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第一話

 バイト先の上司に呼び出された時、鷺沼智(サギヌマサトル)は既に内容を察していた。
「鷺沼くん、悪いけど今日限りで辞めてもらえるかな」
「わかりました」
「え、いいの?」
「苦情が来たんですよね。内容は察してます。店の評判を落とすわけにはいきません」
「あ、有難う……」
 唖然とする上司に頭を下げて、机に置かれている今日まで働いた分の給与を貰って智は事務所を後にした。
「これで九件目」
 呟くだけで溜息も出ない。
 智は何も過失をして辞めさせられるわけではない。むしろ彼は社員よりも働く凄腕のバイトだった。人付き合いもよく、周りから妬まれることはない。
 ただ、問題なのは彼の容姿。
「・・・・・・」
 水溜りに映る自分の顔を眺め、これでは確実に中学生、いや悪くて小学生に見えるだろうと嘆きたくなった。
 小学生の頃、智は身長が一番大きかった。中学生でも中くらい。しかし高校生になると一番前になった。更に、その顔はベビーフェイスなどと言う可愛らしさでは収まらないくらいの童顔。
「鷺沼が女の子だったら一発で惚れてるわ」
 と、同級生にからかわれるくらいの可愛い顔。
 この顔が憎いわけではない。今どきは可愛い男は需要がある。しかし、可愛いのと童顔が合わさればいい効果は期待できない。
 高校生になってバイトを始めて連続九件、同じ理由で辞めさせられている。
 働く智を見ると客たちはみんな「どうして中学生を働かせているんだ」
 などと苦情を言うのだ。
 日の当たらない場所でのバイトも試みたが、やはり同じように言われて駄目だった。
 次男坊の癖に自立心の強い智は金銭面は出来るだけ世話になるまいとバイトを探しては辞めさせられ、それを繰り返している。
「兄さんに馬鹿にされる」
 弟に過保護な兄はバイトなんかしなくてもいいと毎回言う。それが智には煩わしい。
 少し気分が重いと視線を落とす。足元に黒い長方形の何かが落ちていた。
 普段は拾わないが、何故か好奇心が駆られてしまい手にとると、それは黒い紙らしく、ひっくり返すと何か書いてあった。
「名刺か……?」
 黒い名刺なんて珍しいと、血文字のようなおどろおどろしい文章を読み込む。
 名刺には「これを拾ったアナタ。運命に導かれましたね……?なんじゃこりゃ」
 まるで悪徳勧誘のような文句の下に、「金融会社スチャラカぱらだいす」と書いてあった。
「あほくさい。捨てるべし」
 ゴミ箱は何処だと歩こうとした時、智の身に異変が起こった。
「ん?」
 足が、自分の意思で動かない。
 初めての感覚に智は理解が出来なかった。しかし何事にも動じることなかれという信念があった彼は、少し戸惑いながらも足が進むままに身を任せることにした。
 上半身は自由に動くので、危なくなったら電柱にでもしがみついて誰かに助けを求めればいいと軽く考えている。
「何処に連れて行くつもりなんだ」
 歩く速度は速いが一定で、周りから見て不自然な動きもしていないから強制的に歩かされているとは誰も思わない。明日は筋肉痛かなと思ったのは二駅以上歩かされた時で、名刺を投げ捨ててはどうかと試みもしたが出来なかった。
「ここは、幸寿地区じゃないか」
 都市で一番の歓楽街で、未だ智には縁がないところだ。
 その中心地を見事に擦り抜けて足は進み、タフな智でも流石に疲れてきたと息が切れてくる頃、足が止まった。
 見上げてみると、影を吸い込んだように黒い建物だった。看板には「金融会社、スチャラカぱらだいす……」
 ぜーぜー息を切らして呟いた智は手から名刺が落ちたことに気付かなかった。
「つ、疲れた……」
「ご苦労様、智。そしていらっしゃい」
 誰の気配もしなかったのに後ろから声をかけられて、思わずびくっとした智は振り返って少し目を見張った。
「初めまして。こんなに可愛い子だとは思わなかった」
 鈴の鳴るような声と言う、そんな表現がぴったりの美声。そして文句がつけようのない整った柔らかい、しかし男らしい美形の青年が智に微笑みかけていた。
 彼は智の視線に表情を崩さず、落ちた名刺を拾って胸元のポケットにしまった。
「バイト、経理だけどいいかな」
「……資格はありませんが」
 智は普通科なので商業関係には明るくはない。
「じゃない。あの、あなたは誰ですか」
 事の次第をつぶさに訊いてみたい欲求を抑えて、先ずは基本的なことを訊くことにした。青年はああと頷く。
「自己紹介が未だだったね。社会人として何百年もやっているのにこれではいけないな」
 歳をとっていて二十代後半にしか見えない青年は咳払いをした。
「改めまして。金融会社スチャラカぱらだいすの社長をしています。神坂築(カミサカキズク)です。宜しく、鷺沼智くん」
