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Scene9      ――クライブ・ヨレン

 

 

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    9

 

 

 次郎衛門ジロウエモンからは怪我が完治するまでの滞在を勧められたが、クライブ・ヨレンがマヤトの〈鬼の棲家〉を離れたのは目を醒ました翌日のことだった。


「――手前どもの食事はお口に合いませんでしたかな」


 去り際、老人は引き止めるでもなくそう訊ねた。


 鱈のすり身団子の入ったポリッジや色とりどりの根菜を甘辛く味付けした煮物など、出された料理はどれも手が込んでいて、初めて食べるものばかりだったがどれも美味しく感じられた。ジロウ氏やマヤト人の女給たちの計らいにお世辞でなく感謝を述べ、〈鬼の棲家〉を後にしたその足で、クライブは再びランカニスを捜し求めての聞き込みをはじめた。


 酒場PUB宿屋INN。立ち食い屋台に大衆食堂。パン屋に質屋に両替屋に郵便屋に新聞屋に貸本屋に靴磨き屋に古着屋。あの老人が少しでも立ち寄りそうに思えた店には目に付く端から足を向けた。しかしこうして総当りに近いマネをしていると、大通りの辻から辻までを通り過ぎるだけでも簡単に数時間が経過してしまう。そのうえ、アーヴィタリスには海岸近く以外にだって栄えた繁華街がいくつもあるのだ。ただでさえ朴訥気味の青年ひとりが、似顔絵の一枚もなしに誰かを見つけようというのは所詮無理のある話なのかも知れなかった。


“――ま、それはわかっていたことさ”


 丸二日ぶりに戻った〈よき風のはじまり〉亭の個室の、固めた藁にシーツを被せたベッドに倒れこみ、青年はそうひとりごちる。聞き込みの成果はまるで上がらなかったが、しかし何かをしていれば余計なことを考えずに済んだ。馴染まない文化ながらもやわらかいフトンがあって、美味い飯の出てくる〈鬼の棲家〉を離れる気になったのは、そのためだ。


 開け放った窓からは夜光蟲の青白い光が差し込んでいた。それを頼りにクライブは左腕の包帯を解き、指で触って怪我の具合を確かめる。痛みはそこそこあるし、縫合の糸のちくちくする感じも気になるものの、とりあえず日常生活くらいは支障なさそうだ。“どちらにせよ、しばらく稽古どころじゃないからな”


 いかにも使い古した感じのする粗末な丸テーブルの上には、中身が三分の一ほど残ったエールの瓶がぽつんと置かれていた。そういえば一昨日の夜に部屋を出た際には空の酒瓶が無数に散乱していたはずで、戻ってきたときにそれが残っていなかったということは、宿の人間が片付けておいてくれたということだろう。


 残ったエールを呷る気にはならなかった。


 鎧戸を閉めると、部屋は闇に閉ざされた。怪我をおして歩き回った疲れのせいでというよりも、聞き込みのために何人もの見知らぬ相手に話しかけなくてはならなかった気疲れのせいで、クライブは泥のように眠った。

 



 ――がさがさ、という音でその眠りは破られた。 目を開ける前からもう朝だと感じていた。半眼のまま首をめぐらせて見れば案の定、開け放たれた窓からは朝のひかりが差し込んでいる。もっともこの部屋からでは、向かいの建物の陰になって直接太陽を拝めるわけではないのだが。


 ……待てよ、


“寝る前に窓は閉めた!”


「や、おはよう……クライブさん?」


 シーツを跳ね除けて身体を起こしたクライブに、その少年(――“いや、少女か?”――)はごく当たり前のように気安く挨拶をしてよこした。青年は返事をすることも忘れてその人物を見つめる。年の頃は14、5歳くらいだろうか。整ってはいるものの性別のはっきりしない顔立ちに、どこか気だるげな表情を浮かべてこちらを見ている。肉付きは華奢そうだが、だぼっとした上着を着込んでいるため身体のラインもはっきりしない。しかも奇妙なことに、部屋の中であっても黒っぽいケープを頭に被って外していなかった。


「お前、誰だ……?」


 がさがさがさ。備え付けの椅子に座っていたその少年だか少女だかはその問いを聞き流し、膝の上に広げていた新聞デイリー・マルセアを悠然と折り畳む。どうやらクライブが目を覚ますまで、それを読んで待っていたらしい。怪しいことこの上ないが、少なくとも物取りなどではなさそうではあった。“不法侵入には違いないけれど”半ば寝ぼけた脳みそで、クライブはそんなことを考える。


 几帳面に縦折りにした新聞をテーブルの上に放り出し、そいつは空になった右手の中にまるで手品のように一通の封筒を出現させた。


 それから、こう告げられた。


「“蛇”からのお便りだよ、クライブ・ヨレンさん」


 眠気が一気に飛んだ。


 シャツにパンツだけという格好で寝ていたのも忘れ、跳ね起きた彼はひったくるようにその封筒を受け取る。署名らしきものは便箋のどこにも見当たらなかったが、裏面を止めた蜜蝋ワックスは緑とも青ともいえない爬虫類の鱗のような光沢のある着色がしてあり、印には喉を膨らませた蛇の意匠が押されていた。


