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Shanghai Express

中国が南麂(なんき)列島に基地を建設中だとかで有事が捏造されているのだが、これもまた「対日超党派レポート(Bipartisan Report Concerning Japan)」のシナリオ(台本)どおりであり、つまるところ憲法改正にあたり国民合意をなし崩しに取りつけるスペクタキュラー(見世物的)な紛争なのである。

おおよそ人民解放軍の戦略思想は毛沢東の「遊撃戦論(相手側の生産する武器を利用するゲリラ理論」に基づくのだけれど、今や彼らは武力行使する必要など全く皆無なのだ。いずれ我々の体系は放射性プルームにより壊滅状態に陥るのであり、そのうえ二ホン国政府が自主的に核を拡散するなど破壊工作を幇助しているのだから、おそらく中華民国は米国がTPPにより国富を収奪し尽した後に、軍事的手段を講じることなくロシアと合同による実効支配を可能とするだろう。

あらためて我々は「資本帝国において諸国家は諸コミュニティに過ぎない」というA・ネグリ的視角に立ち帰るべきだと思う。マルキシズムを信奉するコミュニストによって編成された「全国人民代表大会」は、今やフリードマニズムを信仰するグローバリストによって構成されるのだ。つまるところ鄧小平改革を契機としてかの共産国家は市場国家に改変されたのであり、意思決定は共和国議会によるのではなく上海に集結した多国籍企業500社によるのである。

さらに俯瞰すればこれらのグローバル企業の上部構造としてバルジ・ブラケット(一流投資銀行群)が君臨するのであり、それはつまり米国の主体であるFRB
(連邦準備銀行)の同一所有者が全人代を睥睨する構造なのだ。かくして激突する日中と仲裁する米国の上層権力としてJPモルガンあるいはクレディスイスなど欧州の寡占資本が屹立するのであり、おおよそ極東の戦争シナリオはチューリッヒの古城やアドリア海の邸館で綴られるのである。

米国と中国はイデオロギーを共同するだけでなく、金融市場を通じ資本すら共有するのであり、つまり帝国循環(米国債と人民元の交換により、米国は貿易赤字を解消し、中国は外貨建資産を蓄積する)を通じ互いに領土化し、ついには中国が米国製兵器の最大輸入国となり、彼らは事実上の軍事同盟を結び合同演習すら実施しているのだ。

現実として天安門事件ではフリードマニズム(米国型市場原理主義改革)に対抗する市民が粛清され、その後に導入された検閲システムの開発にはサンマイクロ、グーグル、モトローラー、AOL、マイクロソフトなどが参画し、今や2千数百万台の監視カメラとともに一大セキュリティ(反逆防止)システムを運営するのは周知のところだ。そしてそれがまさに「単一の資本帝国における単一の主権」の証明なのである。

いずれにしろ「基地建設の強行を発端とする極東有事」とは日中米三国が共同するアライアンス(連携行動)であり、紛争の既成事実化によって二ホンの軍事国家構想を後押しする狙いである。早い話ヤラセであり、グローバルエリートがポスト3・11の社会統合策(破局の隠蔽手段)としてミリタリー・レッセフェール(軍事搾取主義)を推進し、武器需要の奮起により資産移転(市民財産を略奪し富裕層に付替えること)を達成するというわけだ。

全ては安手のメタフィクション(もともと存在する虚構に上塗りされる虚構)であり、それはやがて「メディアが煽る恐怖の方程式」に収斂し、支配勢力はまんまと戦争合意を取りつけ、衆愚は民主的獲得物の一切を放棄するのだろう。

かつてオーウェルは「近代の戦争とはある種のごまかしであり、互いに致命傷を与えない擬制の闘争であり、それは今や外交ではなく純然な内政問題であり、暴力は他国ではなく自国の民衆に向けられる」(要約)と語ったのだが、おおよそ本質はこのパラグラフに集約されるのだと思う。

つまり、すべては虚構なの

                                                                            2015年7月15日

解説30

 

旧ソ連と同じく、中国でも特権階級化した官吏(共産党幹部)の子弟は、政財界において強大な影響力を把持している。80年代の開放政策以降は国有企業の民営化にともない、所轄企業の経営者に就任する事例が多く、ロシアにおけるオルガルヒ(新興財閥)と同様に、官僚特権を資本主義世界における優位性に転化し成功を収めたのだ。中国の富裕者層90%以上を太子党(官吏の子弟)とその閨閥が占めるが、出自の省庁や産業領域による対立も激しく、政治的な意思決定は必ずしも統一されていない。

代表的な人物として鄧小平の子弟である鄧樸方(中国障害者協進会主席)、鄧榕(中露友好協会会長)、鄧楠(中国科学技術協会党書記)、江沢民の子弟である江綿恆(中国科学院副院長)、江綿康(中国人民解放軍総政治部組織部部長)、周恩来の子弟である李小鵬(中国華能集団公司会長)、胡錦濤の子弟である胡海峰(清華同方威視技術股份有限公司社長)、胡海清(新浪前最高経営責任者)、温家宝の子弟である温雲松(優創科技中国有限公司総裁)などが挙げられる。

