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Scene11      ――サナ

 

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    11

 

 

 勇者気取りの悪ガキ連中から魔物扱いされて、用水路に突き落された8歳の冬。


 屋台の焼きリンゴを万引きしようとしたのが見つかって、店主や客たちから袋叩きにされた11歳の秋。


 痛い目にならそれこそ数え切れないくらい遭ってきた。殴る蹴る以外にだって飢えに渇きに寒さに病気、たった14年かそこらの人生でも死ぬと思ったことは何度もあって、それでも銃で撃たれたのは今回が初めてだった。


 熱と衝撃。火薬の臭い。倒れた自分の周囲に広がっていくドロっとした血液。


 死ぬと思った。数え切れないくらい遭ってきた痛い目の中でも今回のはダントツのピカイチで、さすがにもうダメかなと思った。


“――なのに、生きてる”


 夢などではない。わざわざ頬をつねったりしなくても、全身がバラバラになりそうなくらい痛くて痛くて仕方が無い。でも痛みを感じるということは、生きてる証拠でもある。


 それから、どうしてこんなに痛めつけられたのかを思い出そうとして――今度は心がバラバラになりそうなくらい、激しくはじけるような怒りを覚えた。


「――あ、いつら……、……畜生っ……、ちくしょう、あいつらッ、あいつらぁぁッ……!」


 床屋に売り物をしてきた帰り道、私を襲った男たちふたり。あいつらの笑い声が耳の中にまだ残っている。私を殴りつけ、私を踏みにじり、私の手の中から硬貨を奪い取ったあいつらの、それはそれは嬉しそうな笑い声――まるで思いがけないタイミングで、聖人さまからのご褒美が舞い込んできたとでもいうかのように。


 ……殺してやる。


 どこに住んでいても、見つけ出して、必ず、殺してやる。


 どうにかしてあいつらのねぐらを見つけて、裏口の鍵を壊して忍び込んで、寝ているあいつらの喉笛をナイフか何かで掻っ切ってやるのだ。本当はもっともっと苦しめてやりたいけれど、でも、とにかく実行することが大切なんだ。


 よし、行こう。


 殺しに行こう。


 だけど起き上がるために身体を動かそうとした瞬間、それまでとは比べ物にならないほどの激痛が駆け巡って、私はごろごろのたうちまわった。いや、実際にはのたうつことすらもほとんど出来なかったが、どうにか動く右手で近くの壁をばんばんと叩いた。


 そのまましばらくの時間が過ぎ、痛みにもがくだけの体力も使い果たしてからようやく、私は自分の身体がひどくやわらかい寝床の上に転がっていることに気がつく。


“……どこだ、ここは”


 梁が剥き出しになった低い天井。窓はなく、昼か夜かもわからない。少し離れた壁掛けの燭台では防火用のカバーをかけられたロウソクが、小指くらいの短さになって燃えている。部屋の広さはちょっとしたお店くらいありそうだが、大きな棚がいくつも置かれていて隅まで見通しが利かない。しかし、私以外いまここに誰かがいそうな気配はしなかった。


 一体誰が、私をここに運んだのだろうか……


「ぐ、うっ……、」


 ずきん、ずきん――再び始まった痛みの感覚が、私の思考を真っ赤に塗りつぶす――ずきん。ずきん、ずきん、ずきんずきん。頭や首、肩や腕、胸やお腹、まるで身体のいたるところで大音量の打楽器が鳴らされているみたいだ。心臓の鼓動が一拍打つたびにひどい痛みが鳴り響き、目からは涙、喉からはうめき声があふれた。


 私は痛みがに入るまでどうにか耐え忍んで、それからおそるおそる自分の状態を確かめてみた。手足がついているかどうかを確かめ、指の数を数え、骨折していないかや穴が開いていないかを確認する。たったそれだけのことを調べようとするあいだに、何度も気絶するかと思うくらいの痛みの楽器の大合奏が始まって、私は泣いたりのたうったりしながらそれをやりすごさなくてはならなかった。


 ずきんずきんずきんずきん。耳元で激しく銅鑼を叩いているような頭の痛みの元を指で探って、少し驚く。右のこめかみの少し上あたり、額の生え際の端から2センチくらい内に入ったあたりに、指で強く押したような窪みが残っている。……そこは金属の皮膚なのに。


 同じような窪みと痛みは、さぐってみると背中と右わき腹の中間くらいにもあった。


 今はじめてわかったことだけど、私の金属の皮膚は、数メートルの距離から放たれた弾丸でも貫けないくらい硬いらしい。撃たれたのはその2箇所だけみたいだ。もし生身の皮膚に当たっていれば、もっとひどい怪我を負うか死ぬかしていただろう。加工生命じゃなければそもそも撃たれるようなハメにならなかっただろうから、不幸中の幸いだったなんてふうには思わないけれど。


