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15.私のタトゥー

私の左サイド肩甲骨脇には、タトゥーが入れてある。現在の彼と付合い始めてから

10ヵ月後に、入れたものでアツアツの頃に彫る象徴みたいに、ハートの中に彼の

名前と、時々私が呼ぶ名称の頭文字の下に愛の漢字入れたオリジナルデザイン

である。きっかけは、何のことはないこちらの芸能ニュースで見たアントニオ・

バンデラスの奥方メラニー・グリフィスの上腕部に彫ってある「アントニオ」に

触発されたからという、至極ミーハーな理由からだ。

 

それでも人に聞かれたときなどは「今の彼が人生で最後の恋人だと思うから入れ

たのよ」と答えているのだけれど。あるときサルサ仲間の男性に聞かれてそう答

えたら「もし最後じゃなかったらどうするの?」と食い下がってきたので「いい

のよ、そしたらまだ、右肩が残ってるから」の答え、以外にも大うけだった。

 

もちろんそんな会話はタトゥーの名前の主には内緒である。別に今どきタトゥー

なんて珍しくもないだろうけれど、メラニー・グリフィスが入れた気持ちほどは重く

ないような気がする。現在の彼を愛している気持ちはメラニーと同じくらいあって

も、彼に対してのこだわりや執着はないから、サルサ仲間に答えた言葉は、ある

意味私の本音である。


16.サタデーナイトフィーバーとマドリッド熟女2人旅

週末マドリッドのミュージカル観覧1泊旅行に行って来た。ミュージカルは懐かしの

「サタディナイトフィーバー」今年の2月から3ヶ月間、TVで主役オーディション

番組がオンエアされていて今回は選抜された一人が昔のトラボルタ演じたTONY役を

やった。スペインで生のミュージカル舞台、私は初めて見たけれど歌も踊りもレベル

の高さに感心した。抜擢された主役の彼はもちろんだけれど、他の出演者たちも歌

って踊ってのハードな2時間素晴らしい動きで観客を充分堪能させた。最後は観客

総立ちで手拍子をとって舞台と客席が一つになった感じ、誰もが満足した2時間だ。

宣伝のロゴも素晴らしいセンスで、このミュージカルに限らず、スペインのTV番組の

ロゴやコピーライターも、私はいつも感心して見ているのだけれど。スペイン人の持

っている感性って、日本人と良く似ていると思う。

 

こちらの親友と初めての2人旅、たった1泊の珍道中だったけれど、行程は往復バスで

、FGを朝9時に出発途中一回の15分ブレークをはさんで7時間の行程だ。ここから

マドリッドへは特急列車も飛行機もあるけれど、値段はバスが42ユーロ、列車だと

その倍飛行機はそのまた倍額かかる。今回は4つ★ホテルとシアターセットで45€の、

リーズナブルなオファーを友人が見つけてくれたので、バスは安いしFG出発と便利

なので結局往復バスの旅となった。

 

マドリッド到着が4時で、舞台スタートが6時だから、ゆっくり息つくひまもなく劇場へ

向かった。ステージ内容は昨日の記事どおり大大満足で、その後マドリッド夜の街へ

繰り出した。私が前回マドリッドを訪れたのは、4年前でメトロにしてもホテルにして

も、一段と便利になって私たち二人とも住んでいるFGは、マラガローカル都市だから、

進歩している文明の利器に、使い方がわからなくて驚いたり、感心したりの場面も

あった。きっと久々東京に帰ったときも、同様に感じるかもしれない。

 

適当なバルを梯子して満腹になった後は、いざサルサクラブへ突入だ。土地に関係なく

どこのクラブにもそれぞれ独自の雰囲気があり、また客層も違うから、慣れるのには

少し時間がかかる。それでも同行した彼女は、私のサルサのパートナーなので知らない

クラブで誰かに誘われるのを待つまでもなく、二人で充分というほど踊ってきた。私が

男性パート習得したお陰で、熟女ふたり壁の地方花にならずにすんで幸いだ。結局梯子

はせずサルサクラブ1軒だけで、そのままおとなしくホテルへ帰還。翌日は有名な蚤の

市の日で、朝食後直行、帰りのバスの時間ぎりぎりまでフリマでの買い物を楽しんだ。

 

現実に戻れば、アパートには私の彼の7才の息子と祖母(彼の母親)がバカンス滞在中

で私にとっては忍耐とストレスウィークなので、その中休みで友人と開放された時間が

持てて本当に良かった。あと残りの5日がんばらなくちゃだ。

 


17.サバイバル イン コスタ・デル・ソル

今私が住んでいるコスタ・デル・ソルはスペインでも人気のリゾートで、国内からは

基より近隣諸国からの観光客や入植目的で訪れる人も多い。観光にしろ、長期滞在

にしろ、訪れる人の国籍は多岐にわたる非常にコスモポリタンな地域である。

 

最初の頃の記事にも書いたけれど、人々が夢を求めて様ざまな地域からやって来る

のはニューヨーク にも似ている。でもここでの生活はそれほど楽ではない。「もしも

コスタ・デル・ソルで食べていくことができたら、世界中どこでもやっていける。」

と言われている程である。

 

ではここでの外国人が何をして食べているかいうと、一番多いイギリス人は、自営業

以外だとタイムシェアなど不動産関係のセールスや、テレマーケティング、次いでバー

やレストラン、国籍に関わらず女性の場合だと、オフィスやウエイトレスの職につけな

ければ、大半が情報新聞にアダルト広告を載せて、個人で売春をしているのが現状で

ある。特にこの1~2年は世界的不況もあいまって、ここでもバブル全盛期は終わって

いるので、まともな職につけず本国に帰る人も大勢いる。あとこちらで多いのは、リタ

イヤした人々で、自分の国で退職したあとの人生を、退職金と本国からの年金で、安定

した生活を送っている。

 

