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ジュラシック・ワールド

ジュラシック・ワールド

2015年8月24日 イオンシネマ明石 にて鑑賞

当テーマパークに年齢制限はございません

 

え~毎度、おなじみの「ジュラシック・パーク」シリーズ、恐竜アトラクションムービーでございまして。もう、ほとんど説明の必要もございません。

①子供達、恐竜テーマパークへいく。

②恐竜、脱走する。

③子供達、怖い目に遭う。

④脇役、恐竜に食べられる。

⑤子供達、ヒーローに助けられる。

⑥メデタシめでたし。

という一連の流れ、これはもう、完璧な「お約束」「予定調和」ムービーでございます。

最初っから結末はわかっているのに、何故か、観客はお金を払って観に行くわけでございますね。

要はどのように、我々観客を怖がらせてくれるか? そのオバケ屋敷的演出を楽しみに、みなさんご覧になるわけでして。そういう意味では期待を裏切らないですね。

恐竜のテーマパーク「ジュラシック・ワールド」の作り込み、恐竜たちのリアルさ。僕は2Dで鑑賞しましたが、これはやっぱり3Dのほうがより楽しめるだろうな、と思いました。

こういうジャンルの作品に、人物描写うんぬんを語るのは、野暮ってぇもんなんですが、あえて申しますと……

主人公の兄弟、ザックとグレイ、映画は主に、この二人の目線で描かれて行きます。このあたり、製作総指揮、スピルバーグ氏の子供目線尊重の姿勢は引き継がれておりますね。

兄のザックはハイティーンで、恐竜よりも、女の子の方に関心あり。メカには強く、クルマをいじったりするのが好き。でもまだクルマの免許は持ってません。弟のグレイは完全な恐竜オタク。今回のテーマパーク行きを楽しみにしていました。

彼らの両親は実は離婚寸前。この辺りの設定も、現代アメリカ社会の典型的な一例なのでしょう。観客が「ああ、ウチもそうよね」という共感を得られやすい設定になっております。

母親の妹クレアは、恐竜テーマパーク「ジュラシック・ワールド」の運営責任者の要職を務めています。兄弟にとっては叔母さんにあたります。このクレア叔母さん、いわゆる一昔前のバリバリのキャリアウーマン像でして、そこそこの年齢なんですが未だにシングルです。

本作でのヒーロー役、として登場するのが、彼女の下で働く軍事のプロフェッショナル、オーウェン。

いま、恐竜の一種、ラプトルを飼育し、手なづけるプロジェクトで実験中。プライベートでは、パーク内の寂れた所にボロ屋を手作りし、住んでいます。休みの日は、油まみれになって、レトロなバイクを修理したりするのが楽しくてしょうがない。

ちなみに日本語版の吹き替えは、玉木宏氏が演じております。もちろん、彼、いい声の持ち主なんですが、いかんせん、逆に存在感がありすぎる。すぐに玉木宏と分かってしまい、そうすると、僕なんかはどうしてもあの「のだめカンタービレ」の千秋真一を思い出すのです。まあ、これはこれで面白い想像かもしれない。

のだめの千秋先輩が恐竜を手なづけて、タクトをもって「指揮」するようなものです。

さてテーマパークは、観客へ常に新鮮な楽しみを提供しなければ、飽きられてしまいます。運営責任者であるクレアは、経営陣として、以前から新種の恐竜づくりを重要な課題と位置づけてきました。いまやDNAをハサミとノリでつぎはぎできる時代です。

一度やり始めたら、もうやめられない、止まらない。もっと刺激の強い、もっと凶暴な恐竜を!! 経営陣とお抱え科学者たちは、史上最強の「ハイブリッド恐竜」を生み出します。これをお披露目したら、みんな度肝を抜く! 話題沸騰、来場者アップは間違い無し! と期待していたら、予期せぬ出来事が。

この最強のハイブリッド恐竜が、柵を越えてパーク内に逃げ出したのです。

この日の来場客は2万人を超えていました。

この人たちをどうやって安全に退避させるか? 