 が、紋章官などではないクライブにとってはそんなものはどうでもいい。左腕の傷がひきつるのも構わず、半ば破るように封を解き、三つ折りにされた手紙を広げる。


 そのパピルス紙には、のたくるような筆記体の文字で次のようなことが書かれていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 親愛なるクライブ・ヨレン准尉殿へ

   お約束の『商品』をここにお届けいたします
   内容を確とご記憶いただけましたなら、書面を便箋に戻し
   この封筒を御貴殿に渡した運び手ペパーミント嬢に
   返却していただくようお頼み申し上げます
   湯殿の奥底の巣穴からお祈りしております

   また私事ですが、クライブ殿にとって
   このアーヴィタリスの逗留が実り多きものにならんことを

   今回は良い取引のほど、誠にありがとうございました

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 


 一枚目の手紙の最後には、蜜蝋のそれと同じ蛇の印が押してあった。
 裏面に何も書かれてないことを一応確認してから、クライブは二枚目をめくった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

『アーヴィタリス到着後のランカニス氏の足取りについて』
  ・三月四日 午前五時ごろ――帆船〈レイセニス号〉から飛び降り、東湾岸地区第二埠頭に漂着したところを複数名によって目撃される 
  ・同 午前九時ごろ――サドーレス橋の両替商にてクラウンルグを換金
  ・同 午前十一時ごろ――ファレッダ地区の大衆食堂〈ミートインミート〉にて、ビーフサンドイッチとベーコンサラダを注文 
  ・同 午後八時ごろ――〈飲み比べ通り〉にて良く似た人物の目撃情報あり 
  ・三月五日 午前零時ごろ――レバナ地区の娼館〈聖アルリターナの御膝〉に入店 
  ・同 午前九時ごろ――ハーグノー駅の屋台にて、ヤツメウナギのパイを注文 
  ・同 午後二時ごろ――流民街にて良く似た人物の目撃情報あり 
  ・同 午後七時ごろ――〈ジェン・ブローニンガム記念劇場〉にて『女将軍イリヒナとパレンサの禿鷲』を観劇(その後、女優マレッサ・サンドリカと会談との噂) 
  ・同 午後十一時ごろ――エリファンデ地区の〈ホテル・グランド・ローゼア〉に宿泊

『備考』
 ランカニス氏の行動には、何者かを探しているような節が散見される。ただし現時点ではそれが何者であるかまでは不明である。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 


 一体どのように調べたのかは知らないが、“蛇の舌ベロ”からの手紙にはクライブを捲いてからのランカニスの足取りがかなり克明に綴られていた。惜しむらくは、店や地区の固有名詞を挙げられても彼にはさっぱりわからないという部分だ。

「なあ、この手紙に書いてあるホテルの場所なんだが――」


 ごく自然な流れで、クライブはいま一番近くにいる街の人間へと質問を投げようとする。が、そいつはフードをぱっと下ろして顔を隠し、向けられた手紙から目を背けた。


「おっと。悪いけど、私には何も聞かないで。“手紙を盗み読みしない”“依頼人の事情にクビを突っ込まない”ってのは、運び屋としての最低限のルールなんだよ」

 

 ついでに興味もないしね――


 吐き棄てるような言い草は癇に障るところがあったが、それがこいつにとってのルールであるというなら仕方あるまい。規律遵守を旨とする憲兵隊のはしくれであるクライブとしては、たとえ自らと直接関係ないルールであっても、それを破るように強いるのは気持ちの良くないことなのだ。


 青年は気を取り直して“蛇”からの手紙をもう一度最初から読み返した。――そういえば、一枚目の文面ではこの運び手のことを“嬢”と称している。つまりこの少年だか少女だかわからない人物は、一応は女性ということになるのか。


「もういい?」


 その運び手が椅子から腰をあげ、言った。クライブが顔を上げると、黒っぽいフードの隙間からのぞく吊り目気味な青い瞳と視線がぶつかった。


 彼女は右の手のひらをこちらに差し出してきた。


「あ、あぁ……?」


 するとどうしたわけだか、一秒後には、クライブは運び手に封筒ごと手紙を渡していた。手ぶらになっしまってからクライブは少し戸惑う。自分の意思で渡したというよりも、まるでそのように誘導されたかのごとき奇妙な感覚があったのだ。


 そんなクライブに構うことなく、彼女は封筒の蜜蝋をぺりぺりと剥がした。それから、


「!?」


 ぼっ。薄暗かった部屋に突如として炎の赤が灯った。


 炎が出現したのは運び手の少女の右手の指先だった。そして燃えているものは、たった今渡したばかりの“蛇”からの手紙だった。


「なっ、な……!?」


 クライブの喉からうろたえた声が出る。状況についていけなかった。いきなり燃やすとは思わなかったし、それに彼女がマッチを擦ったり、火打石を鳴らしたりする素振りはまったくなかったのだ。