 どうして自分の名前を知っているのか、そもそも何故こんなところに自分はいるのか、智は何もかもが自分の許容範囲を超えていると頭がショートしそうになった。
「大丈夫?」
「心頭滅却すれば火もまた涼し」
「は?」
「混沌とした社会でも常に平常心でいれば乗り越えられないことはない。常に落ち着くんだ、と僕はこの言葉を超訳しています」
「あ、……そうなんだ」
 神坂は珍しいものを見るように何処の国の人間かわからない、紅茶色の瞳を瞬かせた。
「取り敢えず、今日は帰ってもいいでしょうか。ここから僕の家に帰るまでには結構あります。つく頃には夜になっているので今からお話を聞くのは困ります」
「あ、うん……、そうだね……」
「僕を雇ってくださるんですか」
「そのつもりなんだけど、君ってなかなかやるね……」
「名刺によると、僕は運命に導かれたようなので、そちらのお気に召す人材なのでしょう」
 何処で話をするかと問うと、神坂はやや間抜けな声で目の前の会社の中でしたいと言う。
「では、明日四時くらいでいいですか。学校が終わってから行くとそのくらいになります」
「うん、宜しく」
 失礼しますと神坂に頭を下げて踵を返した智は、自分の意思で足が動くことを確認していた。
「今日は不思議な日だった」
 常人からすると不思議の一言では済まされないが、智の中ではたったそれだけの出来事にしか過ぎない。
 彼は感情や感動が薄いとか、そういった人間ではないのだが、兄が感情豊かで感動深い人間なためにそれを見てきてうんざりしているので、そういう人間にはなるまいと自分を律する能力が強すぎるだけだった。
「兄さんなら腰を抜かしてるな。いや、途中で失神しているか」
 今日のことは誰にも言うまいと、智は胸に誓った。
 よかったのは仕事先が直ぐに見つかったことだ。履歴書の提出については何も言われなかったが、一応書いておく必要はあるだろう。写真も取り置きがあるので問題はない。
 少々怪しい会社だが、とスマートフォンを取り出してネット検索をかけてみる。
「金融会社スチャラカぱらだいす。社長、神坂築。社員、資産、……評判も悪くない。金融業って言うのが多少は気になるけど、他はいたって普通の会社だな」
 今の時代、スマホと言う強い味方があるので情報の収集には事欠かない。調べて胡散臭かったら明日は行かないで行こうと思ったが、社員ブログなどもあるし、思っていたよりは怪しくはない。
 だが、最初から何処かおかしいという基本的なことは智の認識には不思議なことにない。
 生きていればたまに変な事もあるだろう。そんな、軽い認識。
 弱冠にして智は今の混沌とした時代を生きる人間に不可欠な柔軟さと、尊いほどに何事にも動じない必要以上の許容範囲の広さを持っている。
「制服で行った方がいいかな」
 暢気に考えながら、最寄駅は何処だろうかと案内板を見ながら道を歩いていた。
 帰り道、補導されかけたのでそれは流石に足早に逃げた。


第二話

 金融会社スチャラカぱらだいすは、普通の会社だが何処か違っていた。
「みんな、挨拶して~」
 時間になったので足を踏み入れると、神坂が声をあげて社員の視線が全員、智の方に向いた。
「自己紹介、あいうえお順ね」
 元気な掛け声とともに順々に挨拶をされ、智もペコペコと頭を下げて回ったが、その社員たちの全員が洩れなく美形だった。
 例を挙げると東南アジア系のエスニックな妖艶美人の蘭林香(ランバヤシカオリ)、まるで氷をまとっているような目が覚める北欧系の色彩を持つ麗人の雪嶋雪人(ユキシマユキト)など。
 社長の神坂の他には受付と人事担当のこの二人が主に駐在していると言う。
「智はこんなに可愛いけど高校生なんだよ。人間で言うと立派に勤労が出来る大人なんだ。みんな、そのつもりで」
 美人美形ばかりだが、気取ったところはなく雰囲気がいい。何の取り柄もない、十人並みの容姿の自分を雇うのだからもっと召使のような目で見られるのかと思ってもいたが杞憂だったらしい。
 智は安心して勧められた席についた。
「この本、探したんだよ。色々と仕掛けがしてあるから楽しく経理が学べるよ」
 神坂が自慢するように差し出してくれた本は、炭を塗ったかのように真黒かった。パラパラめくっても何も書いていない。
「読む前に気合いを入れないといけないんだ。これ、ちょっと癖があるから」
 デスクに置いて、気合いとはどういうことかと試しにバンっと手のひらで叩いてみた。
「おお~……」
 すると、炙り出しのように血色の文字が滲み出てきて、表紙に「楽しく学べる経理の基礎」と記されていた。これには智も少し感動したので何回も叩くと「智、死んじゃうから」
 苦笑した神坂に言われて渋々やめた。
「最近の人間ってみんなこうなの?えらく適応能力がありますね」
 数日後、智が経理を勉強しながら実務をこなしていると、見ていたやや軽そうな外見をしているが、はやり美形の遠藤円(エンドウマドカ)がその働きぶりに口笛を吹いた。
