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Scene15      ――吃音の博士

 

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    15

 

 

 ――男の名前はポーラット・ピンチャー。


屍を啄む蟹カタヴァー・ギャザーズ”の幹部ゼヴェルジェン・W・ラーマスに雇われた、生体加工の研究者である。

 

 



 ポーラットは頭上を飛び回る蟲どもを、憎悪を篭めた視線で見上げた。


 彼は夜を愛していた。そして、彼は夜光蟲どもが大嫌いだった。


 ポーラットは思う――自分が子供の頃には、こんな目障りなものはいなかった。夜の灯りといえば月と星、それから、聖楼教会が辻や門に掲げる松明くらいのものだった。もう何十年も帰れていないが、故郷であるソルレイヌにはきっと今もこんな不快な生物はいないだろう。


 こんな蟲どもに巣食われたアーヴィタリスという街だって、彼にしてみれば不快の対象でしかない。この街の夜は眩いだけでなく喧しく、慎みというものがない。まるで際限のない祭りの最中にいるかのようだ。ソルレイヌでは日が沈んでから出歩く者はほとんどおらず、人が集まるのは盛り場だけだったのに。


 幼い頃からポーラットは身体が弱かった。臆病で、どもる癖があり、近所で遊ぶ子供たちのグループからは爪弾きにされていた。そのぶん――かどうかはわからないが、彼は夜目がとても利いた。ほとんど真っ暗闇であっても支障なく歩けたし、ついでにあまり眠らなくても平気な性質たちでもあった。深夜、女中たちも寝静まった屋敷からこっそり抜け出し、誰もいない公園や遺跡広場を我が物顔で散歩することは、子供の頃の彼の唯一の楽しみだった。


 ポーラットの生家はソルレイヌでも五指に入る大貴族だった。父の名はミグルド・ヌア。三千の兵からなるソルレイヌ勅衛隊を率いる勇将であり、しかもゴラーガンの大武勇台で行われる天覧剣技試合の連覇者でもあった。


 ミグルドは一人息子のポーラットに期待をかけ、幼い頃から剣や乗馬、学問などにそれぞれ専任の教師をつけて英才教育を施そうとした。しかしポーラットは、そんな父の期待に何ひとつ応えることが出来なかった。木剣で叩かれる痛みに怯えた。厩舎で一番おとなしい馬さえ怖くて仕方なかった。勉強においてすら、並みの子供より遥かに理解に遅れる有様だった。


 何より彼を辛くするのは、自分を見下ろす父の目に失意の色が混じることだった。


 何より彼を惨めにするのは、そんなクズのような息子じぶんに対しても、父の愛は決して失われなかったことだった。
「ポールよ。我が家督を継ぐ者として、お前は人の上に立てるだけの人物にならねばならん」十一歳になったばかりの彼に向け、父は厳かな声で言ったものだった。「だが、それには長い忍耐と修練が必要だ。誰しも初めから名手足りうるわけではないのだからな。――気に病むことはない。帰ったら、私自ら剣の握り方から教えよう」


 しかしその約束が実行されることはなかった。遠征に発った父は流れ弾に額を撃ち抜かれ、物言わぬ骸として帰還したのだ。


 幼いポーラットに代わって家督を継いだ叔父が最初に行ったのは、目障りな兄の息子を聖職学校への寄宿というかたちで国外放逐することだった。吃音で臆病な少年は異国の地にて嘲笑の的となり、ひどい虐めにあった。


 しかし彼はいくら小突かれたり、パンを盗られたりしても、学友や叔父を憎むような感情を抱くことはなかった。ただ、父の死が悲しかった。悲しくて、哀しくて、涙が止まらなかった。このような悲しみが世界に存在するとは思わなかった。


 少年だったポーラットは考える――どうして父様は死んでしまったのだろう。父様は皆から慕われる将軍で、しかも最高の剣士だったのに。誇りと威信を賭けた決闘ならともかく、どこの誰とも知れない者が撃った鉛の小片によって命を奪われるなど、あの偉大な父に相応しい末路ではない。


 ポーラットが憎んだのは父の命を奪った兵士ですらなかった。彼の憎悪の対象は、銃というだった。
 確かに銃は剣より強い。当然だ。どちらも人を殺せるのなら、より遠間から撃ちこめたほうが有利に決まっている。それくらいの理屈、子供の自分でもわかる。


 ――だが、おかしい。


 やっぱり、何かが間違えているように思えてならない。


 そうだ、たとえば、味方の軍勢を鼓舞する際には名剣を掲げるものではないのか? 刃による断罪なしに、罪人に名誉ある死を与えられるのか? 勇者の振るう剣でなくて、伝説の竜の鱗を貫けるのか――……? そうだ、おかしいのだ、あの偉大な父が流れ弾などで命を奪われるなどあってはならないことだおかしいことだおかしいことは正されなくてはならないおかしいなら自分が正さなくてはならない何故なら自分はヒトの上に立つ人物なのだからそうならなくてはならないのだから父様にそう言われたのだからでもそう言った父様は死んで銃に殺されて剣を教えてくれるという約束を守ってくれなかった父様が剣を教えてくれないから僕はいつまで経ってもヒトの上に立てるだけの人物になることが出来ない――……


