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Scene10      ――“狡賢小兵”、マフィアの大幹部

 

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    10

 

 

 ぴちょん――ぴちょん。


 雨があがったのは夜明け前だったはずだが、元カンヅメ工場の傷んだ天井からは雨水がぽつぽつと垂れていた。


“ジジイの小便みてェなキレの悪さだな” 


 天井の修理を依頼することを半ば無意識に考え、男はすぐに止めた。口の固い業者にはいくらか心当たりがあるものの、近隣住民の注目を集めるようなことは出来るだけ避けるべきだった。こんな陰気な場所で寝起きする部下たちには気の毒ではあるが、この倒産したカンヅメ工場もしばらくは廃墟に見えていたほうが都合がいいのだ――前の造船所と同様に。


「お早いお越しで、ボス」


 暗がりの中から小走りに駆けてきた人物は、一見したところでは貸本屋や代筆屋に勤めていそうなごく普通のやさっぽい青年だった。


「よう、ビル」


 その“ボス”は深々と頭を下げる青年をこう訊ねた。


「レズロは来ているか? 事務所に戻る前に、ここで落ち合うことになってたんだが」


「レズロさんですか? いえ、まだですね」


「ふむ。では、先に博士に挨拶してくることにしようか」


 カンヅメ工場の跡地には空き缶や壊れた木箱が散乱していたが、“ボス”は臆することもない態でその暗闇の中に踏み出した。ビルと呼ばれた青年はベストのポケットからマッチを取り出し、照明用に火をつけようとする。安物のマッチは湿気を吸っているせいもあって二本が火のつく前に折れた。ようやく成功した三本目を消さないように摺り足になって彼は歩き、そして苦もなく上司を追い抜いて先導を務めた。


 別にビル・フレドの摺り足が速かったわけでも、“ボス”が彼を待っていたというわけでもない。ただ、先を進んでいた男の歩幅が、平均的な成人男性の半分くらいしかなかっただけの話である。


“ボス”の名はゼヴェルジェン・W・ラーマス。37歳。表の肩書きは不動産会社のオーナーだ。親しい者からは“ゼヴ”と、そうでない者からは陰口まじりに“狡賢小兵こうけんこひょう”と呼ばれている。


 この男が“死体を啄む蟹カタヴァー・ギャザーズ”というマフィアの大幹部の一人であると聞かされても、初対面の相手はまずそれを信じることが出来ない。潰れた鼻や釘で引っかいたような古傷、厳しい顔つきは確かにカタギのそれではないのだが、大抵の人間はそうした容貌よりもまず先に、子供のような矮躯の首から上に中年男性の頭が乗っていることに驚くからだ。


 いくら怖い顔で凄みを利かせてみたところで、痛みへの恐怖を掻きたてることが出来なければ暴力屋は成り立たない。ゼヴェルジェンには残念ながらそうした素養が欠けている。とはいえ、見掛け倒しの図体ガタイ図体(ガタイ)を使った脅迫などは部下に任せればいい――と、彼自身はそう考えている。“ま、適材適所ってやつだ”


 ゼヴェルジェンたちは長くて細い階段を上って、工場の事務所があった二階の部屋を目指した。ライミー&スイミー兄弟社ブラザーカンパニーは北海で取れた魚介類を大量に買い取り、それらをカンヅメに加工する食品会社だった。最盛期では百人ほどの従業員たちがこの工場で茹でた蟹を解体バラしたり、たらの身を摩り下ろしたりして、日に一万個以上のカンヅメを生産していたらしい。そんな会社が廃業に追い込まれた理由はごくありふれたもの、同業大手との価格競争に負けて資金繰りが立ち行かなくなったからである。兄のライミーは海に身を投げ弟のスイミーは行方をくらまし、かくてこの工場と敷地はゼヴェルジェンの配下の不動産会社の持ち物になったという次第だ。閉鎖後に新しい買い手が見つからないまま、一年近く経過した現在でも、鼻を利かせれば建物に染み付いた魚の生臭さを嗅ぎ取ることが出来る気がした。


