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 私の「自己」なるものや、これが「わたしである」という自意識が芽生えたのは、おそらく小学生の高学年の頃だったか、と思う。

 私が小学生だったのは昭和のはじめの時代である。当時、学校では毎朝、国旗を掲揚し、祝日ともなれば国歌を聴いたり、口ずさんだりするのが日常だった。日本はいよいよ軍人が大股で闊歩するようになってゆく。それがその時代の空気でもあった。

 何が言いたいかというと、私の自己なるものは、かけがえのない自分の生命はもとより、時代の空気がまとっていたものや教育、自然に身に着けたもので「できている」のではないか、ということだ。

 そこで筆頭にあげられるのは、やはり「躾(しつけ)」である。

 当時の「躾教育」は明治23年10月に発効した『教育勅語』が柱にあった。さまざまな意見があろうことは承知しているが、この時代の空気をじかに吸い、それが自意識の一部になった身からすれば、こうした道徳が子どもたちの生活に秩序をもたらし、守ってくれていたのは事実である。

 人々は豊かではなかったし、厳しい生活を強いられていた。それでも空気に安心感があり、わたしには何か大きなものに守られているという実感があった。学校でイジメがあって生徒が自殺をするようなことはなかった。のびのびとした毎日であったように記憶している。

 今の世の中はモノにあふれ、豊かになった。これもすべて支える人があってこそであり、モノとは血と涙の結晶にして、けっしてタダ、無料ではないのである。粗末にしていい謂われなどない、と私なぞは考える。

 だが、多くの人はさほどの抵抗感なく、モノを使い捨てにし、粗略にあつかう。モノが粗末にあつかわれるとは、そこに人々の血と汗の介在を見ないことにひとしい。

 モノが大事にされないのは、翻っていうなら人が粗略にあつかわれることだ。心が貧しくなったのではないか。

 わたしの小さかった頃は「サービス」という言葉はなかった。あったのは「奉仕する」という思いだけだ。なにごとにも一生懸命でありさえすれば、なんとか間に合ったシンプルな時代でもある。むしろ、イジメなど思いもよらぬことであった。

 わたしはやがて早稲田実業で学ぶようになったが、その頃からさらに自己意識がハッキリするようになった。

 いわく、「自分を大切にする」、「他人に迷惑をかけるな」、「物を大切にせよ」という校是であったから、より自覚が明確になってきたといえるだろう。家庭では、「働け、そして誠実であれ」と学ぶが、その後、結婚をして家庭を築き、会社人間として30年間、企業の一員として生活してきた。

 企業人とは、時間から時間に生息する種族である。始業時間からはじまり、他社との約束、それから会議、はたまた納期など、「間に合う」ことが何よりも尊ばれ、大切なこととされてきた。間に合わなければ、信頼は土台から崩れ去る。日本の電車は一分一秒の狂いなくプラットフォームに入ってくるが、この感覚がまた、わたしたち  サラリーマンの自己意識でもあった。

 会社員の人生から多くの教訓を学んできたわけだが、一見、私とは縁がなさそうに思えた言葉が、のちになって自分の血肉になったことに驚く。これもやはり後天的に身に着けた自分、ということになるだろうが。 

 たとえば、「計画発展」、「堅忍不抜」、「一心如鏡」、「一進一栄」、「熟慮断行」、「和信精励」などの言葉が、その抽象的な意味合いばかりではなく、具体的な感覚として了解されてきた。これらはいずれも時間のなかに生きる我々、人間のための教訓であり、いずれ死ぬ人間の制約があればこそ輝く言葉たちだ。もしかしたら大切なものは、すべてこうした「時間感覚」とでも呼べるものに行き着くのかもしれない。

 まずは家族のため、そして自分個人のために生きてきたわたしは、今年齢88歳になる老人だけれども、一生懸命に生きれば生きるほど、こうした「時間間隔」という宇宙普遍の原理で生きていたことに気付かされる。

 「これが人生か、そしていま一度」と言いたいところだが、もうそう長い時間は残されていない。なので、この有限の時間感覚のなかで自分の手足が動いているあいだに少しでも世のため、人のため、家族のため、足跡を残してゆこうと思っている。

 

 そして最後に。

 

 フランクリンの言葉に次のようなものがある(『自叙伝』より)。

 いわく、「人の一生は長いように見えるが短い。時は刻々と過ぎていき、待ってくれない。そのとき一刻一刻に人は人生の一端を刻み込んでいっている。だから時間は無駄にできない。一度しか与えられない人生を大切に有意義なものにしたい」とある。

 わたしもフランクリン氏に賛意を表したい。平凡なようだが、時間を大切にする「誠実さ」、また「スピード」は自他の人生をより豊かに深めるため、そして「何事もすぐ動くことをモットー」にしたいのだ。

 これが今まで生きてきたわたしが残す信条にして、「自己」なるもの、またはこれが「わたし自身である」という強烈な自負である。

 


奥付



足跡としての私の信条


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