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六日目

 久しぶりに嫌な夢をみた。

 子供の頃の夢だ。

 夢とわかっていて、見るのを止められない。

 同じ夢が何度も巻き戻されては、同じ場面が繰り返される。

 夢とは思えない生々しい感触を、嫌がりながら何度も追体験する。 

 その度、ない出口を探すように、わたしは僅かな流れの変化に縋る。 

 だが、うまくいった試しはなく、どんよりとした苦しさを抱いて目を覚ますのが常だ。

 首を締められる苦しさに目を開けた……って、おまえのせいか。

 クロが首巻きになってた。そりゃあ重いわけだ。

 

 にゃあ。

 

「にゃあじゃねぇわ。寝てるあいだに上に乗っかるの、やめてくれない?」

 逃げようとするのを捕まえて、抜け毛が飛び散るほどもみくちゃにして可愛がってやった。

 クロはわたしの手を抱えざらついた舌で舐めながら、後ろ足で何度も蹴った。

 ……痛い。蹴られたところが、ミミズ腫れになった。

 それから、いつものように、階段の踊り場から窓の外の風景を見て、思わず声をあげていた。

「これはまた、見事な風景だね」

 どうやら、今日はどこかの丘の上にいるらしい。

 見通しは良いのだが、庭の地面近くの全面が、濃いミルク色の霧の川に覆われていた。

 一本だけ生えた大樹が、浮島のように見える。  

 面白い。よい風景だ。

 霧の川の終着点がどこかはわからないが、向かって左から右へと流れて見える。

 あとで、外に出て見てみよう。

 ドラゴンは、どうだろう。外に出たがるかな?

 クロにとっては、どうでもいいことらしい。

 ごはん早く、と急かされた。

 

 クロに餌をやってから、わたしは部屋へ戻り、改めて起きる支度をした。

 昨日の飲酒の影響でだるくはあるが、二度寝する気にもなれない。

 しかし、身体がビタミンを欲しているので、ジュースと果物をがつがつ食べて、朝食とした。

 今日は、休肝日としよう。

 それからコーヒーを抱えて、ドラゴンを起こしに行った。

「きょう、こんなんだけれど、外へ出る?」


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 サウナから連れ出して窓ごしに庭の様子を見せたら、きゅっ、と一声鳴くと私を見て、回れ右をした。

 出たくないらしい。

 まあ、肌寒そうだしね。

 暖かいところが好きなドラゴンには、向かないのだろう。

 ドラゴンをサウナルームに戻して、わたしはひとりで庭に出た。

 銀色の幻想的な風景の中に立てば、不思議な気分になった。

 まるで、パソコンで画像加工したかのような風景だ。

 彩りはあっても、すべてが褪せて見えて、遠近感さえ曖昧に感じる。

 流れる乳白色の川に腰までつかりながら、流されもせず、抵抗もなく立っていられることが奇妙に思えてならない。

 頭が混乱するようなおもしろい感覚に、笑い声も出る。

 雲の上に立つとは、こんな感じなのかもしれないと想像もする。

「いいね」

 まだ暖かいコーヒーを両手に抱え、口をつける。

 薄手のカットソーでは、やはり、すこし肌寒く感じて、液体の暖かさが嬉しい。

 よし、描こう。描いてみよう。

 おそらく、パステルでは表現の仕方がむずかしいだろうけれど。

 応接室から、道具を置くための椅子をひとつ運んでから、部屋から画材を持って庭にもどった。

 そこから立ったまま、三時間近くかけて、一枚のスケッチを完成させた。

 

 昼近くになって、また来客があった。

 勇者の一件で疑い深くもなっていて、出迎えるのも嫌だったが、入ってきてしまったものはしょうがない。

 警戒しながら出て行くと、でっぷりした中年男性を従えた、枯れ枝のように細いスキンヘッドの老人だった。

 布をそのまま巻いたかのような、質素な草木染めの茶系の衣はゆったりとして、お坊さんのようだ。

 お付きの人も、似たような格好をしていたが、短髪の上にトルコ帽に似た形の帽子を頭にのせていた。

「突然、申し訳ない。私めらは旅の途中の行商人でありますが、途中、水の残りが心許なくなり、分けていただきたくお願いに参りました。井戸に案内していただければ、こちらで必要なぶんを汲まさせていただきますので、なんとかおねがいできませんでしょうか」