「それは俺も思った。智くんの周りも君みたいなの?」
 中年の色気がふんだんに出ているダンディーな御厨剣(ミクリヤツルギ)に問いかけられ、智は少し考えて首を振った。
「僕の兄だったら間違いなく失神しているレベルだと思います」
「は、ハッキリ言うんだね……」
 社員なのに何処か怯えているような楚々とした麗人の近江近衛(オウミコノエ)は、遠藤から気が弱く人見知りなのだと聞いていたので特に嫌な気分はしなかった。
「まあ、ハッキリと言いますよ。皆さんは何となく、自分たちのことを人間ではないような言い方をするので」
 智が率直な感想を漏らすと、周りは明らかに息を飲んだ。
「冗談です」
 本当はそんなことは微塵も思っていないが、智は今後のためにフォローしておいた。
 真面目で仕事さえしてくれれば人間だろうと何だろうと構わないと思っているのが仕事に対する智の信念だった。
「大した神経だ。社長、いい子を捕まえましたね」
 思わず御厨が手を叩き、「ホネノある子はダイスキヨ~」
 蘭林が意味深な視線を送ってくる。
「俺の予想以上だな。よし、決めた」
 席を勢いよく立ち上がった神坂は智のデスクに手をついた。智は危うく電卓のキーを間違えて叩くところになり、思わず内心で舌打ち。
「智。君、俺の恋人になりなさい」
 唐突に言われて智は眉をぴくりとあげた。
「……何故ですか。あと、本をもう一冊広げたいので手をどかしてください」
「智が好きになった。君なら本当の俺を知っても、その広すぎる心で受け止めてくれることだろう」
「僕の心は広いですが、生憎と異性愛者です。社長がいくら美形でもお断りします。そして、手をどかしてください」
「俺も男は初めてだが勉強すればなんとかなると思う。この世界は勉強道具には事欠かないから安心してくれていい」
 任せろと言われたが、「聞いてるんですか。僕は社長と付き合う気はないので勉強とかしなくていいです。それよりも手をどかせと言っているんですが」
 智は取り合わず内心苛つきながら手を睨み付ける。
「仕事と恋愛はどちらが大事なのかな?生まれたからには運命の恋をしてみたいとは思わないか?陛下も言っている、恋こそ全ての快楽に繋がっているとっ!」
「いい加減にしろ!」
 高らかと謳うような神坂に、初めての仕事で悪戦苦闘していた智は遂に声を荒げた。
 神坂を始め、社員全員が驚いて智を見詰める。近江など泣き出しそうだ。
「仕事と恋愛なら、今は仕事が大事だ。職場に来ている以上、お金を貰っている以上、それに見合った労力は奉仕する。それが社会人の基本だ。あんたは社長だろ。社員のやる気を殺ぐようなことをしていいと思っているのか。立場を弁えろ!」
 一気にまくし立てた智は神坂が思わず手をどけたスペースに本を広げた。そして仕事を再開したが、周りが妙に静かなのでこれはやりすぎたかと目をあげた。
「あの……」
「凄い!」
 遠藤が声をあげ、続いて御厨も同じことを言った。
「凄いですね、智くん。社長にお説教なんて、初めてですよ……」
 近江はどうやら感動で泣きそうになっているらしく、手を叩きながら智を讃える。
「シャチョはぼんぼんダカラ、初めてオコラレルんじゃない?」
 蘭林が甲高い声で笑い、「智くんは社会人の鑑だね。僕も頑張りたいな」
 雪嶋は少し照れたように美貌を綻ばせた。
 社員の反応はいいが、神坂はどうだろうかと目を向けると、「・・・・・・」
 案の定、神坂は難しい顔をしていた。
 またしても失業かと智が溜息をつくと、「俺は真面目に智を堕としたくなってきた」
 何を言うかと思ったら神坂は神妙な顔でそんなことを言う。
「結婚式は日本風に神道かな」
「……現在の憲法では男同士は結婚できません」
「俺の国に行こうよ。陛下に拝謁して許しを貰おう」
「……どの国か知りませんが、僕は男とは付き合いません」
 仕事の邪魔だという雰囲気を出すと、神坂はあっさり引き下がった。
「邪魔すると嫌われちゃうからね。俺は智に好かれる努力をすることにするよ」
 ニコニコしている神坂を見て、無害ならどうでもいいと智は仕事に没頭し出した。
「ちょっと出てくるね」
 数分後、神坂がそう言って会社を後にしたのも智は気付かなかった。そして戻って来たのにも気付かなかった。
「社長、そのCDと本の山どうしたんですか?」
「これは智と安全に夜を過ごすための教材」
「はい?」
 遠藤と近江がそれぞれ大量のCDを覗き込み、雪嶋が文庫本を手にとり、御厨が漫画本を眺めた。
 瞬間、「うわぁぁぁああああああっ!」
「いやああああああぁぁぁあああっ!」
 静寂を切り裂くような悲鳴があがって、仕事の世界にいた智でも凄い勢いで声のする方を見た。
 雪嶋が何故かいなくなっていて跡には大量の氷が残っていたが、近江は顔を真っ赤にして座り込み泣き出し、遠藤は壁に寄りかかりぐったりとして、御厨は洗面所に駆け込んだようだった。
