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洋画部門

ふたつの名前を持つ少年

ふたつの名前を持つ少年

2015年9月7日 シネ・リーブル神戸 にて鑑賞

 

都合の悪い過去を生き延びろ!

 

ポーランドのユダヤ人少年が、ナチスの迫害から逃れ、たったひとりで戦禍を生き抜いた、という実話を基にしたお話です。

少年の名はスルリック。お父さんは街のパン屋さんでした。しかし、平和な暮らしも、ナチスドイツがポーランドに侵攻してきたことによって一変します。ナチはユダヤ人狩りをすすめてゆきます。住み慣れた家を追われ、ナチから逃げる一家。どうしても息子だけは生き残らせたいお父さんは、スルリックに、教え諭します。

「今日から名前を変えろ、何がいい?」

スルリックは、強い、いじめっ子の名前を言いました。それが「ユレク」でした。

「そうだ、お前は今日からユレクだ、いいな」

そしてお父さんはユレク少年に語り諭します。

「いいか? 父さんの名前も、母さんの名前も忘れていい。だけど、これだけは忘れるな、ユダヤ人であることは絶対に忘れるんじゃないぞ!」

この言葉はユレク少年が聞いた、お父さんの最後の言葉となります。

8歳の少年はたったひとり、森へ逃げ込みます。

もうすぐ冬がやってくる。幼い少年の命は、厳しい自然の中で耐えていけるのか? 食べ物もない、やがて吹雪が襲ってくる。寒さの中、彼は一軒の農家にたどり着きます。少年を救ってくれたのは、その家にひとりで住むヤンチック夫人。彼女は暖かいスープと寝床を与えてくれました。それだけではなく、彼女は8歳のユレクが、これからひとりで生きていけるよう、さまざまな知恵を授けてくれました。

やがてユレクは、ヤンチック夫人のもとを離れ、少しづつ森の中で生活する術を、体で覚えてゆきます。

時には近所の農家の前で「物乞い」をし、あるいはその農家で働いて食事をもらいます。

ユレク少年が学んだことは「一つの農家で長居をするな」ということでした。一つ所で暮らすよりも、放浪し続けることの方が、ユダヤ人だとバレない、ナチに見つかりにくい、のです。こういったことをわずか8歳の少年が体得してゆく、徐々に成長して行く姿を淡々と監督は描いてゆきます。

ユレク少年は、生き延びるためには嘘もつく、機転を効かせる、危険を察知する、そして働く。

どんどんたくましく、賢くなって行くユレク少年。

彼はやがて、大きな地主の家で、農作業の手伝いとして、住み込みで働き始めます。しかし、ある日、牛をつないだ歯車に手を挟まれる大怪我を負います。

街の病院へ担ぎ込まれるユレク。しかし、担当の外科医は、少年をユダヤ人だと見破ってしまいました。

「ユダヤ人に手術はしない」と外科医は冷たく言い放ちます。少年は治療も受けられぬまま、病院の廊下に放置されてしまうのですが……

本作で強く印象に残ったのは、ユレクとお父さんの別れ際のシーンでした。

お父さんがユレク少年に求めたことがあります。それはユダヤ人であること、ユダヤ教徒である「誇りと尊厳」をわすれないことです。

それほどまでに、ユダヤ人であることのアイデンティティは、強烈なものなのだ、と思い知らされるのです。

我々日本人は、よく無神論者であると言われます。ハロウィンやクリスマスを大騒ぎして楽しむかと思えば、大安吉日、友引、仏滅を意識します。また、占星術やタロットカードなど、あらゆる種類の占いは、もはやファッションの一部であり、人が亡くなると、お葬式には数珠を持ち、僧侶が読経を唱えます。

