閉じる


<<最初から読む

2 / 6ページ

エール!

エール!

2015年11月16日 シネ・リーブル神戸 にて鑑賞

 

ポーラの家族にエール!

 

映画を見終わった後、爽やかな余韻が残る作品です。

エンディングで披露される、主人公ポーラの歌声は圧巻。

彼女はフランスの田舎町の高校生です。

合唱の授業を受け持った音楽教師から、天性の歌声の素晴らしさを見出されたポーラ。

「君をパリの音楽学校へ推薦したい」

ど田舎の集落しか知らない高校生にとっては夢のような話です。

音楽学校入試のための特訓が始まります。

しかし、ポーラは今ひとつ練習に身が入りません。彼女には、一つの悩みがありました。

彼女の家族は、パパ、ママ、弟、みんな耳が聞こえず、話ができない、聾唖者なのです。健常者はポーラただ一人。

本作の冒頭、よく注目してください。一家の食卓の風景が映し出されます。

ママは料理をしている。テーブルにお皿の用意をする。

ここ、バックに音楽を入れてないんです。

そしてママは料理をする時に、鍋を必要以上にガチャガチャ言わせる。お皿とお皿がガチャガチャぶつかる。

これらの音がわざと強調されて観客に提示されます。

ポーラは「うるさいなぁ~」とうんざりした顔をしているのですが、パパもママも全然気にしていない感じなのです。

だって、パパもママも、これらのうるさい「生活音」は、「聞こえていない」のですから。

ポーラの家族は一家総出で酪農を営んでいます。自家製チーズを作り、市場で販売する。お客さんとのやりとりは、いままでポーラの担当でした。

でも、もしポーラがパリの音楽学校へ行ってしまったら、残された家族はどうするのか? 

聾唖者の家族が、健常者相手にまともに商売ができるのでしょうか? 

本作は、一人の才能あふれる女子高生と、彼女を愛情たっぷりに育て上げた聾唖の家族のお話です。

障害者というモチーフを作品に持ち込んでいますが、全然暗さや湿っぽさを感じさせない。

むしろ、終始コミカルなタッチで描かれています。

この辺りが監督の手腕ですね。

たくましさあふれるパパ、人一倍ポジティブで、楽天家なママ。

ちょっと根暗だけど、愛おしい弟。

みんな聾唖というハンディキャップはあるけれど、ポーラにとっては何物にも代えがたい家族です。

時にはちょっと厄介でめんどくさいけれど、何があっても家族全員で問題に立ち向かう。それがポーラの家族の特徴なんですね。

折しも、村長選挙が間近に迫ってきました。立候補者は、この集落に大企業を誘致するんだ!と威勢のいいことをアピールして廻ります。

企業誘致?! そんなことされたら、ポーラ一家の農場だって買収されてしまうかもしれない。そこでポーラのパパはなんと村長選挙に立候補。

集落の農業、酪農を守るんだ!! とパパはやる気満々。

ちょっと暴走気味の姿は、まるでドン・キホーテのようでもあります。

そんなパパをポーラたちも家族ぐるみで応援。

これら一連のエピソードがうまく編集され、この家族の暮らしそのものが、いとおしいほどの「可笑しみ」の表現につながっているんですね。

また、パパ、ママ、ポーラたちは「手話」で話をします。その間、観客は字幕と俳優たちのマイムで会話の内容を知るわけですね。

この部分、要するに「無声映画」なのです。

かつてのチャップリンやキートンが活躍した時代は無声映画でした。

映画俳優は言葉を喋らなかったのです。

本作はその無声映画の時代へ、あえて先祖帰りした感じがあります。

そういえば同じくフランス映画で、第84回アカデミー賞作品賞を受賞した「アーティスト」(2011年製作)という素晴らしい無声映画がありました。

セリフが一切なくても、マイムだけで十分に映画芸術は成り立つのだ、ということを、21世紀の現代で証明した作品でありました。

本作もその流れを巧みに取り入れているのです。

なお、僕が本作で改めて確認させられたのは、フランスは農業大国なのだ、ということです。

日本であれば、家族単位の農業というと「零細」のイメージが当たり前です。

ところが、ポーラの家族農場、その規模の大きいこと。お父さんの乗るトラクターのタイヤは人の背丈より大きいのです。この大きなトラクターで広大な農場の干し草を刈り取り、牛の餌にしています。