 でも、たとえ金属の皮膚が裂けなかったとしても、木の棒で思い切り殴られたり石をぶつけられたりしたらその衝撃は肉や骨に伝わる。弾丸を受け止めたこめかみや脇腹にひどい痛みが響いているのは、皮膚の下が傷ついている証拠だろう。


 そして、そんなこめかみや脇腹以上にうるさくて下手な演奏が行われているのは、なぜか特に外傷の見当たらない右膝の周辺だった。


 そのときたら銅鑼や太鼓どころの騒ぎではない。膝の皿の内側に鉄のいがぐりが詰め込まれていて、しかもそれらがポン菓子ポップコーンみたいにバチバチ弾け飛んでいるような、そんな感じだ。 もしかして、骨が折れてしまっているのだろうか。


“これじゃ、立てない”


 心の一部が弱音を吐きだす。痛みのあまり泣きベソをかく。まるで発条仕掛けの罠に足を噛まれた獣になった気分。歩くどころか立つことだって出来そうにない。これでは、こんなザマでは、盗人どもを殺しに行くどころではない……


 ……だめだ。


 足はもう一本ついてるんだ。駅前広場や貧民窟の乞食たちの中には片足がなくなっても生きてる人だってたくさんいる。甘えることは許されない。こんなところで寝ている場合ではない。


 ズキズキガンガンと鳴り喚く全身の痛みから耳を塞ぎ、私は再び身体を起こそうと試みる。一刻でも早くあの盗人たちを見つけ、奪われたお金を取り返さなくちゃいけない。あのお金、私がぐうぐう寝てる間に、お酒とか女遊びとかでたくさん使われてしまったに違いない。でもあんな大金だったんだから、いくらなんだってまだ半分かそこらは残ってるはずだ。けどこうやってぼやぼやしていたら、それだって見る見るうちに使い尽くされてしまう。あのお金はあいつらのじゃない。私のでもない。……あの子の、あの綺麗な髪を売り払った対価なんだ。考えてもみろ。このまま手ぶらで帰ったとして、私はあの子になんて言うことになるんだろう?……“ただいまー。あんたの髪の毛、思ったより高く売れたんだけど泥棒に取られちゃった。ごめんごめん”……とでも?


「……ッ」


 そんなのはだめだ。絶対にだめだ。なら立つしかない。立って歩いて、盗人たちを殺してお金を取り返すしかない。それも早く、あいつらが使い尽くしてしまう前に。


 立て。 立て。 立て!


 ――足がもつれる。視界がぐるりと回転する。燭台の炎がまぶたの裏に弧を描いた。私は寝台から転がり落ち、手をつくこともできずに硬い床に膝をぶつけて……

 



 気絶していたらしい。


 部屋はさっきと同じ。どこだか知らないけれどたぶん地下室。仰向けになって、梁の材木がむき出しになった天井を見上げている。


 そして、もう、今は、首を動かして周りを見ることすら出来そうになかった。さっきですら限界だと思っていた体力はさらに失われてしまっていた。全身を苛む苦痛すらもが今は遠い。虫の息、とはこういう状態なのかも知れない。


 物音がした。


「――良かった」


 声がした。


 まだ年若い少年の、いや、ほとんど子供のような声だった。


「良かった、気がついたんだね」


 何を言われているのか、よくわからなかった。


 私は眼球だけを右に動かし、声の主のことを見た。声の主そいつはやはり子供ガキだった。目元の少し上で切り揃えられた黒髪。小賢しそうなアーモンド形の瞳。筋肉のついていない脛が丸見えの半ズボン。室内なのに当然のような顔で白いコートを着ていて、しかもサイズがぜんぜんあっていない。年の頃は、市民学校を卒業する直前かしたばかりくらいだろうか。


「峠は越えたはずだったんだけど、目を醒まさないから心配してたんだ。このまま死んじゃうんじゃないかってね。意識が戻って、本当に良かった」


 何を言われているのか、よくわからない。


 彼の言葉はまるで意味不明な異国の言語のようだ。


「えっと……聞こえてるかな? いちおう鼓膜は破けてなかったと思うけど。気分はどう?」


「……最悪よさひあぐほ


 私はどうにかそう言った。自分でもびっくりするくらいの、まるで喘息持ちの老婆のようなしゃがれ声だった。本当は息をするのも辛かったし、無視し続けても良かったのだが、あんまりにも嬉しそうに話しかけてくるこいつの顔に思わず我慢が出来なくなってしまったのだ。


 ……良かった、と言ったのか? 全身ぼこぼこにされて、銃弾まで撃ちこまれて、有り金ぜんぶ奪われたこの私に向けてこいつは、、と?


