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Scene12      ――クライブ・ヨレン

 

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    12

 

 

 人が集まれば組織が出来る。たくさんの人が集まれば、当然たくさんの組織が出来る。


 このアーヴィタリスの街にどのような組織があってどのような活動をしているのか、一週間前のクライブはまったくといっていいほど知らなかった。しかし失踪したアークメイジ・ランカニスを探すための聞き込みを続け、色々な人々と話をしているうちに、彼はこの街における組織の数々や、それらの織り成す勢力図をおぼろげながら把握しつつあった。


 まずは海運・紡績・鉄鋼の三大商業組合。この三つのギルドの取引総額はアーヴィタリスという莫大な市場パイのうちのなんと四割近くを占めるらしい。彼らが司る原材料の仕入れ、製造そして輸出までの流れは、工業都市でもあるアーヴィタリスのまさに主要機関メインエンジンといっていいだろう。


 このような成金商人たちに社会の主役を奪われた感は否めないものの、城塞区に住まう貴族たちもまだまだ侮れない力を保持している。ここ百年に没落してしまった家系も多くあるが、鉄道王の娘を娶ったハリッシュ家、南方貿易に大きな権益を持つアレナ家、さらには予知のごとき先見性でもって数々の投資を成功させてきたモンドレー家など、時代の変化を捉えて急成長した家も少なくない。


 規模でいうなら聖楼教会も忘れてはならない。“歴史書の空白”の終わりに誕生したこの宗教団体は長い伝統に比例するかのごとく深刻な腐敗に冒されているものの、田園地区や貧困層を中心に未だ大きな支持を獲得している。それになんといっても、大陸のほぼすべての人間が冠婚葬祭の際にはこの宗教へ出費することになるのだ。


 商業組合、貴族連盟、聖楼教会。これらの組織からの数名の有力者と、さらに大学連や医学会などの代表者を加えて成立している最大勢力が、“黄金こがねの円卓”ことアーヴィタリス市議会である。この議員たちはそれぞれの組織からの指名となっており、権力争いの結果メンバーが入れ替わることは珍しくもない。しかしそんな中、唯一世襲制となっているのが議長のポジションだ。現在の議長はギャレンセン・ラーゲ・マルセアⅡ世。名前からわかるとおり、かつてこの地を支配したマルセア大公家の末裔である。アーヴィタリス市議会が一般的な都市行政の以上の役割――たとえば地域通貨の発行や、マルセア方面軍の指揮権など――を所持しているのは、市の合併時にこの旧大公家が持っていた権力を委任したからなのだ。


 他にも街警団や兵法私塾、新聞協会、法曹界など、小さな組織は山ほどあるが、特に権力の集中する表立った組織はこんなところだ。流民街に住まうマヤト人たちもひとつの組織、ひとつの勢力として見られる向きがままあるが、〈鬼の棲家〉で聞いたジロウ氏の話から察するに、マヤト人たちは自分たちが勢力として見られることを忌避しているらしい。なので、ここでは割愛する。


 さて、当然の話ではあるが、組織――つまり非合法組織については、これら表立った組織に比べ全容や勢力図を知るのが難しい。市井に流れる噂話など背びれ尾ひれがイブニング・ドレスのフリルのようにごてごてとくっついて、本質にはまるで至らないものであることも珍しくないのだ。クライブもそれくらいはわかっている。
 たとえば、なかば伝説的な暗殺者集団である“疫蜂ダスプ”――先月に発生した、サンドリヨン家の夜会襲撃事件も彼らの仕業であるとか。


 たとえば、古くより貴族の懐刀的扱いだった“仮面鳥マスクスバード”――再起を計るこのマフィアがマヤトと手を組み、アーヴィタリスすべてを巻き込む大規模テロを企てているだとか。


 他にも“闇医者同盟”や“残酷サーカス”の非道な行いなど、真偽の怪しい非合法組織のネタはゴシップの一種として、面白おかしく人々の口に上っているようだった。


 しかし、どれほど荒唐無稽な噂話であっても、ひとつだけ共通していることがあった。このアーヴィタリスにおける最大最強の非合法組織、それは“屍を啄む蟹カタヴァー・ギャザーズ”――“蟹”の通称で呼ばれるマフィアであるということだ。


 クライブも、その名前の由来となったであろう伝承は知っていた。古い神話の一節だ。罪を犯した者が死後に流されるという地底の大河――そこで彼らを貪り食らう、人の顔を甲羅に浮かべた蟹の逸話。(ただしそれが引用元であるのならば、悪人たちが自らその化け蟹を名乗るのは筋違いのようにも思えるが。)


“蟹”の活動内容は女衒、的屋、地上げ、泥棒、賭博、麻薬、暗殺など、金になることなら法に触れることなどお構いなしの節操なしといっていい。その構成員人数は末端含めて一万以上と言われている。がしかし、実際にはそれだけの人数がひとつの意志に統率されているわけではなく、いくつかのマフィア・グループの寄り合い所帯が大きく膨れ上がっていった結果と見たほうが正確なようだ。組織同士の縄張り争いが熾烈化して共倒れするよりは、協定を結んで力をたくわえたほうがマシだと考えた連中の集まりというわけである。


