にいた伊達は前屈みで、こそこそと離れて壁際で膝を抱えて座り込む。どこかの天才探偵みたいだ。
「なに? なんで伊達君まで逃げるかな?」
 伊達も身体に微妙な変化を来してるんだろうな……
「いや、お姉さん。綺麗すぎ! とても側にいれません」
 伊達は引きつった笑顔で答える。
「なるほど。浩ちゃんも伊達君も私のナイスバディーにノックアウトなのね?」
 うんうんと僕と伊達が頷く。
「でも、今からそんなんじゃ、保たないわよ。私はあくまでトップバッター。これから本命にダークホースもいるんだから」
 響子姉(きようこねえ)は悪戯っぽく笑った。
「なーに? なに騒いでるの?」
 響子姉(きようこねえ)の言葉に応じるように現れた声は三枝のものだった。僕と伊達は救いを求めるように更衣室の出入り口に目を向けた。
 脳が発熱して視界がホワイトアウトした。
 深紅のビキニ。バストは84のEカップと見た。ウエストは56。ヒップは87あるのかな?
 あの服の下にこんな肢体が隠されていたとは、三枝、恐るべし。トータルバランスのとれた肉体は水着モデルで食っていけそうだ。伊達はおあずけを食った犬の目で三枝を見つめている。響子姉(きようこねえ)と並んでいると、更に人目を引きつける。いや、響子姉(きようこねえ)と水着で並ぶ根性が裏打ちされている肢体が素晴らしい。響子姉(きようこねえ)が絢爛豪華な華なら、三枝は深紅の薔薇だ。
 集まる視線に妬みが混じり始めた気がする。
「……賑やかね」
 その怜悧な声に、僕の視界は新緑の色に染まった。言うまでもない。彩宮さんの登場なのだが、正視出来ない。水着は新緑の色のワンピース。所々にパステルイエローのラインが走っている。問題はそのカッティング!
 胸元とお尻のすぐ上にハート形の大胆なカッティングが施されている。メッシュで補強されているが、あまりにも際どい。見えそうで見えない所が視線を引きつける。その肢体は若鮎を思わせた。サイズは79・55・80と言ったところだろうか?
 思考とか理性は消え失せた。スリーサイズは三枝には劣るけれど、小柄でスリムだから、トータルバランスでは申し分がない。このワンピース、ビキニ着るより根性いるんじゃないだろうか?
 ミス桜ヶ丘の清楚な美少女の大胆な水着は、さらにギャラリーを増やした。
「……あら?」
 響子姉(きようこねえ)が小首を傾げる。
「ダークホースが来ないわね」
 彩宮さんは女子更衣室の奥へ視線をやって言った。
「出て来なさいな。浩美さん」
 浩美はバスタオルで身体を隠して、背を曲げてジト目で現れた。
「隠してちゃ、意味ないじゃない?」
 響子姉(きようこねえ)の揶揄を含んだ声に、浩美は意を決したようにバスタオルを勢いよく外した。

 ……黒のハイレグ紐ビキニ……。

 一瞬、呆気に取られた後、僕はプールから飛び出し、落ちたバスタオルで浩美を隠す。
「伊達ー! お前は見るな! 目を瞑れ!」
「いや、見るなと言われても……」
「お前に見られたら妊娠する!」
「ひでぇなぁー。おい」
 伊達がジト目で抗議するが、もちろん却下だ。愛する妹のあられもない姿を伊達なんかに見せる訳にはいかない。
「浩美! お前もお前だ! いつも可愛い格好をしろと言ってるだろ。ここはウオータースライダーもあるんだぞ。そんな格好で水着が外れたらどうするんだ! ここは水着も売ってるから買ってやる。ワンピースに着替えろ!」
「ヤダ! お兄ちゃんなんかキライだ! 杉浦さんも来るのに普通の水着なんか着れない! ウオータースライダーなんか行かないもん!」
 今までにない激しい拒絶。思わず息を飲んでいると、響子姉(きようこねえ)が割って入った。
「まぁまぁ、浩ちゃん。いいじゃない。似合ってるし、人目も集めてる。この歳で色気出せるなんて凄いわよ~ そういう事で収めてね。今日は浩美ちゃんは私と来ているんだから」
「私も良いと思うけど……」
 彩宮さんが後ろ手に半眼で僕を見据えて言う。あれは僕の狼狽えぶりを非難する冷たい目だ。
「まぁ、私らも浩美ちゃんが冒険してくれたから、恥ずかしさも半減した訳だから、許してあげなよ。神崎」
 三枝まで浩美擁護に走る。
 伊達はと見ると「グッジョブ!」と浩美に親指を立てていた。
 この女性陣を敵に回す度胸は僕にはない。
「……まぁ、皆が言うなら良いけど……浩美、何があっても僕は助けないからな」
 一応、拗ねてみた。何がおかしいのか女性陣はくすくすと笑った。