 ――どたどたどたどた。二階にあがろうとしたゼヴェルジェンたちから逃げるように、数匹のネズミが暗い廊下を走り抜けていく。


「猫でも飼うか、ビル?」ゼヴェルジェンは前を歩く部下に尋ねた。「一日中見張りってのも暇だろう。エサはわざわざ用意しなくても、たっぷりありそうだしな」


「ありがとうございます、ボス」と青年は答えた。「雑談したり、トランプが出来る猫だとなおいいですね」


「よし。マダム・デュロエに心当たりがないか聞いてみよう」


 ゼヴェルジェンがそう言うのとほぼ同時、青年は元事務室の引き戸を開けた。市民学校の教室くらいありそうな部屋の片隅ではロウソク一本きりの明かりの下で、あかじみた服装の男が机に突っ伏していた――いや、その人物は痩せぎすな背中を丸めに丸めて、獣がエサに喰らいつくかのごとき姿勢で一心不乱にペンを走らせていた。ゼヴェルジェンたちは足音もドアを開ける音もまったく潜めてなどいなかったのだが、その男が彼らに気づいた様子は少しもなかった。


「やあ、ポーラット先生」


 ゼヴェルジェンは朗らかな声で話しかける。だが返事の変わりに返ってきたのは、羽根ペンの先端が紙を擦るカリカリという音のみだった。業を煮やしたビルは男が机の脇のインク壷に手を伸ばそうとした瞬間、彼の座っていた椅子の足を軽く蹴った。


「!?」


 途端、男は雷に打たれたかのごとき反応を見せた。ひゃっくりを何倍にもしたような乾いた悲鳴をほとばしらせ、蹴ったビルが逆に驚くくらいの勢いで椅子から転げ落ちたのだ。


「……ゼ、……ゼ、ゼヴェ……ゼヴェル……ジェン、さ、ん…………」


 ほとんど泣きそうな声で男がうめく。いや、彼のこけた頬には本当に涙がはらはらと伝っていた。椅子の足をしっかり掴んで、格子状の背もたれの隙間からこちらを窺うその様子は、まるで母親から引き離された動物園の憐れな小猿のそれだった。


 ゼヴェルジェンは内心でため息をつく。職業柄、他人から怯えられることには慣れてはいる。たとえ自分のようなチビであっても、軍隊あがりの屈強な男を怯えさせることなど難しくない――椅子か何かにロープで縛り付けてあれば――ついでにちょっとの薬と、専用の道具があればもっといい。しかしゼヴェルジェンの記憶している限り、このポーラット・ピンチャーという人物に対しては、手荒い真似をするどころか暴力を振るう気配すら一度として見せたことがないはずなのだが。


「やあ、ポーラット先生」


 ゼヴェルジェンは朗らかな声で、もう一度挨拶した。ほとんど子供に話しかけるように、床にへたりこんだポーラットと大して変わらない目線の高さで。


「そんなに怖がらないでくれよ。おいらと先生は友達じゃないか。そりゃ、こんな魚くせェ寝床に移ってもらうことになったのは悪かったと思ってるよ。けど手術台が置けて、生きた人間を閉じ込めておける場所ってなるとなかなか限られちまってなあ。まあ食う物だって飲み物だってちゃんとあるし、街警団の連中にしょっぴかれるよりかマシだと思って我慢してくれよ」


 このポーラット・ピンチャーの正確な年齢を、ゼヴェルジェンは知らない。肌の衰えや生え際の後退具合から推し量るなら、おおよそ自分と変わらないか少し上くらい――つまり、40かそこらくらいに見える。


 しかし、目は――椅子の背もたれの隙間からこちらを凝視する、彼の大きな黒い瞳は――……まるで世間の汚穢にまみれる前の、十代の少年のように澄んでいるとすらいえた。


「もっ……、もっ……、もうっ、申し訳ぇ……、申し訳えぇぇぇ……!」


 そんな両眼から滂沱と涙を垂れ流しつつ、ポーラットは不明瞭な発音で謝罪の言葉を繰り返している。


 ゼヴェルジェンは辛抱強く彼に話しかけた。


「何を謝るんだい、先生。おいらァ何も怒っちゃいねェよ。あんたの造った『作品』がどれだけ使いものなるか見たがったのはおいらだし、結果として足がついちまったのは運が無かったとしか言いようがねェ。そのイミじゃ、あんたに悪かったとすら思ってるんだ。
 な、後生だから泣き止んでくれよ先生。そうだ、まだ昼間だが景気付けに一杯どうだい? クラーシャ産のシェリー酒をいっしょに空けながら、新しい素材の具合について教えてくれよ――」