 そして“蛇の舌ベロ”からの情報にあったゼヴェルジェン・W・ラーマスという人物は、そんな“屍を啄む蟹”の幹部の一人、地上げを専門とする組織の長であるという話だった。

 



〈フランベルジュ商会〉――小奇麗なレタリングの施されたその看板は、波打つ剣を模した腕木によって吊るされていた。 プレプトン地区は街の各所に点在する貧民窟や悪名高いベルファルゼン離宮跡と違って、ごく普通の市民がごく普通に日々の暮らしを営む平和そうな場所だった。建物は民家や集合住宅が多く、煙と騒音をあげて稼動する工場などはほとんど見られない。〈ホテル・グランド・ローゼア〉のある地区のように気取った雰囲気はしないが、海岸地区ほどには余所者に寛容なわけでもないという印象だ。


 ゼヴェルジェン・W・ラーマスがオーナーを務める不動産会社はそんなプレプトン地区の小さな商店街の一角に、ごく溶け込んだ風情で店を構えていた。向かって右には古着屋、左にはランプのための菜種油を扱う店。その間に挟まれた〈フランベルジュ商会〉は紺色のスレート屋根に二階建てのレンガ造りのごく普通の建物に過ぎず、悪の組織の前進基地であるようにはまるで見えない。クライブも、予備知識なしでは何も気づかず素通りしていたことだろう。


 勤めている店員も人当たりの良い若者ばかりで、マフィアのようにはやはり思えなかった。中にはニスのかけられた樫の丸テーブルが並び、数人の客がそこで物件の説明を受けている。ようやく通された奥の応接室も清潔そのものといった感じで、暖炉や燭台の金具も綺麗に磨き上げられており、窓際の日陰の水槽の中ではカラフルな観賞魚まで泳いでいた。


「やあ、はじめましてクライブ・ヨレンさん。ゼヴェルジェン・ウェルベック・ラーマスです、どうぞよろしく」


 そう言いながら入ってきた男が、肩を上げてドアノブに手をかけていたのを見ても、クライブはほとんど表情を変えることなく鉄面皮を保つことが出来た。事前に心の準備さえ出来ていればそれくらい別に難しくない――それに耳の長さが10センチ以上もある女性に比べれば、これくらい背の小さな男など別に珍しくもない(はずだ)。

 

「サンクタリス陸軍憲兵准尉、クライブと申します。お時間を作っていただき、どうもありがとうございます」


「いやいや、こちらこそ何度もご足労かけて悪かったね。これでも一応多忙な身なんだ、しかも足が短いせいで歩くのが遅いときてる」


 その通り、クライブが〈フランベルジュ商会〉を訪うのは実はこれが三度目だ。一度目の五日前、ゼヴェルジェンは当然のように不在だった。そこで面会の予約をしてもらうよう頼み込み、答えをもらうために訪れたのが二度目の四日前。そして今日この日、この時間でなら逢ってくれるという返事をもらったのだった。


 ようやく出会えた“狡賢小兵こうけんこひょう”ゼヴェルジェン・W・ラーマスという人物を、クライブはあらためて観察する――確かに小さい。おそらく背丈は130センチもないだろう。応接室の黒いソファはごく普通のサイズだったが、そこに腰掛けたゼヴェルジェンの両足は床に付くことなくブラついていた。あの“蛇の舌ベロ”と一緒にチーク・ダンスでも踊ったならば、それだけで十分金が取れる見世物になりそうだった。


 だがこうして机を挟んで向かい合ってみれば、背丈のことはさして気にならなくなる。むしろ顔じゅうに走る傷や茶色い瞳の眼力の強さのおかげで、いま自分が相対している男がマフィアの幹部であることを再認識することが出来た。


「それで、中央軍の憲兵サンがおいらにどんな御用なのかな?」


 こちらの襟章に視線を向けながら、ゼヴェルジェンは尋ねた。


 今のクライブは街警団に預けていた軍服を着用している。身分を隠して面会するのは不可能だった。軍人という立場を使わなければまず会ってもらえるかどうか怪しいうえに、少し調べられれば簡単にバレてしまうだろうからだ。


 もちろん、軍刀まで持ち出してくるほど向こう見ずではない。自分は喧嘩をしにきたのではなく、話を聞きに来ただけなのだから。“もしかしたら、それだけでも海に沈められるかもしれないが”