「っけんじゃなひはほ……」


 私は少年を睨み、出来る限りの悪態をつく。するとそいつは何を勘違いしたのか、ぽんと手のひらを打ち、「ああ、ごめん。喉渇いてるよね。ちょっと待ってね」


 などと言って私の視界から出て行った。そしてすぐに、ガラス製の小さな水差しを持って戻ってくる。そして瓶の中ほどから突き出た薬缶ケトルの注ぎ口ような先端を、私の口元に近づけてきた。

 

 抵抗の意志は、瓶の先端からちろりと垂れてきた最初の一滴に奪われた。私の口の中は岩礁に打ち上げられた藻屑のように渇いていて、ただの水が蜂蜜よりも甘く感じられた。


「焦らないで。ゆっくり」


 そう言いながら、少年は少しずつ瓶を傾ける。まったくじれったいったらない――こっちとしては、バケツ一杯でもがぶ飲みしたいくらいだというのに。


「どうかな、少しはマシになった? 寝ているときにも一応、見てあげていられる間は点滴を入れてたんだけど。あ、点滴っていうのは静脈を通して水分や栄養を供給することでね――……」


 水瓶を空にした私に向け、そいつは何やらペラペラと語りだす。だが耳を傾けてやる理由は特に無い。私は両腕にぐっと力を込め、身体を起こそうとする。肩や腕の筋肉がびきびきと痛むが、右足よりかはマシだ。まともに歩けないことは十分にわかった。杖が要る。木の枝でも火かき棒でもなんでもいい。ないのなら、這いずってでも進む。

 

「ダメだよ、寝てなくちゃ」

 

 少年は慌てた様子で私の肩に手を置いた。その気安さがますますもって苛々する。いま握っているものが寝具の布で良かったと思う――私の怒りは、金属以外には伝播しない。


「……あんたに、何が判るっての……」


 30センチも離れていないところにある彼の瞳を睨み、私は言った。だが彼はこともなげにこう答えた。「全身打撲。肋骨の8番と9番に罅。頭部裂傷に一部陥没。膝の弾丸は摘出できたけど、肉や骨を繋ぎ合わせたところはまだ相当に痛むはずだ。それから、」


 少年はいきなり上半身をかがめた。私は思わず目を閉じた。頭突きされる、と思ったのだ。


「……熱は38度ちょっとかな」


 と言って、彼は私の額の生身部分に触れさせた自分の額を離し、そして掴んでいた肩からも手を離した。彼の身体からはつんと鼻につくにおいがした。まるで安いワインからブドウの甘ったるさを抜いたようなにおいだ。


「……なんなの、あんた」


 私は本心からの疑問をぶつけた。うまく言えないが、こいつはちょっとおかしい。空き地でちゃんばらしたりままごとをしている子供たちとは別の人種だと思う。……何よりも、彼には私の身体を珍しがったり、気味悪がったりする素振りが無い。

 

「ああ、ごめん。自己紹介してなかったね。僕はトゥエル・ジャック。医者見習いだよ。ここは僕が働いてる診療所の地下。……君は?」


 私は答えなかった。“医者ですって?”眉根が寄るのがわかった。その日の食事にも困るような貧乏人にとって、医者など御伽噺に出てくる魔法使いと大して変わらない。つまり、“助けてくれたらいいなと思うけど現実にはまったく縁のない存在”だ。見習いであろうとも、こいつもその端くれだというのなら……


「……いくら?」と私は尋ねた。水を飲んだおかげで口の中がマシになり、多少は喋れるようになっていた。「私はあんたに、いくら払えばいいの?」


「え?」


 トゥエルとかいうガキは意味がわからないとでもいうように目をしばたく。私は続けた。


「だから治療費っていうの? そういうやつよ。でも見ての通り、私お金なんてぜんっぜん持ってないわよ。立て替えてくれる身内もいないし、そもそも帰る家だってないんだから。こんな身体じゃ、娼館だって門前払いだし――それとも見世物小屋に売り飛ばすつもり? そっちだったら、小銭稼ぎくらいにはなるかもね」


「そんなこと、するわけないだろ」


 少年はちょっと怒ったようにむくれて言った。とはいえ、声音にも面構えにもぜんぜん迫力が無いから怖くもない。私は重ねて尋ねた。


「じゃ、あんたはどういうつもりで私を助けたの? 私を拾って治療することで、あんたにどんな得があったっていうの?」
 もし、その理由が同情によるものなのだとしたら――加工生命であることや、流民の子であることを憐れに思って施しをしたというのなら――それは嫌悪の目で見られることと何も変わらない屈辱だ。いや、慣れていないぶん余計に性質(たち)が悪いかもしれない。私だって、好きでこんなふうに生まれたついたわけじゃない。だけどそれを利用して他人のお情けを頂戴しようだなんて、考えただけでも虫唾が走る。