「な、なんですか皆さん……」
 受付にいて出遅れた蘭林と仕事中だった智は恐る恐る近寄って行き、平然と片付けをしている神坂の持っているものに注目した。
「ニンキ声優がイカされてアエグ、トッテオキノびーえるCD……?これなんですか、シャチョ」
「……【流行の体位全て図解で見せます。男同士のエッチで最高の快感追求】……」
 蘭林も智も、本能で内容は見ない方がいいと思った。しかしCDを一枚セットした神坂は「百聞は一見に如かずっていう言葉があるらしいよね」
 音量を最大にして再生ボタンを押した。
【いやだ、やめてっ!そんな太い○○○なんて入らないっ!】
【そんなこと言いつつ、下の口は喜んで銜え込んでるぜ?】
【あっ、あああんっ!はあぁぁあんっ!】
 などなど、自主規制がかかるくらいの、男同士のあれこれがボイスドラマで繰り広げられている。
 蘭林は衝撃でその場に倒れた。
「会社を何だと思ってる!いっぺん死んで来いっ!」
 智は神坂の顔面に思い切り電卓を投げつけて失神させた。


第三話

 神坂が智のためにBL、つまりボーイズラヴという男性同士の恋愛について勉強し出した。
「思えば、俺とおうめも男同士だった」
 遠藤と近江が付き合っていることをカミングアウトされた智は、「そうなんですか」
 ただ一言で済ました。
 初めの時の衝撃で社員全員引いてしまったが、神坂はヘッドホンをするという確約をしてくれたので誰も気にしなくなった。視覚の暴力にもなるので度肝を抜くような表紙のものはブックカバーをかけてくれると言う。
 ただ、雪嶋がしばらく出社拒否をしたのでその説得を任された智は、「雪嶋さん、僕がいる限り社長の好き勝手にはさせません」
 少し面倒だなと思った。
「時に智。税務署に出す書類だけど」
「もう少しで制作できると思います。出来次第、お抱えの専門家に持って行ってください」
「うん、有り難う。でもね、うちはプロには頼んでないんだ。智と同じ、アルバイトに頼んでるの」
 もしかしたら知ってる人かも、と言われて智は小首をかしげた。税理士に知り合いはいない。
「未だ身分は学生なんだよ。智と同じ高校の、商業科なんだよね」
「うちの商業科ですか」
 智の学校の商業科は全国でも屈指のエリートが揃っている。しかし、難関の資格試験に受かったという情報は聞かない。
「実はもう直ぐ来る予定なんだよ」
 蘭林がお茶を用意した丁度の時間に、「時間を無駄にしないねえ。いらっしゃい、いかちゃん」
「時は金なりと言うだろう」
 自動ドアから現れたのは「小ヶ谷先輩……」
 商業科のエリート中のエリートで美形ハーフと有名の小ヶ谷リイカ(オガヤリイカ)だった。
 小ヶ谷は薄いベージュ色の髪の毛を普段のように結っておらず、肩から流しており、服装も制服ではなくスーツだった。その姿は何処から見ても高校生ではなくホストだ。
「私を知っているのか?」
「同じ高校の普通科にいます。鷺沼です」
 グリーンの瞳が智を見詰め、そして彼は一つ溜息をついた。
「神坂。お前がショタコンだったとは思わなかった」
「嫌だな、いかちゃん。智はショタじゃないよ。どっちかって言うとロリコンだよ」
「鷺沼は男だからショタコンだろう。……無駄話をしたくはない。さっさと仕事を寄越せ」
 小ヶ谷が仕事と言うのだから経理のことだろうと思ったが、書類は未だ出来ていない。智が口を開く前に神坂が分厚い紙の束を小ヶ谷に差し出した。
「今月は多いよ。いかちゃん先月休んだからペナルティーね」
「……あいつが誕生日だったからいけないんだ」
「いかちゃんも恋人には弱いよね」
「恋人じゃない。食料。言わば、えさだ」
 小ヶ谷が不機嫌そうに髪を掻き上げながら書類を見て、お茶を飲む。
「雪嶋。どうして御厨の対象が私に回ってきているんだ」
「そ、それは……、御厨さんが空は小ヶ谷さんが適任だろうって仰ったので……」
「怠慢だな。あのじじい」
 金融会社に空が何の関係があるのだろうか。
 智は小ヶ谷がぶちぶち漏らす不満を聞きながら、この会社は本当にただの金融会社なのだろうかと真剣に疑問を持った。
 人間離れした美形の社員と言い、周りより年下のはずの小ヶ谷が社長や他の社員を同年代かその下のような口ぶりで話す。
「察しがいいな、鷺沼」
「心でも読めるんですか」
「あながち、外れではない。人間でその神経は褒められたものだ。しかし、子供のうちからそれでは生きにくいぞ」
「先輩とは二歳しか歳の差がありませんが。書類上は」
 書類から目をあげた小ヶ谷はくすくす笑い出した。
「拾いものだな」
「そうでしょ。いかちゃんもいいと思うでしょ!俺、智にベタ惚れなんだ」
 自慢するように神坂は言うが、本当のところ智にはあまり意味がわからなかった。
「いかちゃん。智が経理だから協力してあげてね」
 小ヶ谷は頷かなかったが面白いと言うように少し表情を崩した。