 少年の疑問、憤り、悲しみ、そして憎悪は、しかしそのままであれば何の実も結ぶことなく埋もれ消えたことだろう。どれだけ激しい感情を抱こうとも、彼にはそれをぶつける先など持っていなかったのだから。


 が……十四歳のとき、彼はと出会った。


 それはただの可能性――しかし長ずれば、銃を戦場の主役から追い落とすかも知れない可能性だった。


 加工生命のわざ。ヒトを、いや、あらゆる生命体をへと変貌させる神秘のすべ


 その可能性に指をかけ、ポーラットは考える。


 ――剣という武器は美しい。が、しかし長いことその形状に変化はない。対して銃はどうだ。ライフリンクに雷管。バックローダーに連射機構。まるで乳飲み子が立ち上がったり喋りだしたりするように、あの忌まわしい武器はどんどん進化していく。


 鍛冶屋たちが何千年もかかって、剣をこれ以上進化する余地のないものにしてしまったというのであればそれは仕方のないことかも知れない。なら、自分は弾を受ける側の進化を試みよう。そして銃という卑劣な武器を否定し、剣と剣がぶつかりあう戦場を取り戻すのだ。


 そう……銃があったから父は死んだ。


 銃が剣より強かったから。


 銃が父より強かったから。


 銃がどんな人間よりも強かったから。


 ならば造ろう――この、生命を加工する術によって――というものを。


 以降のポーラット・ピンチャーの人生はその妄念に取り憑かれた。聖職学校は中退した。本来の相続の何百分の一の遺産金はすべて研究のために費やした。余暇を過ごすことなど思いつきもせずに、ただひたすら加工生命の業を極めんとした。 しかし……そうやって己の全てを捧げても、理想にはまるで至らなかった。


 生物は取るに足らないように見える虫けら一匹でさえ、人間の思いつくどんなパズルよりも複雑な構造の芸術品だった。そこに何かを足したり引いたりすることなど、ほとんど狂気の沙汰だったのだ。


 そしてなお悪いことに、十数年前、大陸中の国家による合同議会において、加工生命の人体への処置を禁止する法が採択された。道楽家の貴族をパトロンとして研究費を得ていたポーラットは寄る辺を失い、地下に潜ることになる。もちろん禁制に指定されてしまった以上、研究を完成させても世に認められることはないのだが……そんなことはもはやどうでもよかった。ヌア家に迷惑をかけないため、彼はついに姓すらも捨てた。


 長い放浪の末、彼は“成り上がり都市”アーヴィタリスへと流れ着く。この猥雑な街には富があり、彼の研究を応援利用しようとするならず者がおり……そして、夜闇を払う羽虫がいた。 今や四十一歳となったポーラット・ピンチャーは頭上を飛び回る蟲どもを、憎悪を篭めた視線で見上げる。


 加工生命の業とは自然界の摂理に逆らう、いわば“不自然な生命”を造り出す技術だ。しかし不思議なことに、優れた加工生命であればあるほど自然な存在に近づいていく。そこへいくと、あの羽虫は実に自然なものに見える。ホタルよりずっとまばゆく輝く翅、黄金率を感じさせる優美なフォルム……それはまるで、何万何億年もかけてああした種族に進化してきたようですらある。


 一体どこの誰が造り上げたのかは知らない。が、あのニュクス・フライとやらはよく出来た作品だ。そして、だからこそポーラットは夜光蟲を憎み、嫉妬し、羨望するのだ。


 ……果たして才能なのか。努力不足なのか。ポーラットが造る加工生命はあれに比べればひどい出来損ないとしか言えないものばかりだった。刃を全身に備えた人間。ハリネズミのような体毛に覆われた人間。銃という殺傷の権化に対抗するには、それらはあまりにも脆かった。しかもどう自己弁護しようとも、施術された人間が痛みを訴え、薬を使って理性を押さえ込まなくてはならない作品など加工生命として論外なのだ……


「おう先生、早くきやがれ」


 カンヅメ工場の裏口で佇むポーラットに向け、眼鏡の青年が手招きする。ビル・フレドという名前の彼はゼヴェルジェンの手下であり、彼の監視役の一人だった。


 目下、ポーラットには好きなときに一人きりで外出する自由などない。現在の彼はゼヴェルジェンの持つ物件でほとんど軟禁状態の扱いを受けており、しかも半月に一回は今日のようにそれを変更していた。隠れ家となるのは潮風に錆びた造船場や魚のニオイの染み付いたカンヅメ工場などだったが、ポーラットにはそんなことはどうでも良かった。扱いに不満を漏らした試しすらなかった。研究以外に彼が必要とするものは、身体を維持するための最低限の食事だけだったのだから。――望みとあれば女を呼んでやるともゼヴェルジェンは言っていたが、頼むことなど考えもしなかった。