スペイン国内でも、最近は失業率の増加の問題もあり、必要な職種はまずスペイン人で

占められるから、入植した外国人が仮にスペイン語を話せたとしても、職探しはそれほど

容易ではないのが現状である。


18.アタック事件

指圧マッサージを始めるきっかけとなったアタック事件の話。

 

その事件はこちらに住み始めて2年目の夏に、起こった。生まれて初めての悲惨で、

尚且つ貴重な体験だ。当時私はインド人が経営する、日本レストランで働いていて、

勤務を終えて帰る途中、時間は深夜だけれどレストランのあるプラザビルからほど

ないところで、周りにはマンションもあり、街灯もついている車道脇の道路を歩い

ていたときだ。

 

突然足音もなく背後から誰か忍びよってきて、肩にかけていたショルダ-バッグを

もぎとろうとしてきた。一瞬何が起こっているのかわからず、私は狼狽した。次の瞬間

バッグを取られようとしていることに気づき、私は大声あげ抵抗した。バッグの中には

全財産・その日貰った給料と携帯など大事なものが入っていて、何としても私はそれら

を守りたかった。しかし抵抗しながらも見ると、相手は中東系大男で、襲われたときの

何の心構えもない私はそれ以上抵抗しようがなかった。それでもできる限りで抵抗し

たせいか、胸のあたり何かで傷つけられたけれど、顔面を殴られなかったのは幸い

だった。最終的には、その男はしっかり私のバッグを奪い数十メ-トル先の駐車場に

置いてあった車で逃走した。胸のあたりをさわると血がベットリ手についてきた。襲わ

れた場所はレストランからすぐ近かったので、泣きながらレストランに戻った。レスト

ランは閉店していたけれど、たまたまその夜オ-ナ-の友人夫婦が来ていて、外の

テ-ブルで談笑していた。あの夜ほど大泣きしたことは嘗てない。

 

恥も外聞もなくショック状態をそのまま顕していたと思う。オ-ナ-はすぐに警察と

救急車を呼んでくれた。突発事態が起こったときの対処の仕方である程度の人間性が

顕れるとよくいうけれど私は頭の片隅で、そこに居合わせた人々の対応を冷静に見て

いた。一番的確で心のこもった対応をしてくれたのは、友人カップルのまったくの見

ず知らずの女性だった。そのときレストランにはスウェ-デン人の女性マネ-ジャ-

もいたけれど彼女の対応は一番冷たかった。日頃からこの女あまり性格よくないん

じゃないのと、思っていたのがみごとに的中した。見知らぬ女性の暖かい介抱を受け

私のショックも和らいだ頃、警察と救急車が到着し、生まれて初めてのそれも異国での

救急車体験となる。

 

傷は痛かったし自分の境遇を考えると、憂鬱だったけれど救急車に乗せられたとき「あっ

これって生まれて初めての体験だ!」という変な感激をおぼえたし、消防士たちの顔も

しっかり見比べている自分がいた。そして異国で初めての入院体験となる。その後マッ

サージを始めるようになるまでの経過は次回に。


19.今は感謝のアタック事件

前回記事のアタック事件当時、私は自分が置かれている状況に満足していなかった。

日本では幾つかのレストラン仕事の経験から、仕事の大変さも充分知っていたし、

そもそもスペインでウエイトレスなど、私が本当にしたいことではなかったけれど、

そのときは他に選択肢はなかった。あの夜の事件で、所持金ゼロの悲惨な状況に

なったにも拘わらず、でも頭の片隅でこれは何かの新しいきっかけで必ずその事件

が意味するものがあると、感じていた。

 

その後何日か仕事もできず、職も失い私は途方にくれた。事情を知った日本にいた

娘からは、飛行機代を送るから帰国するよう勧められたけれど、そんな最悪の状況

下でも娘の申し出をそのまま受入れるのは抵抗があった。どんなことがあったにせよ

それは私が選んだ人生、決して若いとは言えない年代で、祖国を離れ自分で選んだ

地だ。6月だったその時、私は夏の終わりまで何とかその地で、再度挑戦してみようと

思い、夏の間に進展がなかったらその時は日本に帰ろうと決意して、その旨娘に伝えた。

 

あの時襲われていなければ、今の私はいないと断言できる。なぜならあの事件をきっ

かけに、現在のマッサージの仕事を始めたからだ。でも指圧マッサージは、大叔母直伝

だから資格を持っていた訳でもなし、日本で仕事の経験もなかったので躊躇したけれど、

背に腹は変えられず、他にできることもなく、又周りの何人かの薦めもあり思い切って

やってみることにしたのだ。もちろん何十年も前に習ったことは殆ど忘れていたけれど、

自分が肩凝りだからどうされたら気持ちいいか良くわかっていたので、友人の身体を

借りて練習し、それほど難しくなくコツをつかむことができた。クラシファイド新聞に

広告を載せたら、すぐに反響があり予想以上に順調に客足が伸びていき、その後固定

客もついて、ここでのサバイバルに成功し現在に至っているわけである。

 

人生次の曲がり角には何が待っているかわからないと、言うけれど、もともと石橋を叩

いて渡るほうではなし、どちらかと言わなくてもかなり大胆な、というより無謀なほど

の行動派だからこその人生かもしれない。でも上記のような経過で事件後は別の新しい

人生の扉が開かれたので、あのとき襲ってくれた大男に今は心から感謝している次第

である。



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