まるで都合の良い時に、都合の良い宗教行事をとっかえひっかえ利用している、実に無節操極まりない民族のようですが……

本作においては、(すくなくとも舞台となるポーランドにおいては)人間と神との関係を、改めて認識し直す必要があると感じさせられます。

人間などは、神の前では、実に取るに足らない存在であり、神は絶対的、全宇宙的なスケールでこの世を支配している。

だからユレク少年は、見ず知らずの農家で、物乞いをする時に「神を祝福する」言葉を唱えます。

物乞いをされた家の家主としても「神様を祝福する少年」を邪険に扱うわけにはいかなくなるのですね。

この辺り、自分の「ちっぽけな命」を生き延びさせるために、ユレク少年が神様を実にうまく「方便」として使う、そのしたたかさ。少年がひとりで生きてゆく、生き延びることの過酷さと「リアル」を感じます。

さて、このユレク少年。映画のHPを見ると、驚くべきことに、ペペ・ダンカート監督は、双子の子役を使って「ひとりの」ユレクという少年像を描きあげております。

オーディションには一年以上かけ、候補者700人から選び抜いた、という逸材の二人です。

また、ユレク少年の運命を左右するドイツ親衛隊(SS)将校。どこかでみたなぁ~、と思っていたら、ブラッド・ピット主演の「イングロリアス・バスターズ」やスピルバーグ監督の「戦火の馬」にも出演していた、ライナー・ボックというドイツ人俳優さんでした。

日本では戦後70年の節目、とされますが、ヨーロッパ、特にドイツやユダヤ民族にとっては、アウシュビッツに代表される「絶滅収容所解放70周年」の記念イヤーに当たるわけです。そういう年にこの作品が、日本でも公開されたことは、意義深いことだと思います。

本作はドイツ・フランスの合作映画。ドイツは徹底してナチズムの「忌まわしい過去」と向き合い続ける姿勢をとります。

日本では過去の戦争に関して「将来に渡って謝罪し続けること」を避けようという空気があります。一つ間違えばそれは、美しいとされる未来のために、臭い過去には蓋をしておこう、さらには、都合の悪い醜い過去は、いっそのこと書き換えてしまおう、という姿勢につながってゆくかもしれません。

ナチスによって都合の良いスケープゴートにされてしまったユダヤ民族。

本作は、そのなかで、奇跡的に生き延びた小さな命の記録です。

わずか8歳の少年が、戦争という極限状況のなか、機転を利かせながら、たくましく、したたかに生き延びた、というのは、神様がユレク少年に、歴史の語り部という役割を背負わせた、のかもしれません。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆☆

配役 ☆☆☆☆

演出 ☆☆☆

美術 ☆☆☆☆

音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆

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作品データ

監督   ペペ・ダンカート

主演   アンジェイ&カミル・トカチ、エリザベス・デューダ

     ライナー・ボック

製作   2013年 ドイツ、フランス合作

上映時間 107分

予告編映像はこちら

「ふたつの名前を持つ少年」予告編


ヴィンセントが教えてくれたこと

ヴィンセントが教えてくれたこと

2015年9月7日 シネ・リーブル神戸 にて鑑賞

 

結局「いい人」で片付けるのか?

 

この映画を見ながら、武田鉄矢氏のお母さん、武田イクさんのエピソードを思い出していた。

武田鉄矢氏曰く「うちの母ちゃんは、骨がきしむほど働いてた」という。貧しい生活を笑い飛ばしながら、たくましく生きた、昭和の母の姿がそこにはあった。「母に捧げるバラード」のモデルとなった、母イクさんには、講演会の依頼が次々と舞い込んだ。当初は著名な教育評論家の前座だった。しかし、その型破りな教育論は話題を呼び、あまりの人気ぶりに、後には評論家の方が前座を務めることになったそうだ。イクさんはいう。

「善悪はわからんとです。その時は悪い行いかもしれんけど、後で良いことになる時があるとですよ」

更には、我が家には教育方針がない、とまで言い切る。武田鉄矢氏の父親は相当な大酒飲みであったそうだ。酒が入ると、当然気が大きくなる。給料日ぐらいは「ええカッコ」もしてみたい。給料全部を友人たちに大盤振る舞いしてしまう。酔っ払って家に帰り着き、カラの給料袋を前に、イク母ちゃんは激怒する。武田家では激しい夫婦喧嘩が日常茶飯事であったという。そういう親の姿を、我が子たちに、ナマで晒して見せたイク母さん。