「乗んな」


 ビルは短く告げた。あごでしゃくって、馬車の扉を示される。移動に使われるのは人買い商人が売り物を運ぶような檻付きの大型馬車キャリッジでなく、どこにでもあるような一頭引きの箱馬車クペだ。手枷も足枷もはめられてはいない。監視役は反対側の席と御者台に、面倒そうな顔をした男が二人いるだけ。軟禁されているとはいえポーラットは逃げるつもりなどないし、向こうもそう思っているのだろう。


 彼の研究を理解し、なおかつ高価な手術道具や材料、居場所を提供してくれる金持ちは大変貴重な存在だった。現在のパトロンであるゼヴェルジェンはポーラットに全面的に協力してくれている……少なくとも、今のところは。だがこのまま彼が成果を出すことが出来ず、見込みもないと判断されれば、あの小さなマフィアのボスは容赦なく自分を切り捨てるだろう。放逐などという生やさしい処置で収めはすまい。加工生命の製造以外にも麻薬投与に殺人幇助、これらの犯罪の片棒を担いできた“証拠”である以上、自分は必ず殺されてしまう……。


 移動中、ポーラットは監視の男と言葉を交わすこともなかった。マフィアである彼らからは、常に暴力のにおいがした。もしゼヴェルジェンが自分を切ると決めたなら、それを実行に移すのは彼らだろう。そう思うと震えが止まらなくなる……ただでさえポーラットにとって、生きた人間はいつでも恐ろしい存在だというのに。


 狭い箱馬車の中、向かいに座る男と眼を合わせることも出来ず、ポーラットの視線は自ずと窓の外を彷徨う。蟲の翅に照らされた街の光景。彼の愛する静謐の闇とはかけ離れた、騒がしく眩い夜のアーヴィタリス。馬鹿騒ぎの絶えない飲み屋や露店。肩を組んで歌う水夫たち。窓から手を振る娼婦たち。辻芸一座がかきならす品のない伴奏。こんな時間なのに鶏の鳴き声がする。こんな時間なのに小さな子供たちが走り回っている。塀の上を猫が逃げるように駆け抜けていく。その反対側の路地には何故か白衣を着ている少年と、側溝の手前にうずくまる少女――……

 

 がつん! と馬車が揺れた。反射的に立ち上がろうとしたポーラットはそれくらい勢いよく天井に頭を打ち付けていた。

 

「~~ッ、~~っ!!」


「おいおい先生、何やってんだよ」


 軽い脳震盪で頭がくらくらする。視界がゆがんで、目の奥がちかちかする。呆れ顔で覗き込んでくるビルに答えることも出来ない。 だがポーラットの意識が受けたショックは、そんな物理的な衝撃などまるで比べ物にならないほどだった。


 ――馬車を止めてくれ。


 ――いますぐ引き返してくれ。


 ビルの肩を掴み、ポーラットは必死の形相でそう訴えようとする。だが普段ですらどもり癖があるうえ、天井にぶつかるついでに舌まで噛んでしまった今では、彼の言いたいことが相手に伝わるためには馬車が五区画以上も進むほどの時間を要した。


 そして、首先を反転させた馬車がその場所に戻ったときには、ポーラットに驚愕を与えたの姿はもう無かった。


「勘違いとかだったんじゃねえの、先生よぅ? 走ってる馬車の中からじゃ、見えたのはほんの数秒のことだったろうしさ」


 薄汚れた石畳に這いつくばるポーラットの奇態を見下ろし、ビルはうんざりしたように言う。ポーラットは答えなかった。勘違いや見間違いの類でないことは明白だった。自分は目が利くのだ。それは子供の頃からだ。その証拠に今だって、狭い路地の暗がりに点々と続く血痕を発見している。この血痕がどこから来たかを追っていけば、きっと彼を驚かせたものにたどり着くはずだ。


 先ほどこの場所にうずくまっていたモノ。自分はそれを探さなくてはならない。誰が作ったか知らないが、鳥肌が立つようなその作品――きっと嫉妬も羨望もするだろう、だがあれは間違いなく、自分の研究に役に立つだろう。


 ヒトのナリに手を加えた、あまりにも自然な不自然。


 彼の理想の体現のような、人体とそれ以外の融合。


 アーヴィタリスの不愉快極まる喧しい夜、嫌悪してやまない蟲どもの翅の灯りのもと、ポーラット・ピンチャーが見たものは、


 見たものは、


 見たものは、


 鉄の皮膚を持った、加工生命グラフトロイドだった。

 

 

 

 (第16回につづく → http://p.booklog.jp/book/102244/read) 

 

 


この本の内容は以上です。


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