クレア叔母さんは、ふと気になって、園内フリーパスを渡していた二人の甥っ子たちに連絡を取ってみます。多くの人たちが避難する中、兄弟たちは、危機が迫っていることも知りませんでした。ガラスボールの様な乗り物(ジャイロスフィアと言うらしい)で園内を散策中。おまけに普段から立ち入り禁止の区域にまで入り込んでいる。管理センターのモニター画面では、逃げ出した恐竜の方へ兄弟はどんどん近づいています。このままでは二人が危ない。クレア叔母さんとオーウェンは、彼らを救助に向かうのですが……。

本作はいうまでもなく、「アトラクション映画で何が悪い」と開き直った作品でもあります。それをいまさら、ちまちまと、なんらかの文明批判めいたものを、作品の随所に「スパイス」として持ち込んでいるのが、かえって「ウザい」と感じる部分もあります。

本作での製作総指揮スピルバーグ氏が監督した、あの名作「E・T」では、ストーリーとメッセージ性が実によく調和しておりました。

子供が宇宙人と出会うことによっての、人間としての成長、そして大人たちへの不信と反発。住む星が違っていても、「友情」や「愛」は普遍なのではないか? といったメッセージが込められておりました。

本作では、科学者たちが、生命倫理のタガを外し、「ハイブリッド恐竜」を生み出してしまいます。人間の勝手によって、都合よく「操作された命」であっても、やはり彼ら恐竜も動物であり、一つの命に変わりはありません。

命に対して、人間の立ち位置とはどうあるべきでしょうか?

大風呂敷を広げるなら、西洋文明とは人間が自然を征服し、屈服させることの歴史でもありました。しかしながら、東洋的な文明、思想では、自然との調和や畏怖の念、というものが、大切にされてきました。ハリウッドのヒットメーカーに多大な影響を与えた宮崎駿氏「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」といった作品は、その精神が根底に流れております。絶対的な悪役は存在せず、善悪は相対的なものと位置づけられています。人間というものは、広い世界の中で、一人ぼっちでは、なんともか弱く、頼りない存在として捉えられています。

また、この二つの作品では、勧善懲悪的なヒーローが存在しません。トトロは子供達のヒーローかもしれませんが、それでも彼らは、あくまで「オバケ」であります。その不思議な力で、庭に植えた種を芽吹かせたり、ネコバスを走らせたりします。

また、「千と千尋」の舞台においては、八百万の神様の湯治場、という、およそ一神教の価値観では理解できない様な設定です。

大風呂敷を広げすぎましたが、本作「ジュラシック・ワールド」では恐竜対人間、自然対人間、の西洋的な二項対立の図式が少なからず感じられました。

製作スタッフはコンピュータを駆使して、恐竜を、より怖く見せようとします。より凶暴なアクションシーンを演出しようとします。

その精神の根底に流れるのは、恐竜たちの立場を尊重するのではなく、あくまで「見世物」として、人間が恐竜を支配しようとしているように思えるのです。

本作のスタッフたちは、「コンピュータグラフィック」「3Dモデル」を自由自在に操ること、その造形を支配することへの快感に酔っていないでしょうか?

本作終盤での、恐竜対恐竜の対決シーン、および捕食シーン、それは僕の目には正直かなり”過激だ”と感じました。いまのコンピュータゲームに慣れた世代には、こう言った「殺し合い」シーンは、何の違和感もないのでしょうか?

いま、話題のR15+指定の「テッド2」が公開中ですが、あれを年齢制限しているのなら、本作の「残虐」な恐竜の殺し合いシーンのある本作は、年齢制限しなくてもよろしいのでしょうか? 幼い子供達に見せても良いのでしょうか? と僕などは思ってしまうのです。

まあ、それぐらいリアルで、迫力ある演出であることは間違いなく、そういう意味でアトラクションムービーとしての出来は、極めて優れているということでしょう。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆

配役 ☆☆☆

演出 ☆☆☆

美術 ☆☆☆☆☆

音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆

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作品データ

監督   コリン・トレボロウ

主演   クリス・プラット、ブライス・ダラス・ハワード

製作   2015年 アメリカ

上映時間 125分

予告編映像はこちら

「ジュラシック・ワールド」予告編


テッド2

テッド2

2015年8月31日  OSシネマズミント  にて鑑賞

テッドは「考える葦である」のかなぁ~?