「実は」とクライブは慎重に切り出した。「ある任務のため、探しものをしているのですが」


「ほう、何だろう?」ゼヴェルジェンは興味をそそられたような素振りをして言った。「このだだっ広い街じゃ、そりゃア大変なこったろうな」


「そうですね」“本当にな”「しかもこれがまた、大変に厄介な代物なのです。人間サイズくらいあって、動かないわりに、そのくせときている」


「ふうむ……悪いが憲兵サンよ。おいらァ学ってモンがなくってな。もったいぶった言い方はやめにして、とっとと本題に入ってもらえねェかい?」


狡賢小兵こうけんこひょう”は火のついてない葉巻を弄びながら、そう催促してきた。


「死体を」クライブは答えた。「ドロッグ・ソーヴォという人物の、死体です」


「……あ?」ゼヴェルジェンは怪訝そうに尋ねた。「誰だって?」


「ドロッグ・ソーヴォ。三十台後半くらいの大男で、武器とか麻薬とか、あまり良くないものの運び屋をしていたそうです。彼の腕には、蟹の刺青があったのですが」


 と水を向けられても、“蟹”の組織の幹部には動揺した様子などまったくなかった。むしろ彼はあきれたように、クライブにこう言った。


「あのなァ憲兵サンよ。知らねェようなら教えてやるが、“蟹”ってェのは小さな組織の集合体なんだ。ホラ、あんただって同じ軍隊仲間だとしても、別の部隊の――たとえば輜重隊だとか砲兵課だとかの下っ端の二等兵の一人一人までは、とても名前を言えねェだろう。おいらだってそれと同じでな。自分の手駒だっつうんならまだしも、別の"脚"に雇われてる連中のことなんざいちいち覚えてられねェよ。なにせこの街にゃあチンピラなんざ夏の水溜りのボウフラみてぇにうじゃうじゃいるし、喧嘩や事故や病気で毎日誰かしらが死んでるんだぜ。ま、そんなわけだからさ、無駄足を踏ませて済まねェが――」


「〈アミゥ・ナルベック改船補修工房〉をご存知ですね」


 クライブは割り込むように言った。向こうがしらばっくれることは先刻承知だった。


「あなたの持つ物件のひとつです。彼が死んだのは、あなたの庭の中でのことだったんだ」


 ぴんっ。小さな男の小さな手の中で、火の点いていない葉巻が回転する。ゼヴェルジェンはすぐには答えなかった。過去に拷問でも受けたことがあるかのような古傷だらけの顔には怒りも戸惑いも見当たらない。ただ落ち窪んだ小さな黒い瞳で、こちらのことをじっと眺めている。


 ――〈アミゥ・ナルベック改船補修工房〉。あの廃工場からは看板などとっくの昔に撤去されていて、そんな名前があるとはクライブも数日前まで知らなかった。ゼヴェルジェンの偽装子会社にその抵当権が渡ったのは今から二年前。廃業の原因は当時請け負っていた貨物船の改修工事中、ボイラーが爆発事故を起こし、職工長兼社長だった人物が死亡したためらしい。不幸な出来事だったと思うが、今回の件には直接関係無いことでもある。


 ゼヴェルジェンの沈黙から約三十秒ほど経ったあと、影のように背後に控えていた黒縁メガネの優男が彼に何か耳打ちをした。するとゼヴェルジェンは大きな頭を何度も上下させ、「あァあァ、思い出した思い出した。先週のアレか。なるほどなァ……」と言った。


 クライブは口の渇きを感じる。綱渡りをしている感覚はこの場に望む前からずっとあって、それがまた、より危険な方向に一歩進んだ。


「……けど、色々と解せねェなあ。憲兵サンよォ」ゼヴェルジェンは髭のない太い顎をさすりながら言った。「あすこで事件があったコトについちゃあ、このアーヴィタリスのどの新聞を見ても載ってなかったはずなんだが。あんたは一体、どこでその話を仕入れたんだい?」


 クライブは鉄面皮を崩さず答える。「確かに、この街では我々の影響力は微々たる物に過ぎませんが」ゼヴェルジェンからのカマかけは、まだ事前の予測の範囲内だった。「それでも、


“そんなやつが、本当にいたら良かったのに”クライブの今の発言はもちろんハッタリである。だが自分がボロさえ出さばければ、ゼヴェルジェンもただちにこの嘘を見抜くことは出来ないはずだ。


 果たして、“狡賢小兵”は面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「――ふん。確かに、あすこはおいらの部下に預けてあった物件だけどね。でもあの造船場みたいにワケありで売り飛ばされたハコは、おいらはたくさん持ってるんだよ。……なあ憲兵サン、この街はどこもかしこも人だらけだろう。だもんで空っぽの屋根付きを見ると、すぐ宿無しのロクデナシがあがりこみやがってね。こっちの部下の数にも限りがあるから、とてもじゃないがぜんぶの物件に歩哨を立てたりするようなマネは出来ねェし。
 要するにだな、先週の事件はそういうおいらのハコの中で、おいらの知らねェチンピラか何かが勝手に起こした事件、っつうワケなのさ。ま、その管理不行き届きをお咎めになられるっつうんだったら流石に抗弁しようがないが……しかしそいつぁ、中央の憲兵サンがわざわざ注意するようなコトなのかね……?」