 

 運び手の少女が指をぱっと振ると、炎は次の瞬間に消えてしまった。黒い燃えカスが空中で散り散りになり、重力に引かれて落ちきるころには床の埃と見分けがつかないくらいの粒子となって掻き消える。少女の白い繊手には火傷どころか、煤けた様子すら見当たらない。


「何をするんだ!?」クライブは思わず叫んだ。


「だって、もういいんでしょ? だから証拠隠滅。まあ面倒だけど、ここまでが私の仕事だから」

 

 しかし青年とは正反対に、運び手の少女はつとめて冷静に、むしろつまらなそうですらある様子でそう答えた。

 

 確かに読み終わったら渡せと書いてあったし、そのあとに手紙がどうなるかはこちらには関与しえないことなのかも知れないが。“それにしたって、いきなり燃やすことはないだろう”


 文句のひとつも言わなくては気がすまない。が、運び手はクライブがふたたび口を開くよりも早く次の行動を起こした。しかもそれは、またも彼の意表を突くものだった。


「じゃ、ばいばい。クライブさん」


 そう言い残して、彼女は身軽にジャンプしたのだ――開け放たれた窓に向かって。


“飛び降りた!?”


 慌ててクライブも窓際に駆け寄る。この部屋は三階だ。十メートルほど下方の路地には新聞配達員であろう少年や、馬糞拾いと思しきみすぼらしい男、バスケットを抱えた中年の女性が歩いているのが見える。しかし数秒前にいきなり人間が降ってきたような混乱は、そこには窺えない。


 視界の端で何かがひらめくのを感じた。クライブはそれを追って顔を上げた。すると目に映ったのは、運び手の少女がまとっていたものと同じ色の厚手のコートの裾がはためき、斜め向こうの切妻屋根の陰に消えていく瞬間だった。


“……壁を蹴って飛び移ったのか、まさか?”


 だとしたらとんでもない軽業だ。運動は苦手なほうではないつもりだが、とても真似できるとは思えない。


 あれは実は、人間ではなく猫か何かだったのだろうか――


 三階の窓というのは、この街ではさほど見晴らしの良い場所ではないらしい。工場、商業施設、集合住宅、同じような造りの宿屋などには四階建て五階建てのものも珍しくない。視界を埋め尽くすそれらの建物、そのすべての屋根に口を開けている煙突からは炊事の煙と、水蒸機関を回す蒸気の煙が立ち上り、頭上に垂れ込めるどんよりした雲に合流している。


 そんなアーヴィタリスの朝の光景を眺めつつ、クライブは呆然と呟いた。


「……胡椒薄荷ペパーミント?」

 

 


 呆けている場合ではなかった。とにかく、ランカニスの現在の居場所は突き止められたのだ。クライブは最低限の身支度だけ済ませて部屋を飛び出し、宿屋の急な階段をばたばたと駆け下りる。


「――あれ、お客さんもうお出かけ? ずいぶん早いんだね」


 一階の食堂を通り過ぎようとしたところで給仕の娘から声を掛けられた。頭の後ろで束ねた濃紺の髪、すらっとした鼻筋に浮かぶそばかす、はきはきと良く通る声が印象的な少女だ。たしか名はエニーと言ったか。急ぐ足を止め、クライブは先ほどのあの不法侵入者について何か知らないかと聞こうとする。 が、言葉が喉元まで来たところで彼はそれを思いとどまり、代わりにこう訪ねた。


「……あぁ。いきなりで悪いんだが、〈ホテル・グランド・ローゼア〉ってどこにあるか知らないか?」


 エニーは空の盆をくるりと一回転させて言った。


「あー、クリンテンの近くにあるおっきいホテルでしょ。入ったことはないけど、いかにも小金持ち向けの澄ましたお宿って感じでいけすかないとこだなあ。……え、何、お客さん宿替えするの?」


「そうじゃないが。ちょっとこれから用事でね……クリンテンって、たしか行政区のほうだったか?」


「ん、駅の名前ね。クリンテン=マンデンステーション。こっから歩きだと結構かかるよ、ウチ出て右の広場わかるよね? そこで行政区行きの乗合馬車バスに乗ったら、クリンテン駅の前の停留所で止まるはずだから。あとは駅員さんかそこらの人にでも聞くんだね」


「どうもありがとう、助かった」とクライブは礼を述べる。


 エリスは右の手のひらをこちらに差し出してきた。


 まだ若いのに、皿洗いによる皸や油跳ねの火傷の跡が見て取れる小さな手のひら。瞬間、クライブは奇妙な既視感に囚われる。上手く言えないが、そこには思わず何かを渡したくなってしまうような……そんな気配があったのだ。“もう、自分は手紙を持っていないのに”