そして、ポーラの住む家の雰囲気がまたいいですね。年代を経たであろうと思わせる石積みでつくられた、郷愁を感じさせる家なんですね。

たとえ、家族が聾啞という障害を抱えようとも、ポーラをど~んと受け止めてくれる、暖かな家庭。その象徴のような石造りの家。

この家族だからこそ、ローラは未来へ向けて一歩を踏み出せたのでしょうね。

**************

天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆

配役 ☆☆☆☆

演出 ☆☆☆☆

美術 ☆☆☆☆

音楽 ☆☆☆

総合評価 ☆☆☆

**********

作品データ

監督   エリック・ラルティゴ

主演   ルアンンヌ・エメラ、カリン・ビアール、フランソワ・ダミアン

製作   2014年 フランス

上映時間 105分

予告編映像はこちら

「エール!」予告編


シャーリー&ヒンダ ウォール街を出禁になった2人

シャーリー&ヒンダ ウォール街を出禁になった2人

2015年11月27日 元町映画館 にて鑑賞

 

お金じゃないのよ、人生は!

 

予告編を見たときから、このドキュメンタリー映画は、とっても楽しみにしていた。

電動車椅子に乗るおばあちゃん二人が「経済成長って必要なの?」と大学教授や、ウォール街のセレブたちに果敢に挑む、という内容である。

このおばあちゃん二人は、シャーリーが92歳、ヒンダが86歳。

いわゆる「アラナイ」アラウンド90歳という高齢だ。

アメリカ、シアトルの田舎町に住んでいる。

普段は歩くのも支障があるので、外出は電動車椅子。トコトコと踏切を渡り、スーパーマーケットに向かう。

その途中に、ホームレスの人たちが多くいる。

ニュースや新聞では、年金だけでは家賃も払えなくて、家を追い出された、とか、今は不景気だ、という。それを解決するのが「経済成長だ」と偉い人たちが言っている。

スーパで買い物をしながら、二人は

「もっと無駄使いしろってことなの? いらないモノをたくさん買って、それで世の中良くなるのかしら?」

と素朴な疑問を持つ。

売り場では、陳列された洋服ハンガーにぶつかったり、物を落っことしたりと、何事も若い人たちのようにスムースに動けない。

そんな二人が「アラナイ」にして、ついに経済問題に目覚めるのである。

なお、本作では明らかに演出が入っていることは確かである。

それを「ヤラセ」と見るかどうかは、観る人それぞれの主観に任せていいと僕は思う。

以前観た「世界の果ての通学路」というドキュメンタリー映画。

世界各国の僻地の子供達が、学校に行くために、どのような困難を強いられているか、を描いた作品である。

この作品でもやはり、あきらかな「演出」があった。

しかし、それは観客に対して、意図的に事実の歪曲を狙ったものではなかったと僕は解釈している。

さて、シャーリーとヒンダは、「とりあえず、やってみることよ」と、大学に経済学の授業を聴講したい、と申し込んだ。

幸いにも聴講は許される。

教室の中。電動車椅子に乗った二人のおばあちゃん。若い学生たち。なんとも場違いで、ちょっと気まずい雰囲気の中、授業が始まる。

訊きたいことを質問するため手を挙げる、二人の年老いた聴講生。

しかし教授の対応は冷たかった。

「授業中の質問は、一切受け付けない、いやなら退室しなさい」とのこと。

電動車椅子でゆっくり教室を出て行く二人。

でも、いやな先生ばかりではない。

二人はツテを頼って、年老いた物理の教授から話を聞くことができた。

その老大家は言う。

「世の中の人たちは”指数関数”について、何も分かっちゃいませんね」

老大家は、アメーバのたとえ話を二人に披露した。 

瓶の中にアメーバを飼う。

アメーバは1分で二つに増えてゆく、とする。

さて、11時に瓶の中へ、アメーバをたった一つだけ入れてみる。

しかし12時、アメーバはみるみる増殖し、瓶の中から溢れて出してしまった……と仮定する。

ここで教授から質問。

「さて、瓶の中が半分になったのは何時何分でしょうか?」

シャーリーとヒンダは、ふぅ~むと考え込む。

やがて、

「そうねぇ、たぶん11時59分でしょ」

ご名答!!

素晴らしい!!ファンタスティック!!