 口の渇きが強まるのを感じ、クライブは唾を飲む。ゼヴェルジェンから放たれる威圧感は、だんだんと強くなっていくようだった。


 しかし彼との問答は、未だ事前の予測を超えるものではない。もったいぶったつもりか、面会まで計五日もかかったおかげで、色々な受け答えのパターンをシュミレートする時間はたっぷりとあったのだ。


「もちろん、それは自分の任務ではありません」クライブはあらかじめ考えておいたとおりに言った。「自分がドロッグ・ソーヴォの死体を捜しているのには、理由があります。現在、我々はとある内通者を追っています。名前をランカニス。そういう名前の人物が、この殺人事件に関係しているという情報があります」


 もちろんブラフである。だが軍属であることを隠すのが難しいのと同様、自分がアーヴィタリスにやってきてからずっとランカニスを探していたことは“蛇”のような情報屋に高い金を支払うまでもなく簡単に調べがついてしまうだろう。であるなら、目的をボカしてしまったほうがより上等な嘘になるはずだ。


「ドロッグ・ソーヴォの死体には、ランカニスの素性を知る手がかりがあるはずです。ゼヴェルジェンさん――貴方は事件の翌朝、〈アミゥ・ナルベック改船補修工房〉に人を使わせていましたね? であるなら、貴方はドロッグの死体をどうしたかもご存知なはずだ」


 クライブは再び尋ねた。とにかく、まずはゼヴェルジェンに死体の行方を知っていると言わせることが肝心だ。たとえドロッグの名を知らなかったとしても、あの日あの場にチンピラの死体が見つかったことを知っていたとならば……それは彼ががあったのも知っているということでもある。そう、彼の所有する廃工場の中に閉じ込められていた、あの加工生命グラフトロイドの男の死体を。


“さあ、どう出る?”


 クライブは身構える。ここからの問答だって何通りも予測している。このままシラを切り続けるか、怒り出すか、あるいは口止め料ワイロを渡そうとしてくるか?――……


「なあ、あんた」


 ゼヴェルジェンは、言った。


「左腕の動かし方がぎこちないな。怪我でもしたのかい?」


「っ、」


 話の流れとかけ離れた指摘を不意に投げられ、クライブは返す言葉に窮した。確かに左腕には怪我をしているし、包帯も巻いている。が、制服の上からではそれは見えようはずもないし、こっちの腕ではテーブルの上に出されたコーヒーカップを持ち上げることすらしていない。“あらかじめ知っていた、のか……?”


「――……。ふーむ、やっぱりどうにも妙に思えるね、憲兵サンよ」


 青年が立ち直るより早く、小さなマフィアの幹部は言った。


「……と、仰いますと?」


「だんだん思い出してきたよ――そう、あすこでなんかドタバタやってる、中から悲鳴があったっつう街頭娼婦のタレコミでウチの若いのを出したのが、だいたい朝日の昇る前のことだったか。さっきも言ったとおり新聞ブン屋は押さえてあったし、街警団のやつらが首を突っ込もうとしたのも朝メシのあとくらいのことだ。つまり、おそらくあの場所には、おいらたちが一番乗りだったってわけだ。ああ、もちろん犯人たちを除いてな。ここまではいいかな?」


「ええ、ですから――」


 ゼヴェルジェンは有無を言わさぬ口調でクライブの言葉を遮った。


「だがあんたはまるで、あすこであの夜、殺人事件があったことを確信してるみたいな口ぶりをするじゃないか。腑に落ちないのはそこだよ。いいかい憲兵サン――おいらの部下が踏み込んだとき、


「な、……、え……?」


 狼狽を喉から漏らしてしまい、クライブは慌てて口元を押さえる。ゼヴェルジェンは葉巻を咥え、にやり――と悪党らしい不敵な笑みを浮かべた。


「部下どもが見たのは工場の裏口が壊されてたこと、それに、床に飛び散った大量の血痕だけだとさ。怪我人が隠れてるようなこともなかったし、ましてや死体なんざどこにもねェ。だからドロなんとかってチンピラがその血の主なのか、おいらにゃあわかりっこねェだろう? まぁいちおう娼婦の話じゃ、悲鳴は男だったっつう話だが――ああそうだ、確かあのあたりで、マヤトの連中がうろついてたって噂もあったっけなあ」


? ……そんな馬鹿な”クライブはどうにかゼヴェルジェンの発言の整理しようと頭を働かせる。"自分はあのとき確かに見たんだ、ドロッグが滅多刺しにされたのを、全身に刃物をくっつけられた加工生命の男が真っ二つにされたのを。……マヤトの連中がうろついていた? じゃあ、そいつらが死体を運び出したのか。いや、ゼヴェルジェンが本当のことを言ってる保証はどこにあるというんだ? 自分だってさんざん嘘や詭弁を使ったんだ。待て、それを言うんならジロウ氏だって――”


 内心の戸惑いが表情に出ていたに違いあるまい。ふと気づくと、“狡賢小兵”はにやにや笑いを浮かべながらこちらのことを観察していた。


「……ええと、そのう――……」


「腹芸ごっこがしたいなら、もうちょっとアドリブってモンを練習してからにしたほうがいいな。憲兵サンよ」

 