「親が間違った生き方をしてみせたら、子供はそれを見て、ああ、親の真似をしなければ良いんだとわかる。親が生きた教科書ですばい」

前置きが長くなったが、本作「ヴィンセントが教えてくれたこと」はまさに、不良親父のヴィンセント自身が生きた教科書そのものだ。

ある日、ヴィンセントの隣に母子家庭が引っ越してくる。子供は12歳の少年オリバーだ。この子は新たに地域の小学校に転入することになる。ちびっこで新入りの転校生オリバーは、格好のイジメ対象だ。だが、後にオリバーには心強いボディーガードが付くことになる。隣に住む独居老人ヴィンセントだ。

ヴィンセントは、酒と女とギャンブル漬けの毎日。ある日、銀行の窓口で宣言される。「残高はマイナスです」

口座を解約するにも、銀行に金を返さねばならない。隣に越してきたシングルマザーのマギーは病院の技師。毎日のように帰りは遅い。12歳のオリバーを一人にしてはおけない。

マギーの提案もあり、ヴィンセントはオリバーの世話を「ビジネス」として請け負うことになった。

まあ、そこは不良じじいである。いじめられっ子オリバーに、喧嘩の仕方を教えたり、競馬で大穴を当てたり、子供相手に世の中をたくましく生きる術を体で教え込んで行く、というのが本作の内容である。

予告編で見る限り、かなりぶっ飛んだオヤジの話かな、と思っていたら、これが想像以上にマイルドな仕上がり。正直、やや拍子抜けした。

ワルでダーティーといえば、ちょうど公開中の「テッド2」の方が「ワル度」や「ダーティさ」のアルコール度数は、はるかに高い。放送禁止用語や「F⚫️CK」言葉も連発する。

さて、頑固じじいが、少年に世渡りのたくましさを教え込んで行く、というストーリーなら、格好の秀作がある。クリント・イーストウッド監督の「グラン・トリノ」である。

本作は残念ながら「グラン・トリノ」の味わい深さには追いついていない。

本作において、拍子抜けするのは、ヴィンセントがワルぶるのには、原因があり、しかもそれが明快でありすぎる。根は善人なのだ、というところに落ち着いてしまうのである。

なぁ~んだ、人間って案外単純なのね、という「あっさり感」にがっかりしてしまうのである。

ヴィンセントがヴェトナム戦争に従軍したこと。認知症の奥さんを、できる限り良い施設に入れて、余生を送らせようとしたこと。

これらはラストシーン、オリバーの学校での学習発表会「僕の聖人」というテーマで披露される。

なんと、ヴィンセントは聖人に祭り上げられるのだ。

もちろんこの映画には、それゆえの爽やかさと、後味の良さがある。

ただ、僕の主観では、ヴィンセントという人物像は、まだまだ、さらなる深みや、人物の陰影を描き出せたのではないか?と思った。本作には人物像の謎がなさすぎるのである。

例えば、ジャン・レノ主演の「LEON」という格好の例がある。

いたいけな少女の願いを聞き入れた殺し屋レオン。

彼の人物像は謎だらけだ。彼がなぜ殺し屋になったのか、監督はあえて情報を観客に提示していない。そのためより謎が増している。冷酷で有能な殺し屋でありながら、毎日ミルクを二本買い求め、観葉植物をこよなく愛する、物静かな独り者。その人物像をジャン・レノという俳優は、多面体でできた鏡のように、様々な角度から人物を映し出して見せてくれる。

ビル・マーレイという、いろんな演技の「引き出し」を持った、キャリアのある俳優を使うのであれば、更なる人物像の深掘りをやっても良かったのでは……、と、ちょっと残念に思うのである。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆

配役 ☆☆☆☆

演出 ☆☆☆☆

美術 ☆☆☆

音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆

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作品データ

監督   セオドア・メルフィ

主演   ビル・マーレイ、マリッサ・マッカーシー

製作   2014年 アメリカ

上映時間 102分

予告編映像はこちら

「ヴィンセントが教えてくれたこと」予告編


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