先生はにっこり。

「だって1分で倍になるんですもの。12時の1分前は、瓶の中は半分だったってことよ!」

続いて質問。

「じゃあ、アメーバが、このままだと瓶から溢れる!!と気がつくのは、何時何分でしょうね?」

 老教授はニヤリとする。

そう、瓶に半分の時でも、まだ、誰もが気づかないのだ。残された時間は、あと、たった1分しかないのに……

これがまさに今、地球と人類が抱える問題なのだ。

先生は優しく解説してくれる。

「経済を5% ”成長させ続ける”ということは、このアメーバの理屈と全く同じです。全世界の人達が、アメリカの一般市民と同じ暮らしを『維持する』だけで、地球があと4個か5個、必要なのですよ」

そして首をすくめる。

「もっとも最近宇宙では、地球のような”いい物件”はまだ出回ってませんがね」

環境経済学の先生の話も興味深い。

先生は優しくシャーリーとヒンダに説明する。

「資源を使ったら、その資源が自然によって再生されるまでは、次の資源を使わないことです」

このシーンは数分である。その中で観客である僕が理解するには、ちょっと解説が複雑だった。要するにこれを一言で言い表すのが「サスティナブル」という用語なのだろう。

ー持続可能ー

右肩上がりの成長が全てを解決するのだ、という偉い人たちがいる。勝ち組の論理は、富める者たちが、現状の富をさらに増やし続けるための、都合のいい論理だ。

この人たちはきっと、自分たちが地球をショートケーキのように切り分けて食べ続けていることを自覚していない。

こういう一握りの「特権階級」を自認している人たちが集まる、ディナーパーティーが開かれる。

このパーティーにシャーリーとヒンダ、二人のおばあちゃんが挑む。

「質問したいの!」

「成長は必要なの?」

「私たちに、分かるように教えて欲しいの!」

あまりにも素朴すぎる質問。会場に居合わせたセレブ達は失笑する。しかし、二人は真剣だ。

やがて屈強なボディーガードが現れ、二人はパーティー会場からつまみだされてしまう。

しかも脅迫めいた言葉と共にだ。

こうして二人はウォール街を「出禁」になってしまう……

というのは、実は日本語版スタッフが作ったキャッチコピーである。

さて、二人にはよく分かっている。

もうじきお迎えがやってくる。

今の自分たちが欲しいのは、「お金」や「モノ」でもなく、憐みでもない。

彼女たちが最も欲しいのは、時間なのだ。

彼女たちは「経済成長は人を幸せにするのか?」という巨大なテーマに出会ってしまった。

それに気がついたのは残念ながら、シャーリーが92歳、ヒンダが86歳になってからのことだったのだ。

この大きな命題を解く鍵が欲しい。それにはもちろん勉強したり、人を訪ねて行ったり、何かと時間がかかる。

彼女たちはある意味、幸せな老人たちなのかもしれない。

自分達の残された時間で、取り組むべき課題を見つけている人だからだ。

その命題が解けるまで、とてもじゃないが「死んでたまるもんですか!」

と二人は奮闘する。

この二人の「怖いもの知らず」の行動に、観客は爽やかさを感じる。

なぜだろう。

おそらくそれは、彼女達が「無私」であるからだ。

彼女達は自分たちの残り時間が少ないことを知っている。

こういう人たちが、何か人のために、と覚悟を決めた時、もう、この世に怖いものなど存在しないのだ。

自分がこの世を去った時、子どもや孫達が、よりよい世界で暮らしてほしい。

よりよい世界を残したい。

そんな「無私の心」が僕たち観客の胸を打つのだ。

ちなみに本作の上映時間は90分にも満たない。82分だ。

しかし、このチャーミングな、おばあちゃん達のエネルギーと、生き続ける勇気に、十分すぎるほどの満足感をもらえる82分なのである。

**************

天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆

配役 ☆☆☆☆

演出 ☆☆☆☆

美術 ☆☆☆

音楽 ☆☆☆

総合評価 ☆☆☆

**********

作品データ

監督   ホバルト・ブストネス

主演   シャーリー・モリソン、ヒンダ・キプニス

製作   2013年 ノルウェー、デンマーク、イタリア

上映時間 82分

予告編映像はこちら

「シャーリー&ヒンダ ウォール街を出禁になった2人」予告編

 


FOUJITA

FOUJITA

2015年11月24日 神戸国際松竹 にて鑑賞

 

「フーフー」と、キツネの贖罪

 

小栗康平監督がレオナール・フジタの映画を完成させた、と聴いて、ちょっと胸騒ぎがした。

「早く観にいきたい」という気持ちと、「もしかして……」という一抹の不安、相反する気持があったのだ。

僕は小栗康平監督の「埋もれ木」という作品を、名古屋のミニシアターで鑑賞した。2005年のことだったと思う。

そのあまりの抽象性に「さっぱり訳がわからん」とひどく落胆した、嫌な思い出があったのだ。

レオナール・フジタ(藤田嗣治)は映画の題材として、あまりに魅力的だ。

しかもフジタを演じるのは、オダギリジョーだという。

いやはや、この作品は魅力的すぎる!!