 ゼヴェルジェンは教師か何かのようにそう言った。クライブは押し黙ったままでいた。彼の頭の中では、あの船の上で、あの人物から似たようなことを言われた瞬間ことが蘇っていた――“あのなあ、クライブ。お前もう少し、ユーモアだとか、スラングだとかを勉強したほうがいいぞ”――


 ゼヴェルジェンは右手を軽く上げる。背後に控える優男がそこに、封筒から取り出した一枚の紙切れを手渡す。いったい何事かと瞠目するクライブの前で、ゼヴェルジェンは紙切れに視線を落とし、そこに書かれていた文面を読み上げ始めた。


「クライブ・ヨレン――22歳。聖楼暦3205年4月7日、サンクタリス連邦スウォージナ領リエール村に生まれる。父親はリスヴァン・ヨレン。母親はガルベラ。長子。兄弟は年の離れた妹が二人。叔父であるランズ・ヨレンは近郊村落の統括司祭を務め、リスヴァン・ヨレンもその補佐として生計を立てている。14歳のとき、両親との反目からカルナット士官学校へ入学。45期生。最終成績は130人中16位。卒業後は陸軍憲兵隊に配属。戦場司祭の警護任務、戦図測量の補佐などに従事。現在の階級は准尉」


 ぽかりと開いてしまった口元を、今度は覆い隠すことも忘れた。クライブは自分の経歴が読み上げられるのをただ聞いていた。

 

“バカな――いったいどうやって? あの太った蛇だって、ここまで詳細な自分の情報は知らなかったはずなのに”

 

「便利なモンだよな、電信ってのはさ」ゼヴェルジェンはにんまり笑って言った。「たとえ500キロ離れた場所に住むやつのプロフィールだって、ちょっとの時間とちょっとのコネさえあれば手に入っちまうんだから」


 種明かしをされてしまえば、なにも驚くようなことはなかった。雷石と銅線、四種の記号の組み合わせを使って行う電信装置は一般市民が手紙の代わりに使えるようなものではまだないが、しかし政府関係者だけしか使用許可が下りないというわけでもないのだ。ゼヴェルジェンと会うまでにやけに待たされたのは、こちらのことを調べるために必要な“ちょっとの時間”だったというわけか。

 

 ゼヴェルジェンは紙切れをひらひらさせながら言う、

「なかなかイイ生まれだよな、憲兵サンよ。おいらみたいな肥溜め生まれの糞ドブ育ちからすりゃァ羨ましいかぎりってやつだ。けど、それだけに解さねェな――せっかく長男坊だってンなら、あんたはどうして親父さんの後を継いで司祭サマになろうとしなかったんだい? 軍の下級仕官なんかよりそっちのほうが命の危険もぜんぜん少ないし、稼ぎだってずっと多いだろうに」


 彼の言うとおり、長子が家督を継ぐというのは今も昔もごく当たり前の話である。クライブも当然、生まれたときから司祭になることを期待されていた。しかし――……


「……ただ単に、親不孝者だったというだけのことです」


「ふん?」


 力なく答えるクライブを、ゼヴェルジェンはしげしげと眺める。己の仕込んだ不意打ちがどの程度うまくいったか、その効き目を観察するかのように。


 何か言い返さなくては、会話の主導権を取り戻さなくては。そうわかってはいるのだが、しかし一度予測から外れてしまった話の流れを上手いこと戻せるような方便は、クライブにはすぐには思いつくことが出来なかった。綱渡りをしていたつもりが、いつのまにか地雷原に迷い込んでしまったような感覚。この小男が過去の経歴だけで満足するとは今はもう思えない。自分がアーヴィタリスに来てからの同行も、どれだけ調べられているやらわかったものではないのだ。


 焦燥が思考をますます空回りさせる。ゼヴェルジェンは狼狽する青年を落ち着かせようとするかのごとく、見るからに高級そうな葉巻の入った白壇の小箱を差し出して言った。


「一本どうだい」


「いえ……結構です」


 クライブはほとんど上の空でそれを謝絶した。ゼヴェルジェンは特に気を悪くしたふうもなく、余裕たっぷりの様子で葉巻をふかした。


「ま、あんたが望むんならあの工場の中を見せてやってもいいがね。ただあすこは、防波扉を開ければすぐ海だ。しかも水は汚いから見通しが利かないし、水深もそこそこ深い。錘でも括り付けて落っことせばまず見っかりっこないだろう。そういうことは考えなかったのかい?」


 考えなかった。……情けない話だが、内陸育ちのクライブにとって死体は土に埋めるか焼くかするもの、という先入観が強かったらしい。無法者にとっては、見つからなければ死後がどうなろうと知ったことではないのだ。
「……では、中を検分をさせていただけますか」

 