 よかった。変な人ではなさそうだ。

「ああ、はい。ええと、それはかまわないんですが……どれくらいの量が必要なんでしょうか」

「なにぶん人数が多いので、二樽ほどお願いしたいのですが」


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「樽……おふたりではないので?」

「はい。人数が多いので、ほかの者は外に待たせております」  

 そう言って、老人は人の良さそうな、にこにことした笑顔で答えた。

 ……ええと、ちょっと失礼。

 私は鍵のついた腕輪を外すと、扉を開け、外の様子をのぞいた……うぉ!

 大きな山羊にも似た動物が牽く、三台の荷馬車が玄関前につけられていた。

 その周囲を取り囲むようにして、馬車からおりて腰を伸ばす、いかつい男たちのほか、女性も何人かまじっていた。

 全部で六人。

 馬車の中にもいるだろうから、全部で十人以上はいるだろう。

 てか、全員が敷地内に入れたのか!

 勇者一行の兵士は入れなかったってのに、どうなっているんだろうな、この選定基準は。

「大所帯ですね。樽って、どれくらいの大きさですか」

 閉まる扉を身体で押さえながら問えば、老人は、おい、という一言でそこにいた男のひとりを動かした。

 幌のついた一台から、転がされるようにしてひとつの樽が外に運び出された。

 酒樽と変わらない形状で、わたしの胸元ぐらいの高さがある。

 大きいな……これを二樽ぶんか。

「飲料用なのですよね」

「はい。煮炊きにも使いますので」

 駄目か、と言外にうかがう視線に、すこし考える。

 この邸の水ってどうなってんのかなぁ……スプリンクラー設備もあるし、無尽蔵なんだろうか?

 しかし、給水が止まったところで、ペットボトルの飲料水もある。

 最悪、風呂に入れなくなっても、死ぬわけではないし、まあ、いいか。

 わたしは老人に言った。

「実は、私はこの邸の管理をまかされている者ですが、水をお分けするのはかまわないんですが、実は、井戸が邸の中にありまして、そこまで他人様を入れるわけにはいかないのですよ」

「では、ご主人は」

「生憎、不在でして。ですので、水汲みはこちらでやりますので、樽を中に運び入れていただけますか?」

「ありがとうございます。さっそく運ばせましょう」

 老人は、ほっとした様子で答えると、男たちに指示を出し始めた。

 

 

 どうぞ、とわたしは、応接室に通した老人とお付きの人に茶を出した。

 玄関の方からは、だばだばとした水の音が響いてくる。


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 水は、寝ているドラゴンの邪魔をさせてもらって、給水口からホースを使って、玄関に置いた樽に流し込んでいる最中だ。

 ゴム臭い水? 知らない。

「頂戴いたします」

 老人は丁寧に湯呑みを持ち上げ、緑茶をひとくち口に含んだ。

 そして、ほう、と感嘆の声を洩らした。  

「これは、はじめて口にする味だ。そこはかとない苦味があるが、実にまろやかで、甘みも感じられる。実に味わい深い。それでいて、さっぱりとして鼻に抜ける清涼感がある」

 京都宇治の専門店で売るものだが、家使い用の煎茶だ。

 お高い玉露もあったが、新しく開けるのはもったいなく、飲みなれていないとヤバそうなので避けた。

「ありがとうございます。本当は、もっと上手に淹れられればよいのですが。わたしはあまり上手ではないので」

「いやいや、実に美味いです。甘露、甘露。ほれ、折角だから、おまえもいただきなさい」

 老人は朗らかに、お付きの人にも薦めて言った。

 薦められてお付きの人も口をつけ、

「いや、私も長年、あちこちを旅して商いをさせていただいておりますが、こうして少し見せていただいただけでも、この邸には、この私でさえはじめて目にする珍しき物がありますな。たとえば、あの水を移し入れる管など」