こんな美味しいニンジンをぶら下げられたら、もう映画好き、美術好きとしては劇場に向かって走る以外ないだろう。

しかしである。

もし、ここで、小栗監督お得意の抽象性で描かれたら、もう本作は、それこそ太平洋戦争末期の日本軍さながらに、映画興行として「玉砕」してしまうのだ。

そんな不安を抱えながら僕は劇場にいそいそと向かった。

上映が始まると、僕の不安は安堵に変わった。

小栗監督は所々でやはり、抽象性を挟みつつも、実に丁寧に抑制された演出で、淡々と藤田嗣治と女たち、そして彼が生きた時代を描いて見せるのである。

映画前半、エコール・ド・パリでの「フジタ」

彼の描く乳白色の裸婦像は、パリっ子たちにとって「東洋の神秘」

「誰も真似できない」として絶賛されまくる。

夜の街に繰り出せば、誰もが彼を「フーフー」という愛称で呼ぶ(ちなみに、これは「お調子者」という意味らしい)

彼はパリのアーティストたちの、まさに中心人物として担ぎ上げられる。

束の間の平和、日ごと、夜ごとの乱痴気騒ぎ。

「フジタ」はパリで最も有名な日本人として、時代の「波」に乗った。

芸術家たちにとって、なんと幸せな時期であっただろう。

しかし、すぐ暗黒の時代がやってくる。

映画の後半は、まさに作品をバッサリと真っ二つに切ったかのようだ。

舞台は戦時下の大日本帝国。

そこにはもう乱痴気騒ぎはない。

あるのは疎開先での質素な田舎暮らし。

そして軍から集落に強要される、定期的な「金属の供出」である。

フジタはフランス帰りの洋画の大家として、日本軍に迎えられる。

戦意高揚のため、戦争絵画を描くように軍から要請されるのだ。

彼は軍から請われるまま、アッツ島玉砕の大作を描く。

フジタは、その玉砕を美化した、日本軍の協力者として、戦後に激しいバッシングを受けることになる。彼は故郷ニッポンの地を二度と踏むことなく、スイスのアトリエでその一生を終える……

本作は彼の戦後については、あえて描いてはいない。

疎開先でのフジタは、ある日、知人からキツネに「化けかされる」話を聞いた。

「そんな迷信を……」とフジタは笑う。

しかし、残酷な戦争は、フジタ自身をキツネにしてしまったのかもしれない。

彼は日本軍から「少将待遇」という、とんでもない高い位を与えられる。

その象徴として、将軍が羽織る、マントをもらっていたのだ。

そのマントを羽織って、下駄を履いて、田舎の里山を散策するフジタ。

これがエコール・ド・パリで一斉を風靡した、同じ人間なのか……

化かされたのは誰か? 化かしたのはだれか?

滑稽なまでのマント姿のフジタ。

それを淡々と演じるオダギリジョー。

時代に弄ばれたフジタの姿はあまりに痛々しい。

なお、本作では描かれていないが、フジタは生涯の終わりに、教会の壁画を手がける。自身手がけたことのないフレスコ画への挑戦だった。

フランスに帰化し、カトリックの洗礼を受けたレオナール・フジタ。

自分が犯した罪と罰。

それをどう裁くのかは「神様」が決めてくれるだろう。

絵描きは絵描きとしての責任を全うすべきなのだ、という、フジタなりの決着のつけ方ではなかったか?