 そんな調子で、ゼヴェルジェンはしばらくのあいだ説得を続けた。しかしポーラットは『傭兵王アルガルク物語』に登場する地下牢の魔女のようにいつまでも椅子にへばりついて離れず、泣きながらあやまり続けるのみだった。


 マフィアのボスは根負けしたというよりも、癇癪の虫が目覚めて彼に暴力を振るってしまわないうちに元事務室をいったん離れた。


「やれやれ。あの先生、ますます酷くなっちまったみてェだな。なあビル、お前ら本当に先生をいじめたり、言うことを聞かせるために薬を使ったりしてないだろうな?」


「勘弁してくださいよ。やってませんよそんなこと」


「冗談だ。……というかだ、おれだけじゃなく、お前らが世話するときもあんな感じなのか?」


「ええ。いや、理由はわかりませんが、ティミーの奴の言葉ならもうちょっと聞く耳を持ってくれるんですがね」


「お前やおいらなんかより、あいつのほうがよっぽど強面なのになあ」ゼヴェルジェンは身体つきのわりに大きな頭をひねりながら言った。

 

「そういや、ティミーはどうした?」


 ビルは答えた。「今日は非番ですね。ウサ晴らしに最近お気に入りのスケのところに顔を出すって言ってましたが」

 

「……。明日また来るか」


 そう言うと、マフィアの幹部である小男は珍しく部下の前で溜め息を漏らす。


「あの、ボス――……」


 そんな彼に向け、ビルは躊躇いがちに話しかけようとする。しかしビルが続けるより先に、カンヅメ工場の入り口のほうから物音がした。それから、闇の中をゆっくりと近づいてくる一人分の足音が。


 ゼヴェルジェンはその足音を聞くだけで、誰が来たのかわかった。


「ボス」


「レズロか」


「すいやせん、遅くなりやした」


 ぎしぎしと軋む階段を登り、ビルが掲げる燭台の明かりの範囲に入ってきた男はゼヴェルジェンにとって片腕ともいうべき人物だった。背丈はさほど大きくなく、中折れ帽にコートの出で立ちだけならごく普通の町人といった感じだが、いかつい肩や黒く縁取りしたような金壺眼はまるで城塞区の豪邸に飼われている番犬のような雰囲気を放っている。


 そんなレズロ・デルヴェーヌを見上げ、ゼヴェルジェンは前置きを飛ばして短く尋ねた。


「おう。首尾は?」


 レズロはなめらかにこう答えた。「街警団の奴らとは話をつけてきやした。現場レベルの隊員からウチの連中が突っつかれる心配はもうないでしょう。ただ昨日の今日でしたからね、連中への付け届けをもうちょっと増やしておいたほうがいいかも知れやせん」


「任せる――ああいや、これからのこともあるからな。多少奮発してやっていいぞ」


「へい。で、あのゴロツキはやっぱりフェジテのとこの下っ端みたいですね。マゾルデの調べによると、三人組の運び屋って話でしたが」


「フェジテか。フン、あの腰巾着野郎には、証拠も無しにおいらのところに乗り込んでくる度胸は無ェだろう。フィズグノーが出張ってくるようなら、ちっと面倒になるが」


「“蟹の脚”同士で抗争になることも?」とビルが口を挟んだ。


 ゼヴェルジェンはゆるくかぶりを振った。


「そこまでにはならんだろう。大きな喧嘩をするには大きな準備がいるものだ。今出来るのは、せいぜい机の下で小便を引っ掛けあうくらい――ま、一年後にどうなるかはわからんが」


「そうですか……」


 ゼヴェルジェンはレズロのほうを再び見上げた。


「マヤトの連中は? やはり嗅ぎつけてきているか?」


「おそらくは。取り引きのありそうな盛り場や歓楽街で、“オニ”の連中がコソコソしてるのは間違いねェです。どこまでコッチの尻尾を掴んでるかまでは、さすがに図りかねやすが……」