 

「全米が震撼!!」 ズンズンッ!!!(←ジョーズ系の効果音)

「R15+指定!!」 ドスンッ !!!(←ジュラシック・パーク系の効果音)

「日本中をトリコにした!!」(←スターウォーズ系のファンファーレ)

あの世界一ダメな、もふもふテディベアが、帰って来ました!!

テッドは職場の同僚でもある、あのタミ・リンちゃんとついに結婚。ちなみに一作目の出会いのシーンでは、テッドが結構、ダーティーでワイルドにアタックしてましたね。(ちなみにタミ・リンちゃん、ナニのアレはNGらしいです、すいません、大人の下世話な話で……)

映画は冒頭、ふたりの幸せな結婚式シーンから始まります。神父役は、あのB級ヒーロー、我らがフラッシュ・ゴードン(サム・J・ジョーンズ)が務めます。引き続きオープニングクレジットへ突入。ここはブロードウェイのレビュー仕立て。今回のテッドはとってもゴージャスなんです。

テッドと男女のダンサーたちが、見事なダンスを披露してくれます。テッドは蝶ネクタイにタキシード。彼、いろんな服がよく似合うんですね。本作ではテッドがいろんな格好で現れるので(スキューバダイビングとか)衣装にも注目ですよ。

さて、結婚から1年も経つと、テッドとタミ・リンは夫婦ゲンカの毎日。

どうしたら二人、仲良く暮らせるのか?

職場仲間のアドバイスは「子供を持てばいいのよ」と簡単明瞭。

そうだよ、それだ!! タミ・リン、おれたち子供を持とうよ!

ということで、テッドとタミ・リン、二人に夢と目標ができました。

ところが、そんな二人に州政府から一通の通知が。

「テッドは人間とは認められない、ゆえに二人の結婚も成立しない、更にはテッドが子供を持つことも許されない」というのです。

テッドは長年連れ添った雷兄弟(サンダーバディ)の親友ジョン(マーク・ウォールバーグ)に相談。

「困った時は弁護士さ」とジョンとテッドたちは弁護士事務所へ向かいます。そこで彼らの担当になったのが、若干26歳のおねーちゃん弁護士、サマンサ(アマンダ・セイフライド)

法廷で「アナ雪」の「レット・イット・ゴー」なんか歌わないでね、とテッドに釘を刺されながら、頼りない新人弁護士サマンサとテッドたちは「命ある、クマのぬいぐるみ、テッドに人権を!」と法廷に乗り込んでゆくのです。

今回の「テッド2」では、ガッツリ、法廷シーンが描かれるんですね。

観ている途中から、あれ、これって、以外に、とんでもなくシリアスな命題を観客に吹っ掛けて来てるんじゃないの? とおもいました。

テッドは僕たち観客に問いかけてくるのです。

「オレってモノなの? それとも人間?」

本作はセス・マクファーレン監督が仕掛けた、ある意味、大変、哲学的な、思考実験映画なのかもしれませんよ。

テッドはクリスマスの夜、神様から奇跡の命を与えられました。彼は人間と会話ができます。もちろん喜怒哀楽だってある。何より、人を愛することができるのです。しかしそのルックスは……モッコモコの、綿を詰められた、クマのぬいぐるみです。しかも、元はと言えば、工場で「生産された」ぬいぐるみでした。

さて、この場合「テッド」には、人間のような「基本的人権」は認められるでしょうか? ということです。

例えば、日本ではペットを傷つけると「器物損壊罪」として罰せられます。

飼い主の愛情を注いだ、家族以上の存在であるペット。彼らは日本では「モノ」として扱われてしまうのです。彼らペットや動物たちには、自然発生的な「生きる権利」や生き物としての「尊厳」は存在しないのでしょうか?