 数秒の沈黙の後、エニーは拗ねるように唇を尖らせて彼を見た。


 ――はっ。ようやく意味を理解したクライブはあわてて小銭入れを取り出し、ルグ銅貨三枚をチップとして彼女の手のひらに乗せた。


「はい、どういたしまして」


 硬貨を収めた右手を胸元に寄せ、給仕の少女はにこっと微笑む。


「ね、たまにはウチでごはん食べていったら? 母さんのオムレツ美味しいんだよ」


 そう自慢するエニーの小さな肩の向こう、〈良き風のはじまり〉亭の食堂はすでに半分近くの席が埋まり、ざわめき声と食欲をそそる空気が充満していた。


 たまねぎのスープや焼きたてのパンの香ばしいにおいを意識から締め出し、クライブは答えた。


「また今度な」


 今は一分一秒が惜しい――のんびり食事などしているうちにランカニスがホテルをチェックアウトなどしてしまったら、目も当てられないのだから。


「あ、ねぇ!」足早に戸口に向かおうとする青年に向け、エニーは最後に尋ねた。「あの、最初に一緒だったお連れさんはどうしたの? もう来ないの?」


「あいつは別に、連れなんかじゃなかったし……それに、」クライブはぶっきらぼうな口調でこう答えた。「それどっちにしろ、あいつがこの店に来ることは、もうないよ」



          ▽    ▽    ▽

 


〈ホテル・グランド・ローゼア〉。


 従業員数115名。地上十二階地下二階。敷地面積約800平方メートル。アーヴィタリスの政治機能をゼルテルトン地区へと移転させる都市計画に相乗りする格好で建設されたこのホテルは、歴史はともかく質の面なら“成り上がり都市”でも三指に入る高級宿泊施設だ。


 自前のワインセラーやイベントホール、さらには馬車を止められる厩舎もあるし、正門前には炉辺の聖者カンタルナの像を飾った噴水まである。内面も外面も贅を凝らした〈ホテル・グランド・ローゼア〉は当然ながら料金の面でもやはり高級で、主だった利用客はおのぼり貴族、他国からの使節、商談にやってきた実業家などに限られてしまう。


 ――なるほど、水夫や行商人や三等船室が精一杯の旅人を相手にする安宿の跡取り娘であるエニーからしてみれば、“小金もち向けの澄ましたお宿”と呼びたくなるのも詮無いことかも知れない。


 クライブ・ヨレンは前述のような知識を、馬車に乗り合わせたおしゃべり好きな中年男性から手に入れた。一ルグも支払わずに情報が得られるというのは素晴らしいことだと思うのと同時、本当にそんな高級ホテルにあのランカニスが滞在しているのだろうかという疑問が生まれる。


 約一週間前――レイセニス号に乗船するため首都から港街タニンガムへ移動する馬車旅の途中のこと。自分とランカニスが泊まった街道宿は〈よき風のはじまり〉亭がありがたく思えるほどの安普請で、隙間風は吹くし雨漏りはひどいしネズミも虱もゴキブリもそこらじゅうに沸いているような有様だった。

 

「なあに、気にすることはないぞクライブ」だが手配の不備をわびる青年に対して、あの逞しい老人は豪快に笑って言ってのけたものだった。「おれの修行時代には、野宿なんぞ当たり前も当たり前だった。オオカミの住む山の中であぶに頬を食われながら寝るのに比べれば、こんな木賃宿などどうってことはないさ。それに正直、良いホテルにあるようなスプリングつきのマットに羽根布団を敷いた寝床はではうまく寝付くことが出来んでな。こちらのほうが、おれの身体にはあっている」


 ランカニスはその言葉どおり、汚い寝床でも高いびきを掻いて眠った。


 まだ建物の外観すら目にしたわけではないが、奢侈で有名なガラリナ皇国の姫君も宿泊したという〈ホテル・グランド・ローゼア〉のベッドが虱のわいた万年床ということもまさかあるまい。そんな上等な場所に、控えめに言って贅沢と縁遠そうなあの御仁が泊まっているとはどうしても想像がつかない。“宿代はどうしたんだろうか――いや、そもそも入店拒否されるんじゃないか、服飾規定ドレスコードとかで”


 定員ぎりぎりの乗合馬車の中、石畳の上を走る車輪の振動に身を任せながら、クライブの頭の中にはそんな疑問が渦巻いていた。

 



「――そのお客様でしたら、5分ほど前に出発なさいましたが」


 果たして、“蛇”の情報はやはり正しかった。ランカニスは〈ホテル・グランド・ローゼア〉に、確かに宿泊していたのだ。


 噂に違わぬ広くて清潔で豪華なホテルのロビー。仕立ての良いテールコートを着こなした壮年のフロントマンの前で、息を切らしたクライブはがっくりと膝を付きそうになる。


“蛇”は正確な仕事をしてくれた。エリスの道案内も頼りになるものだった。――ただ問題は、彼の襟首を捕まなくてはいけない自分の手が、またしても間に合わなかったというだけで。