 そう申し出ると、ゼヴェルジェンは「あァ、構わねェぜ」と鷹揚に頷いた。


「ところで、気を悪くしないでもらいてェんだが」


「なんでしょう?」


「今おいらが立ててる予想だとな――。どうだ、違うかい?」


「…………証拠は?」


 クライブはそう聞き返すのが精一杯だった。ゼヴェルジェンは悪びれもせず答えた。

 

「ねェよそんなモン」

 

「……では、違うのでしょう」

 

 そう返事をすると、小さなマフィアのボスは肺に貯めていた空気をゆっくり吐き出した。甘い香りのする紫煙がまるで煙幕のように、彼らの居る応接室に満ちた。


 それからゼヴェルジェンは例の紙切れを二つ折りにして、テーブルに備え付けられていたペンでその裏面に何事かを書きはじめた。


「最初に言ったとおり、これでも忙しい身でな。悪いが今日はここまでだ」そう言って渡された紙切れには、簡単な地図と住所らしき文字列が書かれていた。「おいらのアジトだ。他に聞きたいことが出来たら、今度からはこっちに顔を出すといい。アポだの何だの面倒くせェこと言わずにすぐ会ってやるよ。身体が空いてりゃだけどな」


「……ありがとうございます」


 クライブは渡された紙をまじまじと眺めた。住所を見ただけでは、そこが街のどのあたりか彼にはわからなかった。同様に、これを自分に寄越したゼヴェルジェンの思惑も。気がつけば、彼の唇は必要がないはずの問いを発していた。


「でも、どうして自分にこんなものを?」


「おいらは役人ってのがキライでね。まあ裏社会の人間は大抵そうだが」とゼヴェルジェンは答えた。「あいつらはロクな取り得があるわけでもねェくせ、上に甘くて下に厳しくて、しかも自己保身とワイロが大好きときてる。まったくどうしようもねェ連中だ。そこへいくと、あんたは頭も固いしケツも青いが、話してみた感じじゃどうもそういうやつらとは違うらしい。司祭位の相続を蹴ってわざわざ軍隊に入っただと? 面白ェじゃねェか。そういう合理的じゃない考えはキライじゃないぜ」


「…………」


 たとえ褒められているのだとしても、クライブにしてみれば心境は複雑だった。ゼヴェルジェンはピョンとソファーから飛び降りる。そして“狡賢小兵”は手付かずのまま冷めたコーヒーをちらりと見やり、


「ま、次は酒の一杯でもおごらせてくれや、兄弟。シラフじゃないほうが、お互い口の滑りも良くなるかも知れんしな」


 と言ったのだった。


          ▽    ▽    ▽


 西の水平線に夕陽が沈もうとしていた。汚猥に濁るアーヴィタリスの海だとしても、さざなみが朱色にきらめくその光景は美しかった。頭上では気の早い夜光蟲が何匹か舞い始めていたが、彼らの翅が放つ青い輝きもこの時間ではあまり有難いものではなかった。


 クライブ・ヨレンは大型船が離岸したばかりの人気の無い波止場に佇み、その夕暮れを眺めていた。


“――こんなところで黄昏ている場合じゃないのに”


 右手側に200メートルほど行った海岸沿いには例の〈アミゥ・ナルベック改船補修工房〉があるはずだが、ここからでは他の造船所や倉庫の陰になって見ることができない。だがどちらにせよ、あの廃工場の中には何も無いことを今の彼は知っていた。


 数時間前、ゼヴェルジェンの部下であるメガネの優男を伴って廃工場を訪れると、入り口を見張っていたチンピラたちは愛想笑いまで浮かべて自分たちを通した。そこには本当に何も無かった――ドロッグの死体も、加工生命の男の死体も、男が閉じ込められていた輸入家具の木箱も、そして、あの夜たしかに係留されていたはずの小型蒸気船も。


 アレクという名前のその優男の証言によれば、ゼヴェルジェンの子会社が所有権を獲得して以降、ここのプールに船を入れる許可をした例はないのだという。


“つまり、この廃工場をこっそり利用していた船の持ち主が……ここに加工生命の男を閉じ込め、そして彼らの死体や証拠となるものを隠滅していったのだろうか……?”


 係留されていた船の特徴をもっとよく覚えておくのだったと思う。だがあのときはマッチ一本ぶんの明かりしかなかったし、周囲の物陰から何が飛び出してくるかもわからない状況だったために、そこまでの余裕はとてもなかったのだ。


 夜闇の近づくアーヴィタリスの港にはそれこそ無数の船が出入りしていた。客船、漁船、貨物船、警備船、手漕ぎボートやヨットなどが互いにぶつかり合わないようにのろのろと行き交い、岸辺を埋めるように建ち並ぶ桟橋や係留所、直接入れる屋根つきのドックなどから発着を繰り返している。


 人ごみをずっと眺めていてもランカニスを見つけることが出来ないのと同様、ここでこうして船を眺めていても、目当てのそれが見つけられるとは思えなかった。しかも今度は、船の色や形すらあやふやなのだ。


“自分はいったい、何をしているんだろうか?”