「これが片付いたら連絡を入れる。それまでには仕上げておけ」
 王様然と言い放った小ヶ谷は颯爽と帰って行った。
「いかちゃんは俺の親友なの。幼馴染みなんだよ。恋人が出来るまでは身体が不安定で心配してたんだけど、やっと調子がよくなってまともに歩けるようになったから安心したよ」
 恋って偉大だよねと神坂はデスクに頬杖をついてにこにこしている。耳は先ほどからヘッドホンをつけっぱなしだ。どうせいかがわしいボイスドラマでも聞いているのだろう。
 智は学校で聞く小ヶ谷のことを思い出していた。
 美形で有名な小ヶ谷に恋人がいるとは初耳だった。それに、彼が体調が悪いだなんて聞いたことがない。校内で見かける小ヶ谷はいつも王様のように凛々しく、何処かが悪いだなんて思えないくらい隙がなかった。
「人は見かけによらないんだな」
「智が可愛い顔をして俺にはピリ辛なのと一緒だよ」
「あんたに甘くしたらつけあがりそうだ」
「へえ、自覚あるんだ?」
 顔をあげると神坂が後ろにいて、「……んっ」
 そのまま自然の仕草のようにキスをされた。
「・・・・・・」
 唇が離れても与えられた熱が引かない。
 触れてみると、そこには少ししか感じなかった他人の唇の感触が生々しく残っていた。
「……初めて、キスした……」
 智は呆然と呟き、周りは突然の神坂の暴挙に凍り付いた。
「ファーストキスが俺って、凄い光栄だね」
 何処までも脳天気な神坂は輝かんばかりの笑顔だ。
「シャチョ、やりすぎですよ、サスガニ……」
 普段は煽ってくるような蘭林が思わず突っ込みを入れ、「セクハラだよ、セクハラ!訴えられちゃうよ!」
 遠藤が頭を抱えた。
「恋人になるんだからセクハラとかないんじゃないの?」
「社長。未だ恋人ではないからセクハラです。しかも社内の勤務時間中に堂々とそういうことを、衆人環視でやられると言い訳が利きません」
 雪嶋が指摘する声を震わせた。
「さ、智……?」
 流石に神坂も事態を重くみたのか、ぶりっこをして智の顔を覗き込んだ。
「ご安心ください。僕は男だからファーストキスについて夢は持っていません」
 智の淡々とした言い方に、周りはほっとしたようだったが「それでも野郎とキスする予定なんかねえよ、馬鹿が!」
 次の瞬間、沸騰した湯沸かし器のような勢いで、神坂の顔面に拳をぶち込んだ。
「・・・・・・」
 周りは呼吸を忘れたかのように動きを止めている。神坂にいたっては至近距離からの暴行で避ける隙も、受け身をとる隙もなかったので見事にヒットして倒れ込み、失神している。
 その神坂の胸倉を、智は掴んで顔を近づけた。
「おい、あんた」
「・・・・・・」
「何処の国の何様か知らないが、ここは日本だ。雇用者を口説いてはいけないという法律はないが、いきなりキスしていいという法律もない。キスしてはいけないという法律もないが、あんただって社会人を自負しているのだから分別って言うものはあるだろ」
「・・・・・・」
「いきなりキスされてときめくのはイカれた電波か、おとぎ話の中だけだ。それに異性愛者は同性に唇にキスをされて大抵は嫌がる。僕も同じ心境だ。あんたの顔が素晴らしくよくたってな」
 智の凄んだ表情は失神している神坂はもちろん、社員たちにも見えない。
「何を調子に乗ってキスしたんだかわからないが、僕を振り向かせたかったらもうちょっとましなアプローチをかけろ。正々堂々、受け止めてやる」
 雪嶋が思わず、「智くんって男らしいですね……」
 などと感嘆した。
「だがな、今のキスであんたの株は急安値がついている。もうどん底だ。今のところ万に一つもあんたに惚れる状況はない。それを心しておけ」
「社長、聞いてた方がいいぞ~……」
 御厨がこっそり声をかける。
 そして最後に智は「しばらく自宅で仕事をさせてもらう。クビにでも何でもするがいい」
 言い捨てて、神坂を捨て、帰り支度を始めた。


第四話

 自宅勤務を始めて数日、神坂からは何度となく謝罪の電話がきているが出社については無理強いはしないということなので、智は出社しなかった。謝罪にいたっては無視している。
 そんな時、「鷺沼。お客さん」
 声がかかったのでふと顔をあげると、「小ヶ谷先輩」
 制服を着こなした小ヶ谷が歩いてきた。
「今では違和感がありますね」
「話がある」
 スーツ姿の方が本当の小ヶ谷の姿らしい。そう伝えようとしても二の句を継ぐ暇もなく、智は小ヶ谷に促されるままに人気のない屋上へ向かった。
「神坂が不埒なまねをしたようだな」
「ええ、まあ」
「あいつは昔からお気に入りにはとことん入れ込むたちでな。一度目をつけたものは手に入れるまで徹底的に追い込もうとするんだ。鷺沼には未だ我慢をしている方だと思う」
「ただの変態じゃないですか」
 溜息をついた智に、「まあそうだな」
 小ヶ谷も異論はないらしい。
「しかし、あれでも私の唯一の親友だ」
「それは不幸じゃないですか」