“まさか一本隣の通りに、〈セントラル・イン・アーヴィタリス〉なんて高級ホテルがあるとは思わないじゃないか”


 何の疑いもなく間違った建物に入り、人を尋ね、ようやく勘違いに気づき、慌てて隣のホテルに走った。そのためにかかった時間はおよそ十分かそこらか。だがなんとランカニスは、そうやってクライブが時間を無駄にしている間に〈ホテル・グランド・ローゼア〉からチェックアウトを済ませ、またもや街の雑踏に紛れ込んでしまったのだった。


“なんて運の無さだ――そして、どこまでとんでもない間抜けなんだ”


 時刻は八時十三分。クリンテン=マンデン駅周辺は勤め先に向かう人々の群れでごった返している。何の成果も得られることなくホテルを出たクライブは今現在、往来から少し離れたベンチに腰掛け、屋台で買ったホットドッグをもそもそと食べている。


 無論、こうして雑踏を眺めているところにランカニスが通りかかる確率はゼロに等しいだろう。だが、たとえまだそう遠くへは行っていないかも知れなくても、闇雲に探し回ってあの老人が見つけられるという気は今はしなかった。

 

 クライブはホットドッグに齧りつく。湯気を立てるソーセージに真っ赤なケチャップがべったりと塗りたくられているが、失意のあまり味がよくわからない。


 食べ終わった包み紙を丸めてポケットに突っ込み、彼は行き交う人々を呆然と眺めた。市の中心であるこの地区にやって来るのは初めてだが、〈よき風のはじまり〉亭のある海岸周辺の地区に暮らす人々とは同じアーヴィタリスの住民であるというのにかなり雰囲気に違いがあった。海から数キロ離れているのだから水夫の姿が減るのは当然であるが、貴族ではないにしろ小ざっぱりとしたスーツや半外套を身に纏う人々が増えた一方で、日々の労働の汗を染み込ませたような胴衣を着た人足たちはほとんど見られない。それに黒髪で少し小柄なマヤト人や、マヤト人の混血と思しき人々もこのあたりでは比率を減らしているようだった。


 乞食の姿がなく、儀銃兵の姿がある。


 花売りの姿がなく、新聞売りの姿がある。


 行き交う人々だけではない。敷石に欠けた部分が見当たらなかったり、窓に木製の鎧戸ではなく高価なガラス板をはめ込んでいたり、小さな花壇があったり。建ち並ぶ民家や商家の佇まいだって、あちらとこちらでははっきりとした差があった。まったく変わらないかも知れないものは夜光虫のための餌柱と、呼び売り商人の声のやかましさくらいだろうか。 ほんの二十分かそこら馬車で移動してきただけなのに、まるで別の国にやってきてしまったような奇妙な感覚。貧富の差と片付けてしまうのは簡単だが、しかしまだ、クライブが見たのはこの街のごく一部に過ぎないのだ。


“成り上がり都市”の広大さに、青年はあらためて気が遠くなる。生まれ育った寒村からサンクタリスの首都ヨールレイスへはじめて上京したときもこれに似た眩暈をおぼえたものだが、都市の規模が倍以上になったぶん眩暈も倍以上になっている気がする。


 ――一体ランカニスは、この街で何をしているのだろう。


 クライブは運び屋の少女の手の中で燃え尽きた手紙のことを考える。“蛇の舌ベロ”が調べたランカニスの足取りは食べたり飲んだり芝居を観たり娼館に行ったり、それだけならただの観光以外の何者でもなかったが、そういえば最後の備考欄には誰かを探しているらしいという情報が書き添えられていた。


 大都市での人探しというものがどれだけ大変か。今のクライブは、実体験をもってそれを理解している。ひょっとしたら、こうして自分が途方に暮れているように、あの老人も途方に暮れていたりするのかも知れない……。


「待てよ」


 と、クライブは思わず呟いた。脳裏に過ぎるのは一週間と少し前の記憶。すべてのはじまり、国軍憲兵第一○×連隊執務室で上官であるハリス・ノットル少佐から手渡された正規指令書。そこに書かれていた監視対象ランカニスの目的――“市場調査”。


 一○×連隊の役目は軍に協力する民間人の警護兼監視だ。しかし対象が不審な人物と接触したり、物品を横領したりしないよう見張るだけなら内容を知らなくても背後でいかめしい顔をして立っているだけで事足りる。それ故、特に機密性の高い任務の場合、自分の監視対象の行動が軍や国にどのような利益をもたらすのかわからないということすらもあるのだ。たとえば過去には、とある劇団の衣装係に女優の下着を盗ませたり、地元の悪ガキたちに落書きをさせたりといった変な任務もあったらしい。