 本来ならば何を置いてもまず、ランカニスを見つけるべく行動しなくてはならないのに。


 一応の弁明をするならば、“蛇の舌ベロ”からの手紙にあったランカニスの行動表――あの老魔術師の一日目の宿泊先は“屍を啄む蟹”の息の掛かった娼館であり、万が一の繋がりに賭けてゼヴェルジェンに当たってみることは、まったくの無駄ともいえないことだったのだ。


 そして、もし犯人を――あの加工生命の男を閉じ込めていた何者かの正体を知ることが出来たなら、自分の中でドロッグ・ソーヴォの死に対して何らかの決着がつくだろうと――そうすればランカニス探しに専念できるだろうと――そう思ったのだった。 結果としては、無益なものでしかなかったのだが。


 夜の帳がゆっくりと下りてくる。 また一日が終わろうとしている。


 夕陽のあかが、クライブの心に過去の情景を蘇らせる。あれは確か5つか6つの頃、まだ向こう見ずな子供だった彼は村の囲いを越え、たった一人で胸躍る“冒険”に出て――あっけなく帰り道を見失ったのだった。戻りたいのに戻れない、帰りたいのに帰れない。周囲はどんどん暗くなって、雑木林の小道もブナの木に刻んだ目印も見つけられない。あのときの不安や恐怖と、今の漠然とした焦燥はどこか似ているような気がした。“ただ、あのとき夕陽が沈もうとしていたのはきらめく水平線じゃなくて、遥か彼方の山の稜線だったけれど”……


「ずいぶん派手に歩き回ってるのね、あんた」


 そう呼びかける声が、クライブを過去から引き戻した。振り返ると10メートルほどの距離を置いた桟橋の手前に、見覚えのある女が立っていた。


 黒い髪に黒い瞳。ボタンや止め具のない奇妙なマヤトの装束。あの長く湾曲した刀剣は今日は帯びていない。――ヨリコ、とジロウ氏はこいつのことを呼んでいたか。


「……何か用か?」


「いちおう、クギ刺しておこうかと思って」


 クライブが尋ねると、ヨリコは肩を竦めてそう言った。


「あんたがさっき会ってた“狡賢小兵”は見た目よりずっと厄介な男だからね。あいつに辿り着いたってことは、あの夜の事件のことを調べてるんでしょ? あんたがあのチビの言うことをホイホイ真に受けて、しかもそれがマヤトに濡れ衣着せるような話だったりしたら、あたしらとしちゃたまったもんじゃないからね」


「別に、そんな話は何も無い」


 クライブはそっけなく答えた。……思い返してみれば、ゼヴェルジェンはさりげなくそんな誘導をしていたような気もするが……こちらが鈍すぎたおかげで、あのときはまったく流してしまっていた。


“それよりも”ふと気がついて、青年はマヤトの女に尋ねた。「自分のことを、ずっと尾行つけていたのか?」


「ま、私が直接ってわけじゃないけどね」


 ヨリコは否定しなかった。クライブの側としても、〈鬼の棲家〉でジロウ氏らに世話になった恩義があるぶん彼女を責める気にはなれなかった。もちろん、あまり良い気持ちがしないのは否めないが。


「自覚が無いようだから教えてあげるけど。あんたが思ってる以上には、この街におけるあんたの動向は注目されてるのよ。うちのじじいも言ってたでしょ。連邦本省はこの街の利権を狙ってる。市議会はそれを死守したい。アーヴィタリスがこの海だとしたら、あんたはそこに本国側から投げられた石ころみたいなものよ。どれだけ強く水面をたたいても、石ころ一個じゃちょっとした波紋を起こすことがせいぜい――でも、もしかしたら本当は石じゃなくて爆弾かも知れないし、赤足カモメケイマフリを呼び寄せるエサかも知れない。だからこの街で権力を握ってる連中は、あんたの行動が気になって仕方がない。
 あたしとしてはそんな権力争いなんて勝手にやってろって思うけど、でも、そこにマヤトが巻き込まれるなら話は別なのよ」


 確かに、ジロウ氏は言っていた――アーヴィタリス市民とマヤト人の信頼関係は、いつ何がきっかけで綻び崩れるかも判らない危ういものだと。サンクタリス本邦の士官にマヤト人が怪我を負わせて、それを口実に本邦側が権益拡大に乗り出してくるようなことがあれば、無関係のはずのマヤト人への風当たりまで強くなってしまうと――そんな話を。 “そして、自分は石ころか”

 

 大昔の自分なら、怒ってそれを否定していたことだろう。たった一本の棒切れを握り、一斤のパンが入った鞄を担ぎ、たった一人きりで意気揚々と“冒険”に出かけたあの日の自分なら。――だが今は、あえて反駁するほどの気力も沸いてこない。ある意味では、それは大人になったというだけのことかも知れないが。

 

「ひとつ聞かせてくれ」 クライブは言った。

 

「何?」

 