「フェジテのほうは内輪揉めで済むだろうが、最悪こっちは本当に一朝事ありかねん。レズロ、もし外回りのやつらがマヤトの荒事師と小競り合いになったら迷わず逃げるよう徹底させておけ。うちの筋肉連中は脅しが専門であって、ガチのチャンバラやド突き合いじゃ野良のチンピラに毛が生えたようなもんだからな。まして相手は、闇に紛れた殺しにかけちゃ仮面鳥マスクスバードの精鋭にだって引けを取らんって噂のやつらだ」


「了解しやした」
 小男の言葉に、いかつい男はのっそりと頷いた。 それから少しの間、彼らは互いの情報を交換し、おおっぴらに出来ないような業務上の指示を飛ばしたり、それを受けたりしていた。その話し合いがひと段落したところを見計らい、ビルは意を決した様子でゼヴェルジェンに問うた。


「ボス……ちょっと、聞かせてもらっていいですか?」


「なんだよ、ビル」


「その、俺みたいな下っ端にはわかりかねるんです。聞くところによるとボスは、あのきちがいみたいな野郎の『実験』のために結構な額を張り込んでるそうじゃありませんか。ほかにも街警団のやつらに鼻薬を嗅がせたり、他の“蟹”やマヤトの連中と関係を悪くするかもしれないような危険まで冒して……。
 いったいあの野郎のために、どうしてそこまでしてやるんです? ちょっと強いが欲しいってだけなら、あの野郎が溶かした半分の額で何十人もの鉄砲玉を戦力として雇えたはずなのに――」


「ビル」


 ゼヴェルジェンに鋭く名を呼ばれただけで、青年は石でも呑んだように喉を詰まらせ硬直した。全盛期を過ぎているとはいえ、ゼヴェルジェンの威圧にはそれだけの迫力があった。冷や汗を垂らし、廊下の奥の暗闇を凝視する若い部下のことをしばらく見上げ、それから彼は言った。


「あの野郎、じゃねェ。先生とお呼びしろと言ってるだろう。ポーラット先生、とな。護衛役の纏めのお前がそれでどうすんだ。ティミーたちに示しがつかねェだろうが」


「すっ、すっ、すいませんっ、でしたっ……!」


 フン。小さな男は鼻息をひとつ漏らすと、傍らで黙りこくって事の成り行きを見守っていた腹心に合図を送った。


「――ビル。おめェ、親父さんの生まれはゼフルスのほうだったか」


 そう尋ねるゼヴェルジェンの唇にはダームス社製の太い葉巻が咥えられており、レズロはほとんど直角に腰を曲げながら、一発で火をつけたマッチの先を掲げていた。


「……はい。ゼフルスの西はずれのキドナ村ってド田舎です。ご存知の通り、俺が生まれる前にこっちに来たそうなので、俺自身は見たことがありませんけど」


「ああ知ってる。親父さんは小作農をしてるところ、戦争で焼け出されて流れてきたんだったな」


 ええ。と頷くビルを見上げもせずにゼヴェルジェンは葉巻ケースから新しいものを取り出し、親指ほどの長さのナイフで器用に先端を切り落とした。


 そして、彼は腕を伸ばしてそれをビル・フレドのあごの辺りに突きつけた。


「……。いただきます」


 ビルが咥えた葉巻の先に、再びレズロが火をつける。彼が一度深呼吸するのを待って、ゼヴェルジェンは続けた。

 

「おいらは父親もわからん、中絶をしくじった娼婦の息子だが」

 

 吐き出した紫煙の中に過去を見るような目つきで、彼は言った。


「どぶ川に捨てられたところを救貧院に拾われ、そこでさんざんこき使われた挙句サーカスに売られ、あれこれしてるうちにマフィアの下っ端になった。そんなやつが今じゃこうして、お貴族サマ御用達の銘柄の葉巻をフカしている。娼婦の息子が、小作の三男坊と一緒にな」


 男は再び部下に視線を戻す。

 