本作のエンドロールで映される、その小さな教会を眺めながら、僕はそんなふうに思った。

********************

天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆

配役 ☆☆☆☆

演出 ☆☆☆☆

美術 ☆☆☆☆☆

音楽 ☆☆☆

総合評価 ☆☆☆

**********

作品データ

監督   小栗康平

主演   オダギリジョー、中谷美紀、アナ・ジラルド

製作   2015年 日本・フランス合作

上映時間 126分

予告編映像はこちら

「FOUJITA」予告編

 


ガールズ&パンツァー 劇場版

ガールズ&パンツァー劇場版

2015年11月30日  OSシネマズ神戸ハーバーランド にて鑑賞

 

世界平和のために「パンツァー、フォー!」

 

え~、何と申しましょうか。ミリタリーオタクとまではいきませんが、ミリタリー好きなアマミヤでございます。本作は完全に戦車マニア・ミリオタ向けです。よって、一般の方のご批判は、その分ちょっと割引いていただいて……

なんぞと思っていたのですが。

テレビシリーズでファンになった僕から見ても、本作は明らかに

「つまらんぞぉ~!!」と言いたくなる出来でしたねぇ。

「ガールズ&パンツァー」をご存じない方に、ちょっと解説です。

このお話は、「茶道」や「華道」などと同じように「大和撫子の嗜み」として「戦車道」があるという設定になっています。また「お茶」の裏千家、表千家、武者小路千家のような「流派」まであるんですね。

戦車道がある高校は「学園艦」という、巨大な航空母艦のような船が母校なのです。そこは一つの街になっておりまして、高校生達の家族が一緒に住んでいます。

さて、主人公の”西住みほ”は「戦車道西住流」家元の次女です。

(写真、真ん中の子が、西住みほ)

実は彼女、戦車道の試合で、あるトラウマを抱えておりまして、親元から離れて、戦車道のない「県立大洗女子学園」に転校してきました。そこで友人もでき、ホッとしたのもつかの間。

なんと転校してきたばかりの母校が廃校の危機に。それを救う条件がありました。「戦車道全国大会」で優勝すれば文科省から廃校を免れる、というのです。そこで西住みほは、生徒会のゴリ押しもあって戦車道の隊長に就任。

伝統ある西住流戦車道のDNAなのでしょうか。大洗女子学園は見事全国大会優勝を勝ち取ります。しかし、廃校の危機は去った訳ではなかったのでした……

やっぱりねぇ「ガルパン」も、いわゆる萌え系、女子高生系列の路線に乗っかって出てきた、作品だと思うわけです。

ただ、女子高生が「戦車」に乗って戦う、というありえない「ぶっ飛んだ」インパクトが強烈だったんですね。

それが視聴者の度肝を抜き、アニメファンが文字通り「食いついた」訳です。

フツーの女子高生を「リアルに」「ふつう」に描いた作品としては、廃部寸前の軽音楽部に入部した、女子高生達を描いた「けいおん!」がたいへんなブームになりましたね。彼女達は「涼宮ハルヒ シリーズ」 や「中二病でも恋がしたい」 などの作品のように、自意識過剰のあまり、宇宙空間へワープしたりするようなことはありません。

また、その真逆もアリなのがアニメの魅力でして「時をかける少女」 や「サマーウォーズ」 のような、異次元空間を扱ったようなSF作品も人気があります。

これらの作品に共通するのは、

「魂は細部に宿る」

というセオリーを守っていることです。

そしてなにより

「子供達に対して子供扱いしない」ということ。

それをきちんと分っていらっしゃるのが、あの巨匠、宮崎駿監督であることは、僕が言うまでもないでしょう。

実は男子という生き物は、たとえ五十や六十になっても、やんちゃで、変なことにこだわったりする、愚かしい「子供」の部分があるのです。

(ちなみに男のアホさ加減「いくつになっても子供」であることを、端的に表現したのが、宮崎駿監督の『紅の豚』 という作品ですね。ぼくはこれ大好きなんです。名作だと思ってます)

そんな子供みたいなオッサン達を、優しく母のように包み込んでくれるのが、女性にしかない「母性」というものであります。

「オトコ」を戦車のようにうまく操縦するには、世の女性の皆さん、ここら辺りの「男のアホさ加減」をよぉ~くご理解の上、ご配慮くださいますよう、よろしくお願い申し上げる次第です。

 

はて、僕は何を書いてるんでしたっけね。

そうそう「ガールズ&パンツァー」のことですよ。

本作も細部はちゃんと描けてます。

戦車のメカニズム、ディティールの表現そのものには、ちゃんと魂入ってます。しかしながら、僕が本作で一番、不満だったのは

「子供扱いされたこと」だったのです。

戦車ファンが観客だろうから、戦車どうしの闘いを、たくさん描けばいいだろう、というのは、いかにも安直すぎやしませんか?