「自分とドロッグがあの工場に踏み込んだ理由は、もう知ってるだろう。“蛇の舌ベロ”からの情報で、ドロッグの兄貴分の仇を見つけるためだって。――じゃあ、お前は? お前はどうして、あのときあそこにいたんだ?」

 

 ヨリコの表情には、少しの逡巡が見られた。ジロウ氏はたしか、彼女がマヤトの破戒者を追っていると言っていた――それがマヤトの恥であるとも。だからクライブは、半分以上の確率でヨリコが口を噤むだろうと予想していた。

 

 しかし、結局彼女はこう言った。


「……。“侵亜シンア”って、知ってる?」


 いや、とクライブは首を振る。でしょうね、とヨリコは頷き、


「マヤトの巫家に伝わる秘薬でね。痛みの緩和や精神の安定、集中力の向上といった効果があるものなんだけど」

 

 

「それがどうした?」


「わからない? 要するに、麻薬の一種なのよコレ。調合と用法しだいでは、ヒトを廃人にする危険な毒になってしまう。ま、使い方を間違えた薬ってのは大抵毒みたいなものだけど。
 でも問題は、これがマヤトの薬だってコトでね。もし闇市場に出回って、多くの一般人が“侵亜シンア”のせいで廃人になったり、中毒を起こしたりしたらどうなると思う? たとえ薬に溺れたのはそいつが弱かったせいだとしても、ばらばらになった家族や残された仲間はこう考えるのよ――“マヤトの連中がぜんぶ悪い、あいつらさえ流れ着いてこなければ、あんな薬が広まることもなかったのに”ってね」


 なるほど。マヤト人の心象を悪化させないようにする、という行動原理は自分への対処と共通しており、納得しやすいものだった。

 

「ま、そんなわけでね。あたしはその薬を作ったり、売りさばいたりしてるやつを懲らしめるのがお役目だったわけだけど。あの夜は仲間からの連絡で、“蟹”のシマに怪しい二人組が入っていったから、それを追いかけたのよ。取引でもあるんじゃないかってね」


「怪しい二人組――?」


 まさかそいつらが死体を持ち去ったりしたのでは? と思ったが、しかしヨリコは一瞬でそれを否定した。

 

「あんたらのことよ」

 

 返す言葉も無い。確かに男二人で廃墟にこそこそと潜り込んでいく姿は、第三者から見れば“怪しい二人組”以外の何者でもなかっただろう。


「だっていうのに、まさかあんな、ヤッパだらけの加工生命に出くわすなんて思ってもみないじゃない。あんたも殺されそうになってたし勢いでぶった斬っちゃったけど、あそこはあたしたちのシマじゃないから、あまり大人数で詰め掛けたり、もたもたしたりする余裕はなくってね。“蟹”はもちろん、他の組織のやつらに見つかるわけにはいかないでしょう? だから尋問用に気絶させたあんたを担いで逃げ出すのが精一杯で、他に何をどうこうする余裕なんてなかったわよ」


 ヨリコのぶっきらぼうで不満げな態度は、「こんなめんどくさいことになるなら関わるんじゃなかった」と言外に言っているかのようだった。だがクライブのほうは、あの夜の疑問が僅かながら解決した気がして、少しだけ心が軽くなったのを感じていた。


「そういえば、大事なことを言い忘れてたな」クライブはあらためてヨリコに言った。「あのときは、助けてくれてありがとう」


 ふん。喜ぶでもなく、照れるわけでもなく、彼女は答えた。


「別に、礼なんかいらないわ。それよりも、あたしがどうしてベラベラ教えてあげたかわかる?」


「いいや」


「確かに、マヤト人が連邦中央の士官ドノを傷つけたなんてことになるわけにはいかないけれど」彼女は言った――まるで抜き身の刃のような光を、その黒い瞳に宿らせながら。「人間ひとり、誰がやったかわからないように殺すことなんて――そんなには難しくないのよ」


 ――だから余所に喋ったら、あんたのことも殺すからね。


 そう言い残して、風禅依リ子は波止場を去っていった。


 クライブ・ヨレンは、夕陽が海の向こうへと完全に沈んでからもしばらくそこに佇んでいた。


 夜空を舞う蟲たちの青い光は、宿へ帰ろうとする彼の足元を十分に照らしてくれた。


 十数年前、はじめての“冒険”に出たクライブは雑木林の中で帰り道を見失った。その日は運悪く曇りがちで、夜になると月明かりすらもなく、幼い彼は真っ暗闇の中で震えていることしか出来なかった。そして結局、村の大人たちが松明を手に探しに来てくれて、彼のはじめての冒険は終わったのだった。“もしあのときも、こんな明かりが闇夜を晴らしてくれたなら”青く光る蟲たちの翅を見上げながら、彼は思った。“いつまでも泣いて震えていたりせず、一人で帰り道を見つけることが出来ていたかもしれないな”と。

 

 

(第13回につづく → http://p.booklog.jp/book/101877/read) 


この本の内容は以上です。


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