さて、本作「テッド2」では、アメリカ合衆国における「黒人奴隷」の問題が引用されています。

かつて彼らが、故郷であるアフリカ大陸から船で「輸入」されたとき、人間としては扱われなかったのです。

黒人奴隷は「モノ」として扱われたことが、法廷の記録として厳然として残っていることを、本作では示しています。

黒人、および有色人種は、凄惨で、血塗られた歴史を乗り越えて「公民権」を獲得します。

そういった、合衆国の歴史や背景を下敷きにして、本作は描かれております。

これら法廷シーンでは、おバカ映画の体裁であるにもかかわらず、笑いの要素は極力省かれた演出になっています。

とてもじゃないが、茶化して笑いを取る場面ではないんですね。

さあ、法廷で、テッドは人間であると証明できるんでしょうか?

そして命を宿した、奇跡のテディベアに、基本的人権は認められるんでしょうか? 本作の大きな見どころですね。そのための配役が素晴らしい。

なんと、本作「テッド2」には、超大物俳優、モーガン・フリーマン氏が弁護士役で出演。テッドと夢の共演となりました。

また、リーアム・ニースン氏が、苦みばしったハードボイルドな演技で、カメオ出演しているのも必見。彼は、別のアクション映画の世界からやってきた、主人公そのまんまのノリで、この「テッド2」の世界に乱入してきます。切羽詰まった、ヒリヒリするような表情がよけい笑えます。

エンドロールの最後で、もう一回登場しますんで、見逃しちゃいけませんよ。

なお、本作はR15+指定なので、良い子の皆さんは、もうちょっと、ガマンしましょうね。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆☆

配役 ☆☆☆☆

演出 ☆☆☆

美術 ☆☆☆

音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆

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作品データ

監督   セス・マクファーレン

主演   マーク・ウォールバーグ、アマンダ・セイフライド、

製作   2015年 アメリカ

上映時間 116分

予告編映像はこちら(良い子も見ていいヤツ……と思います)

「テッド2」予告編


サイの季節

サイの季節

2015年9月2日 元町映画館 にて鑑賞

命の輪郭を映しとる

 

これは久々に手強い作品と出会ったものだと、観終わって、改めてちょっと身構えてしまいました。

本作は実話ベースです。しかし、ドキュメンタリータッチでは描かれておりません。現代アートのような映像表現も含みながらの、ストーリー展開、人物描写、さらにはイランでのイスラム革命の予備知識がないと、僕のようなボンクラな理解力じゃあ、とてもじゃないが付いていけません。自分の頭とハートで納得できるようになるには、何回も観直す必要のある作品だとおもいました。

主人公のクルド系イラン人の詩人、サヘル(ベヘルーズ・ヴォスギー)は、革命政府から「神を冒涜する、くだらん詩を書いた」として検挙され、投獄されてしまいます。彼の妻ミナ(モニカ・ベルッチ)も投獄され、二人は離ればなれとなってしまいます。

本作でのキーパーソンとなるのが、アクバル(ユルマズ・エルドガン)という男。彼は詩人の妻、ミナのことを密かに慕い続けておりました。

革命前、ミナは王制下、軍司令官の娘として裕福な家で育ちました。アクバルはその司令官邸宅の運転手であり、下っ端の使用人だったのです。しかし、革命によって、まさに天地がひっくり返りました。

昨日まで、偉い人たちに平身低頭していたアクバル。それが、革命がおこった今では、支配する側に立場が逆転。今は権力を手に入れ、ついには自分の長年の想いを果たそうとします。実は、詩人サヘルと妻ミナを引き裂いたのは、アクバルの仕業でありました。サヘルを既に死んだものとして「処理」し、ミナを監獄の中で自分の思うまま凌辱してしまいます。ミナは獄中で望まない妊娠をし、二人の子供を出産します。