これ、観客として、明らかに見くびられているぞ、と思う訳です。

先にあげた「けいおん!」や「サマーウォーズ」などは違いますね。

どこが違うか?

登場人物達が「ちゃんと生きてる」感じがします。彼女達、彼らは失敗もするし、葛藤し「ちゃんと悩む」んですね。

漫画界の巨人である手塚治虫氏は、はっきりと「勧善懲悪モノは描かない」と述べられていました。その典型が、無免許ながら、天才的な外科医の腕を持ち、途方もない報酬をふんだくる男「ブラック・ジャック」です。

彼もまた「命とは何か?」に悩む一人の医師でもあります。

かつて鉄腕アトムをアニメ化するときにも、手塚氏は言いました。

「アトムはもっと悩むんです。ハムレットのように」

そして手塚氏は子供達に「一流の」作品を届けようとしました。

子供達だからこそ「一流」に触れておくべきだ、という信念があったのでしょう。

「ガルパン」テレビシリーズでは、ちゃんと登場人物達が生きてた感じがします。彼女達はそれぞれ、若さゆえの悩みや、葛藤、家庭の事情を抱え、彼女らなりに「大和撫子の嗜み」とされる「戦車道」に打ち込みます。

そこに彼女達の、未完成ではあるけれど、一所懸命頑張っている姿、不器用で、傷つきながらも成長する姿に、見るものは親近感を抱き、惹きつけられるんですね。

本作では、すでにテレビシリーズをご覧になった方、もう「ガルパン」のキャラクターは知り尽くしているよ、というファンの方なら、それなりに満足感は得られると思います。

お子様向けアニメ作品であろうが、映画は世相を反映してもいいし、また、紛れもなく時代の表層に乗っかるものでもあります。いま日本では、安保関連法案が成立し、集団的自衛権とか、自衛隊の海外でのドンパチも間近なのか? など、軍事面での動きがクローズアップされております。

その中でなぜいま「戦車のアニメ」なのか?

本作は「戦意高揚」「プロパガンダ」ではないのか? といった具合に勘繰られてもしたかない部分さえあります。

であるならば、その批判を逆手に取り、もっと志を高く持って、世界の平和のために、この「ガルパン」を活用してみてはどうか? と僕は思う訳です。

本作は女子高生と「戦車」という「ぶっ飛んだ」組み合わせです。

これだけぶっ飛んだ企画なのに、なぜチマチマと「大洗」の市街地だけを舞台にするのか?

「けいおん!」劇場版 ではイギリスに卒業旅行しましたね。

ならば「ガルパン」も世界に打って出るというのはどうでしょう。

例えば、国連主催の平和イベントとして、世界戦車道選手権大会みたいなのが開かれる。そこで日本の片隅の地方都市、大洗の街からやってきた、西住みほ達五人が、世界中の高校生達、そして多様な戦車とその戦い方を通して、そのお国柄、文化にふれあう、交流する。

ロシア人や、中国人はこんな風に考えているのかぁ~とか、フランス人は時に死んだふりをしてやり過ごす、とか、さらには中東、イスラエルの戦車 だってメカニズムは素晴らしいものがあります。

その国の文化、考え方、技術力、国力、すべてが実に分かりやすく反映されるのが、意外にも「戦車」を含めた「武器」に他なりません。

たかが戦車ですが、されど「戦車」でもあるのです。

僕を含め戦車に夢中になっている「男の子」たち。その「子供心」

その一端でもちょっとお分りいただければ幸いです。

**************

天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆

配役 ☆☆☆☆

演出 ☆☆☆

美術 ☆☆☆☆

音楽 ☆☆☆

総合評価 ☆☆☆

**********

作品データ

監督   水島努

声の出演 渕上舞、茅野愛衣、尾崎真実、中上育実、井口裕香

製作   2015年 

上映時間 119分

予告編映像はこちら

「ガールズ&パンツァー劇場版」予告編


奥付



2015・12月号映画に宛てたラブレター


http://p.booklog.jp/book/102467


著者 : 天見谷行人
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/mussesow/profile


感想はこちらのコメントへ
http://p.booklog.jp/book/102467

ブクログ本棚へ入れる
http://booklog.jp/item/3/102467



電子書籍プラットフォーム : ブクログのパブー(http://p.booklog.jp/
運営会社:株式会社ブクログ



この本の内容は以上です。


読者登録

天見谷行人さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について