「不幸だとも。そしてあいつはお節介だ。……認めたくはないが、幾度となく世話にもなっている」
 苦笑する小ヶ谷は何か思い出したのか、ふんわりと優しい表情になった。その変化に、智は同性ながら見取れてしまった。
「私たちは長く生きる。長く生きていると、たくさんのものに出会う。別れるのも同じ数だけ体験する。その中で、欲を失う」
 小ヶ谷は空を見上げた。
「それでも誰かをそばに置きたいと決心するのは生半可なものではない。神坂は軽い言い方をするが、鷺沼を選ぼうとしている。それを私は親友として応援したいんだ」
 空を映した小ヶ谷の瞳はとても深いグリーンで、彼の年齢が高校生ではないと明らかに伝えていた。そういえば神坂の自分を見詰める目も、時々こういう風に深くなるなと智はぼんやり思った。
「社長は、本気なんでしょうかね」
「くちづけは、神坂の一族では滅多にやらない行為だ。多分、あいつは初めてしたんじゃないか」
「え、うそ……」
 あれだけモテそうで経験豊富な雰囲気を出している神坂が、ファーストキスだなんて信じられなかった。しかし小ヶ谷が嘘を言うわけもなさそうだ。
 思わず唇に触れた智に、小ヶ谷は「これからは慎重にするように私からも注意しておく。だから、顔を見せてやってほしい」
 あれで意気消沈しているんだと、小ヶ谷は親友の様子を思い浮かべてにやっと笑った。
「先輩みたいなスマートな人だったら僕も考えるんですけどね」
 社長は仕方ないなあと智が冗談を言うと、小ヶ谷は軽く目を見開いて「そうだな。えさは一人に決めるというわけではないし、鷺沼ならいいかもしれない」
 何やら考え出したので智は驚いた。思わず後ずさると「神坂より私の方がいいのなら、私にしてみるか?」
 小ヶ谷が浮かべる微笑みが魔性を帯びた気がした。
「あの、……冗談ですよ、先輩」
 両手を挙げて小ヶ谷を制止しようとすると、屋上のドアが勢いよく開いた。
「リイカ!黙って聞いてればお前!」
「……ちっ」
「や、屋敷、先生……」
 養護教諭の屋敷徹(ヤシキトオル)が苦々しい顔をして飛び込んできた。
 智は保健室のお世話になることが殆どないのでほぼ面識はないが名前と顔はわかる。
「出てこないはずでは?」
「親友のために説得するからっていうだけならな。まったく、その気もないのにコナかけるのやめろっていつも言ってるだろ」
 小ヶ谷に文句を言ってつるんとした白い頬を引っ張っている屋敷を見て、智は二人の関係性についてだいたい察した。
「先輩、浮気相手には僕は役不足ですよ」
「当たり前だろ。リイカが子供を相手にすると思うな」
「先生、僕は一応生徒なんですが」
 苦笑する智に、立場を思い出したのか屋敷は頬を掻いた。気まずそうに咳払いをする。
「生徒でも、リイカは遊びが過ぎる時があるからな。危なっかしいんだ。それが可愛いんだけど。……おい、お前、授業は?」
 言われて、智は中央棟の大時計を見て慌てた。
「小ヶ谷先輩、今日は出社します。説得、ご苦労様です」
 ぺこっと頭を下げて教室に戻った。
「先輩なんだって?お前、なんかやったの……?」
 始業ぎりぎりで帰ってきた智を興味津々の同級生が質問攻めにする。
「小ヶ谷先輩ってなかなか友達思いだよね」
「え?先輩に友達?聞いたことないな。取り巻きはいるけど」
「俺は保健室で休んでるってことしかよく知らないや。謎だらけだし、あの先輩」
「そういえばさあ……」
 美形の小ヶ谷の話題は尽きないようで、教師が来るまで続き、自分から離れてくれたことに智はほっとした。
「先輩の恋人も男だったのか。意外と同性愛者、多いな……」
 ふむと考えた智は、「まあ両性の人を除いては世の中は男と女しかいないんだから、組み合わせ的には多くても変ではない。たまたま周りが男と男の組み合わせが重なっているだけだ。未だ二組に遭遇しただけで動揺していたら、これからのグローバル社会には対応できないな」
 柔軟性を見せて一人納得していた。
 そして学校が終わり、出社しようと道を歩いていると、けたたましいサイレンが鼓膜を打ち付けた。
「事故だって。男の人が撥ねられたらしいよ」
「なんか、もう助からなさそうって見てた人が言ってた」
 不吉なことを言う周りに嫌な気分になりながら歩いていると、目の前を何かが飛んで行った。
「………社長……?」
 何かに座る姿勢で、明らかに神坂が低空飛行で飛んで行った。
 紅茶色の長髪なんて神坂くらいだ。しかし、飛んで行っているのに誰も気付かない。
 智はその後を追いかけた。
「あら、これは死んでますな。こいつは確かうちの契約には死亡時、……生命の再生は入ってない。身体の欠損の保証だけか。ご愁傷様」
 救急隊員が蘇生を施している傍らでメモ帳のようなものを見ながら呟いた神坂は、持っていた棒を振り上げた。
「なんだ、あれ……っ!」