 ――果たしてランカニスは、何のために雇われたのだろう。 “市場調査”。アーヴィタリスという街の特殊性ゆえ、サンクタリス軍はここでは大手を振るって活動できない。だがそうでなくとも、麻薬の流通とか人身売買とか、正規軍の立場では調査するのが難しい闇の市場ブラックマーケットというのも存在するだろう。あの得体の知れない老人がそうした裏社会の知己や情報網を持っていたとしても、まあ、さほど意外には思わない。


 しかし“蛇の舌ベロ”からの手紙を信じるなら、いまランカニスはそうした闇市場の調査ではなく、誰かを探すために行動しているのだという。


 これまでの経験から、“蛇”の情報は正しいと仮定してみる。だがその場合、ランカニスは何故わざわざ軍に雇われたのかという疑問が発生する。鎖国されているわけではないのだから、アーヴィタリスで誰かを探したいだけなら身一つで来訪すれば良かったはずなのだ。あんな高級ホテルに宿泊できる人間が、数日分の旅費を浮かせるためということもまさかないだろう。


 そして、何故彼は監視じぶんの目を振り切って逃げ出したのか。その時点で軍からの報酬が消滅するのはもちろんだし、一時的とはいえ軍関係者となる以上、捕まった場合は任務放棄の罪で実刑に処されることすらありうる。 いったいそんなリスクを冒してまで、彼にどんなメリットがあったというのか?“――……だめだ、まったくわからない”


 何かが奇妙だ。それだけは確かだ。しかし手がかりが足りない。この街にまだ巡っていない場所がたくさんあるみたいに、ランカニスの行動理由を推察するため必要なパズルのピースがいくつも不足しているように感じる。 “でも……”と、青年は自虐的に笑った。“こんなのは、言い訳を探しているだけなのかもしれない”

 

 考えを進めれば進めるほど、彼の思考は鈍磨してしまい、ひとつの結論から逃れられなくなってしまう。

 

“結局、自分がランカニスを逃がしてしまった事実には変わりがないのだ。あのとき油断することなく、もっとしっかり監視していれば、こんなことにはならなかったのだ”

 

 自らが犯した失敗。そして、そこから派生した取り返しのつかない結果。それを今の彼は、どうしても受け止めることが出来なかった。 考えを進めれば進めるほど深く突き刺さっていくような胸の痛みから逃れるため、クライブは再び、ランカニスの姿を求めて歩き始めた。



          ▽    ▽    ▽  



 昼になった。 


 藁にもすがるような気持ちで、クライブはランカニスの訪れたという店を捜し求めた。そのうちひとつはどうにか見つけ出せたものの、午後一時は娼館を訪ねるには相応しい時間とはいえず、手がかりはやはり得られなかった。



          ▽    ▽    ▽



 夕方になった。


 土地勘など無いに等しい彼だったが、とりあえず海の方角に歩けば〈よき風のはじまり〉亭に近づくことだけはわかっていた。 無駄な聞き込みを兼ねながら歩き続け、潮騒の聞こえる湾岸沿いの道に出てしばらくして、クライブはふといま自分の立っている場所に見覚えがあることに気がついた。


 そう。二日前、確かに自分はここを通った。ただあのときは深夜で、往来には自分たちと羽虫以外は誰もいなかったが。 何かに吸い寄せられるようにクライブはさらに歩き、そしてその場所を通り過ぎる。


 廃工場の錆びた鉄扉はあの夜と同じく閉ざされたままで、しかしあの夜には確かにあったはずの錠前と鎖が今は無く、そしてその玄関口の手前には、あきらかにガラの悪い男ふたりがまるで見張り番でもするかのように屯していた。

 


          ▽    ▽    ▽



 夜になった。〈よき風のはじまり〉亭のベッドに倒れこみ、クライブは眠った。


 眠ろうとした。



          ▽    ▽    ▽



 眠れなかった。



          ▽    ▽    ▽



 鎖の擦れる音ともに、闇がゆっくりと降下していく。


 動いているのは自分のはずなのに、まるで周囲の空間のほうが彼を置き去りに移動しているかのごとき奇妙な錯覚。長いような短いような暗闇の縦穴を降りた先、視界がひらけた途端に巨大な天使の像に迎えられても、二度目の今夜は特に驚くこともなかった。


 鳥篭状の檻の中、クライブ・ヨレンは鉄柵越しの視線を下方に向ける。吹き抜けの塔の内側のような穴の底では、おそろしく肥満した男が大きなソファに腰掛けて、耳長の美女が剥く茹で卵を丸呑みにしている。


 それはただひとつを除いて、一昨日の夜と何も変わらない光景――降りていくクライブの檻の横に、もう一台の檻がないという点を除いては。


「――やあやあ――クライブ・ヨレン准尉殿――」例の間延びした口調で、情報屋“蛇の舌ベロ”はそう挨拶をしてきた。「――どうやらランカニス氏とは――入れ違いになってしまったみたいだね――」