「わかるか、ビル。この街は天国なンだよ。おいらたちみたいな肥溜め生まれにとっちゃあな。職業を変える自由も、財産を持つ自由も無かった大昔とは違う。天国に昇るための階段を自分で用意することが出来る。左官屋みたいに、黄金で出来たレンガを積み上げてな。
 ――そうだ。必要なのは金、金、たくさんの金だ。お貴族サマは権力を利用して金を集める。腐れ坊主は信仰を利用して金を集める。そしておいらたちは、暴力を利用して金を集める。しかし貧乏人どもを小突いて落ちる金なんざタカが知れてるし、暴力ってのはより大きくて強えェ暴力に潰される宿命もんだ。
 じゃ、もっと金になるものは何だ?
 それが見つけられなきゃおいらたちはこれ以上上り詰めることはできねえし、いずれこの天国から、元の肥溜めみてェな地獄へと落っこちることになるだろう。なあビル、考えてみてくれよ。“もっと金になるもの”って一体なんだ? おいらたちはどうすればこの天国に居座り続けることが出来る?」


「……………………すいません。わかりません」


「そりゃァ駄目だビル。その答えじゃ、


 ゼヴェルジェンは葉巻の中ほどをピンと弾く。親指の先くらいの長さの灰の塊が廊下の床にぼとりと落下していく。

「レズロ」ゼヴェルジェンは控えていたもう一人の部下に言った。「おめェ、教えてやれ」


「は」いかつい男は短く答えた。「


 ゼヴェルジェンは満足げに紫煙を吐き出し、そして“正解だ”と言わんばかりに新しい葉巻を彼に渡した。ビルは慌てて抗議の声をあげた。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよボス。俺とレズロさんの答えで、何がどう違うっていうんですか」

 

「わからんか? まあ、言葉の響きだけなら些細な違いに聞こえるかもしれんが。そうだな――」レズロが自分自身で葉巻に火をつける様子を見上げながら、ゼヴェルジェンは少し考えるような顔をした。「ビル。ケインリッヒ・ボスティックを知ってるか」

 

「はあ、そりゃあ。ボスティック社を創った人でしょう。この国で一番でっかい鉄道会社を作ったお偉いさんの名前くらい、子供だって知ってますって」


「ああ。ボスティック社――アーヴィタリスはもちろん、西の都市国家郡や東のマヴェロー、ガラリナにまで架線を伸ばしているあの会社。時価総額は100万クラウンかそれ以上とも言われている。だがその創業者であるケインリッヒ・ボスティックは、ただの馬車の装具職人に過ぎなかった。本当なら片田舎で車輪や幌を作って一生を終えるはずだった男が、蒸気機関と出会って億万長者に登りつめたんだ。
 だがもし、この時代にケインリッヒと同じ頭脳と技術を持った人間が居たとしても、そいつはケインリッヒ本人と同じ成功を収めることは絶対に出来ない。――何故か? 簡単だ。すでにこの世には、鉄道というものがからだ。そいつがいくら努力しようが、既にある鉄道の権利権益を得ることは不可能なんだ。つまりケインリッヒが大成功した要因は技術でも努力でもない、その時代に鉄道の基礎を発明した幸運と、その権利を手放さなかった先見性だったってことだ。
 まださほど世に広まってるわけじゃないが、電信の権利を持ってるやつもやがては億万長者になるだろうとおいらは思う。ケインリッヒと同じようにな。
 さっきレズロは“ありやせん”と答えただろう。ほら、その通りじゃないか、ビル? だって既に“ある”ものは既に誰かの権益もので、既に誰かの金ヅルなんだ。だからおいらたちが大成功したけりゃ、まだこの世に存在しない凄ェ技術や発明を、一番乗りで見つけなきゃならねェのさ。――要するにこれは、地図も言い伝えも無い宝探しなんだよ」


「…………な、なるほど……?」


 小さなボスの長広舌に、朴訥な青年はどうにかそう頷きを返した。


「で、だ。残念ながらおいらは一介のマフィアに過ぎなくて、学も技術もロクにもねェと来てる。そんなおいらが“まだ存在しないもの”の権利を得たいなら、誰かのパトロンになるしかねェだろう。そのうちの一人がポーラット・ピンシャーってワケさ。しかもだ、あの先生が作ろうとしてるのはただの武器とか兵士とか、そんなんじゃねェんだ」


「それじゃ、何を?」


 咥えた葉巻の先をピンと立て、ゼヴェルジェン・W・ラーマスは悪党らしくニヤリと笑ってこう答えるのだった。


「――“新しい人種NEXT MAN KIND”、だとよ」

 

 


(第11回につづく → http://p.booklog.jp/book/101754/read


 

 


この本の内容は以上です。


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