 私の問いに対し、トゥエル・ジャックは、笑った。


「僕は医者の見習いで、まだまだ勉強中だから」と彼は言った。「だから試してみたかったんだよ。キミみたいな変わった身体のひとでも治せるのかどうかね」


 さっきまで浮かべていた明るい笑顔とは違う、曖昧な笑み。それはひどい言い草だという自覚があるためだろうか。


 一方、“変わった身体”と言われた私は傷ついても怒ってもいない。事実を言われてへそを曲げるほど子供ではないつもりである。それよりも気になるのは、トゥエル・ジャックの答えが本当かどうかという点だ。うまく言えないが、今のはあらかじめ用意されていた嘘だったように思える……根拠は女の勘のみだけど。


 こいつは何を企んでいるのか? 今の私には知るすべはない。知ったところで、この状態ではロクに抵抗することも出来そうに無い。もし彼が医者であって、本当にタダで身体を治してくれるというならそうしてもらおう。他のことは、またあとで考えよう。


 とりあえず――


「……サーナ、よ」と私は言った。


「え……?」


 少年はまた、ばかみたいにそう聞き返してきた。そのとぼけたような顔にいらいらする。もしかしたらこいつには、私を苛つかせる才能があるのかもしれない。


「だから、私の名前よ。あんたさっき自分で聞いたでしょ。忘れたの?」


「ううん」と言って、トゥエル・ジャックは首を横に振った。それから彼は、また嬉しそうな笑顔を浮かべ、「よろしく、サーナ」と言った。


 ……ま、嘘は言っていない。水一杯分の情報料としては妥当なところだろう。


「ねえ、あのさ。サーナはどうしてあんなところで倒れてたの? 身内がいないって言ってたけど、誰か心配してくれるひとは――……」


 こちらが気を許したと勘違いしたのか、トゥエル・ジャックはさっそく質問を重ねてくる。きっと私が寝ているあいだにも、色々聞きたくてずっとうずうずしていたのであろう。そんなものにいちいち答えるのもだるいしめんどくさいし、喉は痛いし、また口の中が渇くのもごめんだ。


 やりすごす方法は簡単に思いついた。


 ――ばたり。腕から力を抜くと、私の身体は支え棒のはずれた鎧戸のように仰向けに倒れた。枕がやわらかくて気持ちいい。鬱陶しい顔も視界からなくなって、一石三鳥である。


「だ、大丈夫?」


「ダメ。ダメすぎ。ぜんっぜんダメよ。もうそこらじゅう信じられないくらい痛いし、立って歩くことも出来そうにないし……ねえ、あんたほんとに医者なの? もしほんとだってんなら、いますぐ私を歩けるようにしなさいよ」


「……ごめん。痛みを和らげる薬はないわけじゃないけど、でも使いすぎると逆に毒になっちゃうんだ。手術のとき、サーナが起きてしまわないように多めに使わなくちゃいけなかったし……足のほうは、前と同じように歩けるようになるには一ヶ月はかかると思う」


「いっ……」


 一ヶ月? 一ヶ月と言ったのか、このアホは。そんなにのんびりしてたんじゃ、あのお金は……


「……どうしたの?」


「うるさいわね。なんでもないわよ。いいから出てってよ。私は寝るわよ。もしかしてそのあいだじゅう……それとも、一ヶ月間も私を見張っているつもりなの?」


「うん、僕もそろそろ行かなきゃ。上で患者さんたちが待ってるから。ごめんね」そいつは何故かすまなそうに、椅子から立ち上がった。「あとで何か、食べられそうなものを持ってくるから。それと、出来ればでいいんだけど……あまり大きな声を出さないでね」


 そう言い残し、トゥエル・ジャックは枕元から離れていった。


 階段を登っていく足音が聞こえなくなってから、私は苛立ちを固めて空気にしたような重い溜め息を吐きだす。一ヶ月などとても待てない。私は一刻でも早く奪われたお金を取り戻さなくてはならないのだ。


 そのためには、あの盗人たちを見つけなくてはならない。


 そのためには、体力を回復させなくてはいけない。


 あの少年が何を企んでいるのかはさっぱりわからないが、そのためになら、利用できるものは利用しよう――。そう決めて、私は暗い天井を睨みながら、盗人たちをどうやって見つけ出せばいいかを考え続けた。

 

 (第12回につづく → http://p.booklog.jp/book/101814/read


この本の内容は以上です。


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