 神坂が振り上げた棒の先には大きな鎌がついていた。何百キロもありそうなそれを軽々と振りかぶった彼は、そのまま倒れている人間に向かって振り下ろした。
「・・・・・・」
 AEDが無情な音を出し、事故に遭った男性が亡くなったことを知らせた。
 その様子を神坂は見るか見ないかで、棒に乗って飛び立とうとした。智は思わず小石を投げた。
「いたっ。え、……智?」
「ちょっと、あんたなにしてるんですか!」
「待って。なんで智に俺が見えるの?今、俺は仕事中だよ?」
「仕事中だかなんだか知りませんが見えてますよ。と言うか、今何をやったんですか」
 智も神坂もパニックに陥ったが、智の方が一足先に正気に戻り「会社。早く行きましょう。説明してもらいますからね」
 取り敢えず社長はさっさと戻ってくださいと智は神坂をけしかける。
「あ~、俺がキスしたから、見えるくらいの魔力が移っちゃったんだね」
 開口一番、神坂は暢気に意味不明なことを言って智を悩ませた。
「社長って、死に神とかなんですか」
「おお。察しがよすぎておうめが失神したよ」
 遠藤に抱き留められている近江が気の毒になった。
「うちの会社の社員はね、全員魔物なんだよ」
 そして、金融会社スチャラカぱらだいすの本業は金融業ではなく、積み立てられる金で人間に化けて暮らしている魔物の欠損したパーツ、果ては命もさえ補うことを本業としていると言う。
 ちなみに、智が言った通り神坂は死に神。雪嶋はあんなに気が弱そうなのに実は冬の王で蘭林は蝶の魔物、遠藤は人狼、近江は吸血鬼、御厨は刀の魔物だと言う。
「いかちゃんは特殊でね、血が食料の吸血鬼と嫌血鬼(ケンケツキ)っていう血が大嫌いな種族のハーフ」
 ふんふんと聞いていた智は頭の中で状況を整理していた。
「ああ、うん。……取り敢えず、保険会社の凄い版を、人間に見える人間じゃない人たちがやってるってことですね」
「あっさり言うね……」
 心頭滅却ですよ、と智はもう自棄っぱちな気分だった。


第五話

「あー、やっぱり智は俺の見込んだ通りだった」
 神坂が惚れ惚れとした美声を震わせても、智はちらりとも見ずに仕事を続けていた。
「智くんの無視も堂に入ってるな」
「あれは耳栓してますよ、きっと」
 遠藤と雪嶋がひそひそと話し合っている。
「シャチョ、最近勉強シテルノ?」
 蘭林がちょっかいをかけると「してるしてる。やっぱりね、最初に慣らすのは指よりも舌の方がいいって。圧迫感的に。俺、そんなに舌は長くないんだけど」
「あら、じゃあ何処が長いノ?」
「ランランってえろいなあ」
 何を想像したのか神坂はにやけている。
「さ、智くん。本当に辞めないの?大丈夫……?」
「はい。これ以上ない最適な環境ですし、経理という新しいスキルも身についてきているので辞めるつもりはないです。辞めさせられたことは数あれど、自分から辞める理由は今のところありませんから」
 心配している心優しい近江からお茶をもらった智は受け取りながらそう答えた。
 そう、今までの労働環境の中で、残念ながらスチャラカは一番環境がよかった。デスクワークが初めてだからかもしれないが、元々身体を動かすのを得意としているわけでもないと言うことが今になってわかり、更に将来の選択肢も広がるかもしれない経理スキルも身につき、中でも電卓を叩く早さは検定試験を受けなくてもプロ並みになっている。昔ながらの帳簿にこだわっているこの会社では、ソフトに頼らないので電卓スキルも鍛えられるのだ。
「みくりんは沖縄に出張。錆びないといいなあ」
「人間の姿でも錆びるとかあるんですか」
「うん。みくりんのあの姿は幻影で、魔力があるものから見ると大きな刀がふわふわ浮いてるように見えるだけなんだ」
 想像するとちょっとコミカルだ。智はつい笑みを漏らした。それを神坂はにこやかに見詰めている。
「智って、本当に尊いよね。俺が人殺ししてるのに怖く思わないし、それどころか普通に喋ってくれるなんてさ」
「だって、社長の中ではあれは仕事なんでしょ?僕から見たら人殺しでも、社長の仕事には文句言いませんよ。社長は死に神なんだからやらないといけないんだし」
 怖がる必要はないと智が言うと「そうなんだけどね」
 神坂は苦みを含んだ笑みを浮かべた。
「俺ね、人間の知り合いがいたんだ。凄い昔なんだけど。その人は魔力をちょっと持っててね、この間の智みたいに俺が仕事してるのを見ちゃった」
 当時のことを思い出したのか、神坂は視線を手元に落とした。
「彼女は俺を人殺しって言って恐れたよ。近寄ることも拒絶した。視界に入れてもほしくなかったみたい。それが普通の対応なんだってわかってたけど、やっぱりさ。……俺もガキだったから辛かったな」
 愛おしいものを思い出すような神坂の横顔を見て、智は胸がキュッと締め付けられるのを感じた。
「……その女の人のこと、好きだったんですか」
 訊いてから、失敗したと思っても智は取り消さなかった。