 この奇人がどのようなことを知っていても、いまさら驚くには値しない。クライブは表情を変えることなく頷いた。

 

 眠ろうとした。どうにかして眠ろうとした。だが頭の中では『失敗した結果』のことが飛び回るハエの羽音のように騒ぎ続け、しかもそれは、時間が経てば経つほど悪化してやがては凶暴なハチの毒針のごとく彼の意識を責め苛んだ。


 眠れなかった。どうしても眠れなかった。夢遊病者に似た足取りで夜の雑踏にさまよい出たときには、時刻は午前の零時を回っていた。自分自身でも、正直いって己の足がどこへ向かっているのかわからなかった。しかしあやふやだった彼の目的意識は、〈サウナ・リトルピーシャ〉の垂れ幕をくぐる前にははっきりしたものとなっており、娼館の女将は三日前にほぼ素通りしただけのクライブの顔をしっかり記憶していて、特に仲介役を必要とすることもなく彼は“蛇”の巣食う地下深くへと降りていったのだった。


「――ふむ――察するに、准尉殿は――ランカニス氏に関する――追加の情報をお求めかな――? ――残念ながら――タダでというわけにはいかないが――ふふ――サービスさせてもらうよ――」


 鷹揚に笑って脂肪を震わせる“蛇の舌ベロ”に対し、クライブは乾いた声でこう言った。


「もちろんそれは大事だが。今日知りたいのは別のことだ、情報屋」


「――ほう――ほう――。――興味深いな――キミのような男が――任務に先駆けて欲する情報はなしとは――」“蛇”の丸くて小さな瞳が、好奇心を宿してそっときらめいた。「――さあ――言ってみたまえ――」


「…………」


 促されてから、青年は少し黙った。もったいぶろうとしているわけではない。こんなところまで来ておいて、何の用事かわからないというわけでもまさかない。ただ、昨日からずっと胸の奥に刺さり続けていたトゲを言葉に変換せんとすると、そのあまりの奇妙さに自分でもたじろいでしまっただけで。


 だがついに、クライブはこう尋ねた。

「ドロッグ・ソーヴォは、死んだ?」

 その問いは地下抗の空洞に、さざなみのように静かに残響した。耳長の美女が空模様でも窺うような表情でちらりと青年を見上げた。しかし、クライブはその視線に気づくことはなかった。彼は己でもはっきり自覚できる仏頂面になって、きつく目を閉じていた。


 ――く――


 ――くくく――くくくくく――


 目を開けても、すぐにはそれが笑い声だとはわからなかった。キングサイズのベッドより巨大なソファに背を預けた“蛇”はまるで痙攣したように身体を震わせ、あご下の肉垂をプディングのように揺らして哄笑していた。肉に埋もれた手足がばたばたと上下している。もし彼が普通の体型であれば、腹をかかえて身もだえしていたことだろう。


「――おお、くるしい――。――いや――失礼――こんなに――笑ったのは――くくく――いつ以来だろう――くくくく――。――すまない、タンジー――顔を拭いてくれないか――」


 ――くっ――くくく――


 涙や涎や洟で濡れた顔にタオルをあてがわれても、“蛇の舌ベロ”はしばらく痙攣のような笑いを続けていた。クライブは憮然としたまま、情報屋の発作が収まるのを待ち続けた。

 

「――くく――“誰が殺した”――ではなく――“どうして死んだ”――と――そう尋ねるか――くくく――面白い――」“蛇”はようやく顔をあげ、檻の中の青年を見上げた。「――ひとつ、こちらからも質問させてもらうが――ドロッグくんと准尉殿は――一昨日、偶然出くわしただけの――そう、利害のみの関係ではなかったかな――? 既に知っているかもしれないが――ドロッグくんは――いや――正確には、彼の所属していたグループは――人身売買を生業としたならず者たち――つまり、本来ならば――取り締まられるべき犯罪者だ――。そんなろくでなしのことを――サンクタリスの軍人であるキミが――どうしてそこまで――気にかけるのかね――?」


「あいつがろくでなしの犯罪者だなんてこと、最初からわかってる。問題はそこじゃない」クライブは答えた。「自分はどうしてもランカニスの行方を知らなくちゃならなかった。けれどその方法がわからなくて、仕方なくあいつに情報屋を、つまりあんたのことを紹介してもらった。その見返りに、自分はあいつの分の情報料を支払った。そして……あいつはあんたに教えてもらった場所に向かって、死んだ」


 運が無かったとか、自業自得だとか。そんなふうに考えたって、きっと誰も責めはしないだろう。あるいは“蛇”が示唆するように、死んで当然の人間だったと見放すことも出来るだろう。しかしクライブ・ヨレンという人間には、そのどれもが理解の範疇であり、そして同時に、選択不可能なものだった。彼は続けた。