 それからは遊んだ。遊んだ。百メートル自由形競泳とか、流れるプールで浮き輪からの落とし合いとか。
 ウオータースライダーでは響子姉(きようこねえ)が浩美を引き離し、僕と彩宮さんと伊達と三枝をカップリングで行かしてくれた。
 人気のあるアトラクションなので、階段に行列が出来ている。
 彩宮さんはいつの間にか僕の手を握っていた。
 それまでひたすら体を動かす事で妄念を紛らわしていた僕は、その柔らかな手の感触にどぎまぎした。これから体を密着させて滑り台を降りるのかと思うと、鼓動が激しくなった。
「……ねぇ」
 彩宮さんが顔を俯かせて小声で囁いた。
 返事の代わりに手を強く握る。
「水着の感想聞いてないんだけれど……」
 それだけで心臓がドクンと音を立てた。
 僕は無言で繋いでいた彩宮さんの手を自分の左胸に押し当てた。
「分かるだろ? こんなにときめいてる」
 唖然とした表情で僕を見上げていた彩宮さんは、一瞬で顔を朱に染めた。僕の胸から手を放し、素早く一歩後ろに下がる。
「貴男と言う人は―――」
 顔を朱に染めたまま、まなじりを決する。
「天然の女たらしねっ!」
 そう言った。
「……はい?」
 思わぬ言葉に僕は呆然とする。
 彩宮さんは、赤らめた顔のままそっぽを向き、「いいわ。スライダーで目に物見せてあげるから!」
 はて? なにをして彩宮さんを怒らせたのかなと考えていると、彩宮さんは僕の左腕にぎゅっと抱きついて来た。
 正直、慌てた。
「ちょっ! ちょっと、彩宮さん?」
「これ位なによ? これからもっと凄い事になるんだからね!」
 彩宮さんは悪戯な子猫のように笑った。
 どうやら怒らした訳でもないらしい。

 そして、ウオータースライダーは僕の意識を真っ白にする程のものだった。

 彩宮さんは「きゃーきゃー」悲鳴を上げて喜んでいたが、僕は楽しむどころじゃなかった。なにしろ意志に反して体が触れる。急なカーブで彩宮さんを落とすまいと掴むと、あらぬ所へ手が行くのだ。理性が保てる訳がない。
 降りきった時には肩で息をしていた。僅か数分、滑り台を降りるだけで真夏の道場でかかり稽古を三本するより疲れた。
 なんだか堅めのマシュマロで出来た桃の実の様な物を思いっきり触った感触が生々しく残っていた。
 彩宮さんは僕に腰を支えられた格好でプールに着水すると、とんとプールの床を蹴って前へ出る。そして「おもしろーい!」と笑い声を上げて、僕を振り返った。
「もう一回♪」
「へっ?」
 あれをもう一回するのかと思うと呆然とした。
 そこに後続の暴走カップルが、けたたましい笑い声と共に下りて来る。
「神崎ー! どけーー!」
「邪魔よぉ~!」
 伊達に抱えられて滑り下りて来た三枝は、その勢いで、一瞬宙に浮き、僕の背中にWキックを決めてくれた。僕は前のめりにつんのめって、プールの水をしたたかに飲む。
「きゃははははは!」
 三枝と彩宮さんが異様なハイテンションで笑った。
( 彩宮さんって、こんなキャラだったけ?)
 水の中でぼんやりと考える。
「よーし! ラスト三周決めるわよー!」
 三枝が叫ぶ。
 あと三回これをやるのか?
 なんだか天国なのか地獄なのか、良く分からなくなった。