「ああ。まあ、そうかもしれませんね」

「つかぬことをお伺いしますが、この邸のご主人とは、いずれかの王侯貴族でいらっしゃいますかな」

 探る言葉に、苦笑しか出ない。

「いえ、そうではないのですが……そうですね。そう思っていただいてもかまいません」

 曖昧に答えて逃げれば、老人は心得たように微笑んで、それ以上、聞いてくることもなかった。

「これから、どちらに行かれるご予定なのですか」

 話題を変えて聞けば、フエンの都という答えだ。

「私どもは、もともとフエンで店を営んでおりまして、久しぶりに帰郷するところなのです。フエンにいらっしゃったことは?」

「いいえ、残念ながら」

「そうですか。機会があれば、いちどいらっしゃるといい。それはもう、賑やかで、美しい都ですよ」

「そうですね。なかなか邸を離れられない身ですが……ランカーサーイーにいらっしゃったことは?」

「ああ、何度か訪れたことがあります。ランカーサーイー国のご出身ですかな」

「いいえ。ただ、私も、一度訪れたことがあるだけです」

「そうでしたか。あそこも良い国ですな。すこし辛くはあるが、食べ物が美味い」


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「ええ、海の風景が印象的でした」

 嘘は言わず、言葉を慎重に選ぶ。

「当邸にも、あの国出身の者がおりまして」

「さようでしたか」

「よくは知らないのですが、あそこもコエンデスやサシェルと、いろいろあるみたいですね」

 すると、ああ、と老人は大きくうなずいた。

「国同士の関係は、むずかしいものがありますからな。サシェルも独特な国でしたから。もともとの気質というのか、頑なすぎたのでしょう。コエンデスに併合されてからランカーサーイーに逃げた者もいましたが、いずれも残された民はいまだ苦労が多いようです」

 おっと! ここでは、サシェルはコエンデスに滅ぼされたのか!

「そうでしょうね。魔王討伐なんて話もあったくらいですから」

「ああ、そんな大昔の話をよくご存知で」

「以前、ここを訪れた方にその話をうかがいまして。興味深かったものですから」

 笑ってごまかせば、老人は、ああ、と納得したようだった。

 ……時間経過がわからないというのは、情報を得るのもむずかしいな。

「でも、本当に魔王なんているのでしょうか」

「いやいや、そんなものを信じていたのは、サシェルの者ぐらいでしょう」

 私の問いかけに、老人は、軽く笑い声をたてて答えた。

「では、滅ぼされた民というのは?」

「単に、魔法をすこし扱えたというだけのことでしょうな。なにせ、サシェルは魔法が扱える者を崇めたものですから。今でも、その癖が治らず、困ったものです。竈に火をつけるぐらいしか、大して役に立たないものを」

「ああ、そうでしたか。自分の国の者以外が使えるのが気に食わなかったのですね」

 奴隷に対する扱いもあれだけ非道なのだ。

 選民意識の塊みたいなところもあったのだろう。

「しかし、そんなことがあったのも、五十年以上も昔の話になりますか。思えば、あれが、両国の関係を悪くする切っ掛けでもあったのでしょう」

「そうかもしれませんね。コエンデスにとっては辺境とは言え、攻め入れられたようなものでしょうから」

「そうですな。その時も、ただというわけではなかったでしょうが、遺恨は残ったということでしょう」

 わたしが茶を飲むと、老人も湯呑みに手をのばした。 

「サシェルとの戦の頃、丁度、ランカーサーイーにおりましてな。あの頃、帰ろうにも道が塞がれ、どうしようかと思いました」

「長く留まったのですか」

「約半年ほどでしたか」

「それは大変でしたね」

 それ、いつ頃の話なんだろう。



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