「もしもの話だが。もしも自分があのとき、あいつに声を掛けなかったら……あるいは、もしもあいつの分の情報料を払うことを拒んでいたら。もしかしたらあいつは今頃、通い慣れた酒場か何処かで、泣きながらクダを巻いている最中かも知れない」


“なあ軍人さん、聞いてるのかい。あんちゃんはさぁ、あんちゃんはさぁ――……”湿っぽいダミ声が、未だに耳の中に残っている。あの意気地なしのチンピラが敵の行方を捜すことも出来ずに飲んだくれている様子を、クライブには容易に想像することが出来た。


「そうだ。何よりもまず、もしも自分がランカニスを逃がしていなければ……自分たちは協力するどころか、出会うことさえなかったはずなんだ」


「――つまり――ドロッグくんの死の責任は自分にあると――そう言いたいのだね、クライブくんは――」


 そう確認する“蛇の舌ベロ”は、もう笑ってはいなかった。クライブは言うべきことはすべて言ったという顔で、一度だけ深く頷いた。

 

「――やれやれ――どうやらキミは、見た目や評判ほど堅物というのでも――真面目というのでもないらしいな――。よっぽどの愚か者か――それとも――歌に歌われるような聖者か何かでも、目指しているのかな?――」


「そんなんじゃない」


 クライブは毒を吐くように即座に否定した。


 その頑なな様子に“蛇”はまた「――やれやれ――」とため息をついた。


「――先史文明――というものを知っているかな――クライブくん――」“蛇”は唐突にそう言った。「――数千年も昔、この世界には――現代いまよりはるかに優れた文明があった――。彼らは空とぶ船や――どんなものでも斬れる刃――輝くガラスの照明や――瀕死の人間をたちどころに癒す医療――それに、この穴倉の精緻な彫刻のような――我々からすれば、魔法のようなに高度な文明を有していたという――。しかし、彼らはそれでも滅んだ――。何故だと思う?――」


 古代人たちが滅亡した理由については、根拠のない仮説ばかりがいくつも存在していた。クライブは一番先に思いついたそのうちのひとつを口にした。


「大きな隕石が落っこちてきたから、とか……?」


“蛇”は小さく笑った。


「――まあ、それも可能性のひとつではある――。ほかにも戦争があったからとか――疫病だとか、呪いのせいだとか――変わったものでは、宇宙人に侵略されたからだとか――諸説さまざまではあるが――しかし確実に言える原因は――彼らは未来を見通すことまでは出来なかった、ということだ――。そうだろう?――もし未来に待つ悲劇を知ることが出来るなら――それを回避することも出来るのだから――。
 ――確定していない未来のことや――有り得たかもしれない“もしも”のこと――。いうならば、それらはきっと究極の『情報』だろう――。古代人ですら持っていなかった、そんな『情報』を得るすべなど――しがない噂売りの蛇に過ぎない私には――とてもではないが、叶うことではないのだよ――」


 クライブからのたった一言の問いに返事をするために、“蛇”はずいぶんと多くの言葉を費やした。だがそれは、結局のところたった一言の答えに要約することが出来た。


「つまり……あんたでも、わからないんだな」


 幻滅したように言い切るクライブに、“蛇”は苦笑して応じる。


「――なにやら、買いかぶられてしまっているようだが――クライブくん――私にわからないことなど、いくらでもあるのだよ――。たとえば一昨日の夜――キミがどんな目にあったかとか――ドロッグくんを殺した者の正体だとか――ランカニス氏の目的だとか、それに――キミがどうして、ドロッグくんの死に対して――そんなにも負い目を感じているのか――そんなことはね――。しかし、こんな私であっても――この国に、キミを裁く法はない、ということくらいはわかるよ――。それでも納得できないというのであれば――キミは情報屋ではなく――教会の懺悔室を訪ねるべきだな――」


“教会なんかに行ったって、何が解決するものか”


 うつむいたクライブは、口ごもるのと変わらない声量でそう呟いた。異邦の街の檻の中で、彼は幼い日々を過ごした故郷の村のこと、父や叔父のこと、そして、もう二度と会えない友達のことを思い出していた。“――なあ、そうだろ、ミュカレ”


「――キミの真剣を笑った詫びに――そして、ランカニス氏を捕まえられなかったお悔やみに――ひとつ、無料(タダ)で教えてあげよう――」


 根深い葛藤をありありと表情に浮かべたクライブを見やりつつ、“蛇”は舌先をちらりと閃かせた。まるで青年のことを、さらなる泥沼へ突き落とそうとするかのごとく。


「――キミたちが訪ねた、あの廃工場の真の持ち主――むろん、間には偽装会社を噛ませているが――それはこの街の最大のマフィアグループ、“死体を啄む蟹カダヴァー・ギャザーズ”――その幹部が一――彼の者の名を、“狡賢小兵こうけんこひょう”――ゼヴェルジェン・ウェルベック・ラーマスという」


(第10回につづく → http://p.booklog.jp/book/101635/read) 


この本の内容は以上です。


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