 ―――好事魔多し。

 みんなで昼食を済ませ、三組に分かれてビーチバレーの真似事をしている時にそれは起きた。
「おっしゃ! シュート!!」
 プールに轟く気合いで、響子姉(きようこねえ)は浩美が上げたビーチボールを伊達の顔に叩きつける。遠巻きに見ている人から歓声が上がる。
 伊達・三枝組。vs僕・彩宮さん組。vs響子姉(きようこねえ)・浩美組。
 運動神経・基礎体力で伊達・三枝組が圧勝するかと思ったビーチバレーだが、観戦者が出る程の熱い接戦になっていた。
 浩美はまだ分かる。小学校の二年生から僕と同じ剣道場へ通っていて、試合のレギュラーメンバーだ。運動神経も良い。
 だが、響子姉(きようこねえ)がここまで天才的な運動神経を持っているとは思わなかった。どんな球でも拾うし、上背を生かしてのシュートは鋭い。
 それでも伊達・三枝組の方が分があったはずだった。問題は、響子姉(きようこねえ)と浩美の肢体を覆う布地の少なさだった。伊達は思わずたわわに揺れる肢体に見とれて、動きが一瞬遅れるのだ。
 そのために先程のように顔面でシュートを受けていたりする。三枝はそのフォローに縦横無尽の動きを見せていた。
 伊達の顔から落ちるビーチボールをパスの形で三枝が彩宮さんに渡す。
 彩宮さんも、イメージとかけ離れた敏捷さを見せていた。受けられない球は殆ど無い。
 今、三枝から回ったビーチボールを僕の前へ高く上げる。きちんとシュートポジションに上げてくれる。僕はその球を八つ当たり気味に浩美の胸へ叩きつけた。
「きゃっ!」
 と悲鳴を漏らしながらも、浩美はなんとか受け止めて響子姉(きようこねえ)にパスをする。
 再びシュートを決めようとした響子姉(きようこねえ)は「あら?」と声を上げて動きを止めた。
「?」
 全員響子姉(きようこねえ)の視線の先を見る。伊達が溺れていた。水の中に沈んで、虚空を掴むように手をバタバタさせている。水深は1メートルのプールだ。普通溺れない。
「正彦ー。あんた、さっきからなにやってんのよ?」
 三枝が溜息混じりに伊達の首に手をかける。
 とたんに「きゃっ!」と言う可愛い悲鳴と共に三枝も沈んだ。
 僕と彩宮さんは顔を見合わせ、二人同時に潜った。
 三枝は伊達から手を離して、水上に出ている。
 目を疑った。
 伊達の右足の脛が、プールの底に三分の一程埋まっている。僕は思わず伊達の足にしがみつき、プールの底から引き上げようとした。とたんに凄い力で引っ張られた。
 いったん水上に出る。大きく肺腑に息を吹き込む。同様に水上に出て空気を溜めてる彩宮さんと目が合った。それでお互い何をしようとしているのか分かった。
 二人して計ったようなタイミングで水の中へ潜る。
 伊達の足へ向けて、唱えるは破邪の印!
「←(ティール)!」
「カーン!」
 その瞬間、コンクリートのプールの底がガラス板のように透けた。
 ガラス板の向こうにパジャマ姿の少女がいた。
 子鹿のような愛くるしい少女だが、今は般若のような形相で伊達の足首を掴んで引っ張っていた。
 元が愛くるしいだけに、その憤怒の表情は吐き気がするほど醜かった。
 目が合った。
 少女は驚愕の表情を浮かべた。伊達の足首を放して、向こうの闇へ消える。伊達の足はコンクリートの底から解放された。
 水を飲んだ伊達は激しく咳き込んでいる。
 僕は伊達の体を抱えて、プールの外に出た。
「なに? なにがあったの?」
 狼狽える三枝に「ただのこむら返りだよ」と嘘をつく。
 プールサイドで、伊達は上体を起こして座り込み激しい咳を続けていた。女性陣が心配気に見守る中、僕は伊達の背中をさすっていた。
 彩宮さんはと言うと、僕らに背を向け仁王立ちで、野次馬達を睥睨している。その冷え切った刃のような視線は、野次馬達を石化させて近寄らせない。
 正直、助かった。大事になると後が困る。
「す、すまん。助かった」
 ようやく伊達が声を上げた。
 三枝を筆頭に全員安堵の息を漏らす。
「……俺、どうなったんだ?」
 伊達は自分の状況を把握していなかった。僕の口からトドメをさすようなことは言えな
い。
 響子姉(きようこねえ)が伊達の右足首を指して小さく叫んだ。
「これ、なに?!」
 それを見て「ひっ」と叫んで三枝がへたり込む。
 伊達の右足首には青く手の痣が浮かんでいた。


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