 何故口を出てしまったのかわからないが、酷く切ない表情をする神坂が自分以外の誰かに恋をしたことがあるという過去に、嫉妬のようなものを覚えてしまったのかもしれない。
「さあ、どうだっただろう。物凄い昔のことだから、忘れちゃったよ」
 俺は智が初恋だよと、冗談めかして言う神坂は、もういつもの通り軽い男に見えた。
「ねえ、智」
「なんですか?」
「智ってモテないの?人間の女の子には、適応能力以前に智のずば抜けた包容力って魅力的じゃないの?」
「……この身長とこの容姿で包容力とかあっても全然いいことないですよ」
 ついふて腐れて呟くと、神坂はけらけら笑った。
「へえ。みんな見る目がないなあ!俺なんて智に初めて会った時から運命を感じたのに」
「男に運命を感じるなんて、社長も相当な酔狂ですね」
「そうでもないよ?この際だから言っておくけど、我ら魔物の世界はあまり性別は気にしないで恋愛をしているんだよ」
 どうやら魔物の世界の方が、恋愛については発展しているらしいことが発覚した。智は人間の世界よりも進んでいると勝手に感心した。
 しかし「なんと、魔王陛下の伴侶である女王陛下も男だからね」
 などと言われたら、魔物の世界の将来に不安を抱かずにはいられなかった。
「……跡継ぎとか、大丈夫なんですか。そっちの世界は」
「うん、平気。魔王陛下には子供が出来ないから。跡継ぎも自然と生まれる素晴らしいサイクルがあるんだ」
「便利ですね。少子化が叫ばれるこの世界に是非ともほしいサイクルですよ」
 だよねえと神坂は同意し、更に女王陛下が自分の親戚だという爆弾を落とした。
「社長ってぼんぼんだとは思ってましたけど、そんなに凄い家の出身なんですか」
「……智、どうして俺がぼんぼんだって確信してるの」
「その脳天気さはぼんぼんでしょ」
 指摘されて神坂はがっくり項垂れた。周りの社員からは爆笑が起こっている。
「……。俺ね、一応は死に神の家ではサラブレッドなんだよ。あとね、このスチャラカぱらだいすって言う会社は世界各国にあってね。会社の社長は代々死に神の一族がやることになってるんだ。今の女王陛下の出身一族っていうこともあるけど、死に神は魔物の中では大貴族だからね」
「貴族云々は放っておいても、死に神にサラブレッドがいることにも驚きましたが、このふざけた名前の会社が世界規模の会社だと言うことに驚愕を隠せないですよ」
 智は電卓を叩きながら言うと、神坂も「この会社の社名については俺も思うんだよ」
 暗い顔でお茶をすすった。
「やっぱり智くんもそう思うよね。ほら、人間の智くんが思うんだからやっぱり変なんですよ。この会社の名前……」
 雪嶋が落ち込んだ様子で溜息をついた。
「いや、でもありですよ。多分……」
「智くん、無闇に慰めをかけてくれなくてもいいよ。俺は配属が決まってからしばらくは本当に恥ずかしくて社名を口にすることが出来なかった」
 遠藤はよほど慣れるまでに時間が要ったのだろう、苦悩も深そうだった。
「社名は誰が決めたんですか?」
「ソレガわからないのよ。シャチョも知らないの」
「うん。女王陛下か魔王陛下なら知ってるかもしれないけど、あの二人には滅多に会えないし、会ったら会ったでそんなくだらない質問していいのか、この俺ですら悩んじゃって結局訊けず終いなんだよな」
 たった一社の命名理由が、まさか一つの世界の王様たちに訊かないとわからないなんて、凄まじい世界だ。智はちょこっと気になった。
「……人間の僕には到底お会い出来ない方々でしょうね」
「そうだねえ。俺も会ったことないし。会えたら智くんなら訊けるよね」
 遠藤がお茶をすする。
「あ。今日はお茶菓子があるんだよ。智が家庭科の授業で作った羊羹」
「わー。僕、羊羹好きなんですよ。智くん有り難う」
「冷えたお茶しか飲めないのにお茶菓子好きだよな。……お雪、智に惚れるなよ」
 神坂が羊羹を切り分け、あまった薄っぺらい切れ端をどうしようか考え始めた。
「智、こっち向いて、口あけて」
「ん?」
 指を突っ込まれ、智は思わず神坂の指先ごと羊羹を食べた。口をもぐもぐ動かして飲み込むと、指が解放された神坂はちょっと顔を赤くしていた。
「なにこれ、新婚さんみたいだね」
「んー、やっぱり変に甘すぎましたね。砂糖の量はちゃんとやったはずだったんですけど。煮込みすぎたのかな。それとも塩が足りなかったのかな」
「これって舐めるべきかな。うん、舐めていいよね」
「……社長、それは流石に変態ですよ」
 血迷ったことをしそうになっている神坂を周りが止めようとする。智は何の気なしにお茶で口の中をすっきりさせた。
「社長?」
「は、はい!」
「なんですか。気味が悪い。書類が出来たので小ヶ谷先輩を近いうちに呼んでください」
 何を指汚してるんですかと、智は台布巾を神坂に渡した。



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