79年に米中間の国交が開始されたさい鄧小平はジミー・カーターとの会談に臨み、米国経済界から支援をとりつけ投資の拡大とともに経済顧問団の派遣を要請した。中国における資本主義モデル構築者もまた、フリードマン理論の洗礼を受けたシカゴ学派の閣僚とウォール街の住人であり、共産党幹部は改革後の莫大な資産形成をインセンティブとして、彼らに教唆されるまま共産主義体制の解体に邁進したのだ。

「改革解放」によって共産党員や親族である太子党が繁栄する一方、市場経済の導入にともない中国社会は混乱に陥った。農村部では人民公社が解体され、都市部では外資の流入が加速すると同時に、経済格差が進行し貧困層が増大。さらに解雇規制は撤廃され、最低賃金法は廃止、食品などの価格規制も撤廃されたため、多数の労働者が苦境に追い込まれ、共産党への不満は爆発する。

1989年、天安門広場を占拠し抗議行動を行っていた労働者や学生、中小企業経営者らは鎮圧され、無差別発砲により1000人以上が殺害される惨事へと発展した。以降、あらゆるストライキや労働運動が武力警察により弾圧され、団体交渉権や労働組合なども認められることが無かった。

 

かくして過激暴力によって平定された中国は投資の楽園となり、外国資本の流入はさらに加速し、太子党は圧倒的経済力を背景に支配を盤石にしたのだ。当時の日本のメディアは天安門事件について、民主化運動が弾圧されたという斉一な論旨で報道していたが、本質はグローバリストと中国人民が相克する内戦だったのである。  



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teoria

本書を一般的な価格に設定したならブロマガ購読者と書籍購読者の間に不公平が生じることから、おおよそ購読料に拮抗させたことをご容赦頂きたいと存じます。

これにより間違っても大量に売れることはなくなったのでしょうが、僕は作家として食べていく気も、言論で一儲けする気も毛頭なく、むしろ敷居を高くすることにより「閉鎖的言論空間」というコンセプトを堅持し、自ら出版の泡沫となることにより安全が担保できると考えるのです。早い話、売れなくて結構なのです。

 

ニーチェの「ツァラトゥストラ」(第四部)は自費で40部のみが印刷され、そのうち市販されたのは僅か7部に過ぎず、スタンダールが「赤と黒」の末尾にTo the happy Fewと記したのは大衆の理解を得られないことを先覚していたからであり、つまり時代のリテラシーを超える書物は時代によって評価されることがなく、いわば発掘され資源化するまで社会の底流に潜む文化の鉱石なのです。

 

ところでモノの価値とは極めて相対的であり、本書が高いのか、安いのか、という問いに対しては断固として後者であると答えます。これは世間にありがちな暴露本あるいは体制批判本の類ではなく、マルチテクスチャ(社会科学、政治科学、経済科学などの諸側面的)に社会現象を分析した科学書であり、つまるところ経済アナリシスの資料としても第一級品であるからです。

 

これまで過去の著作において予測した為替、株式、通貨、地価などの動向、法律群の制定などは90%以上的中しているのであり、その精度は市販のビジネス書など全く比するものではありません。大変不遜ではありますが、理性密度は日経新聞10年分以上でしょう。

 

現実としてコアな読者は拙著の所見に基づいて資産の処分や転化に踏み切り、莫大な毀損を回避するばかりか増殖すら果たしたのであり、その意味において本書は思想書であると同時に実用書であり、哲学書であると同時に実践書であるのです。

 

そしてこのような本書の威力とは、「筆者が自分の頭で考えない」ことによるのだと思います。

諸現象はネグリ、クライン、ボードリヤール、チョムスキー、ヘーゲル、フッサール、デカルト、オーウェル、フロム、ヴェーバーなど数多の「巨人たち」のテオリア(観想)に濾され意味化するのであり、筆者の役割とは主題に従いそれらを整理し統合するに止まるのです。だからこそ自身は学識者ではなくコラージスト(思想と情報と言語を紡ぐ者)を自称するのであり、逆説的に<超越的知識者連合>が上梓する本書は最強無比と言えるのかもしれません。

 

なおコンテンツは2015年2月から7月の記事を主体とし、「SLAUGHTER HOUSE」の小論を全面的に書き直し解説文として加えたものです。あらためてテーマとは我々の社会を呑み込む脅威の分析であり、その背後にあるロゴス(構造と力学)の解明であり、エピステモロジー(何が事実かを認識するための方法論)の獲得であり、タナトロジー(人間生命の尊厳を深く考える思潮)の追究であり、そして極めてハイパーモダンな実存哲学(我々がどのような世界に、どのように存在しているのかを問う思想)の探究なのです。

 

カバーの芸者然とした異形の者は僭称(偽って名乗ること)のシミリ(直喩)であり、ニホン人を偽装する者たちのメタファ(暗喩)であり、変装する略奪者のシニフィアン(記号的表現)であり、狂いを狂いとして触知できない魂のシニフィエ(意味されるもの)であり、それはすなわち彼らであると同時に我々であるというシーニュ(一対の記号)であり、そしてもはや時代はそのようなグロテスクから目を背けることを許さないのです。 

                                           響堂雪乃

 

                                           

 


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