さて、永い、長い、獄中生活30年を経て、詩人サヘルはついに釈放。彼は、なによりもまず、最愛の妻、ミナの行方を捜します。あらゆるツテを頼りに、彼がたどり着いた先は、トルコのイスタンブール。

ここはヨーロッパへ渡る難民たちの中継地となっています。サヘルはここで二人の若い女性と出会います。彼女たちも難民らしい。ヨーロッパへ向かう旅費を稼ぐため、止むを得ず、女である自分の身体を売る、いわゆる「街の女」になっております。もとより、自暴自棄になっていたサヘルは、この女に誘われるまま、体を寄り添わせるのですが、実は彼女こそ、自分の妻ミナの……。

「サイの季節」とは、かつてサヘルが書いた詩の言葉です。彼の書いた詩は、本作中で、幾度か朗読されます。それはどこか、日本の詩吟、または浄瑠璃の悲恋物語を思わせる、体の奥底からこみ上げてくる詠嘆として詠われています。

「サイは土を食み、遠くへ吐き出す」

生まれた故郷を追われ、国を捨て、放浪する人々。詩人サヘルも、その群衆の中の一人であることはまぎれもないのです。彼らは自分の体と魂をつくった故郷の土を、一体どの土地で吐き出すことになるのでしょう?

本作では、重要なキーパーソンであるところの、アクバルの人物像について、あまり多くの説明をしておりませんので、作品の流れの中で短時間で理解するにはやや無理があると感じました。

映像に関しては、アート感覚あふれるアプローチがなされております。

映画ならではの広大な風景、ロケーション。それを絵の額縁のように利用しながら、画面の半分に、クローズアップした人物を配置。これを一つの様式のように多用します。そこに演技は必要ありません。ただ、ただ、一人の俳優の存在感、質感、肉感、そういうモノをキャメラに捉えようとします。それはベヘルーズ・ヴォスギーというイラン人俳優(ちなみに彼も革命後亡命)その人の存在感に監督が惚れ込んでいるからなのでしょう。

この絵作りを見ながら、ノーベル賞作家、ヘミングウェイの晩年の肖像写真を思い出しました。顔の一つ一つのシワ、ザラついた肌の質感。口元から顎をふちどる白い髭。その一本一本がもつ存在感。まるで小説「老人と海」の主人公、ちっぽけな小舟で、巨大なカジキを釣りあげる、あの老人を彷彿とさせるヘミングウェイ。その写真の手法を本作で持ち込んだかのようです。

他にも、監獄の柱に縛り付けられたサヘルのシーン。そこに降り注ぐ大粒の雨。と思ったら、それはなんと小さな亀。亀が雨のように降ってくる。このシーンは何を意味するのだろう? 

地面にひっくり返った亀が映ります。でも、その亀は必死で起き上がろうとする。キャメラはその亀の姿を地面すれすれの目線で捉えます。

また、本作の序盤で登場する、横たわる巨木のシーン。まるで、樹齢千年を超える屋久杉のような巨木が横たわっている。それだけで圧倒的な存在感があります。

そういうロケーションを大切に描く、絵として切り取る感覚は、ギリシャの故アンゲロブロス監督作品に通底するようなところも感じられます。

本作を観て、ふとジュルジュ・ルオーの「避難する人たち」という絵画を思い出しました。

人々はいつも、なんらかの理由で、避難を強いられている。それは決して革命や戦争といったことだけではないでしょう。

弱い人たちは、いつでも避難を強いられる。

その象徴的な例がニッポンの原発事故。それによって否応無く「故郷」を追われた人々。

更には、最近問題になっている貧困の連鎖。それによる子供達の漂流。先進国と呼ばれる日本国内で、実はいま、静かに、世の底辺で「難民」にさせられている人たちがいる。

あの、深夜の商店街を、あてもなくさまよい、その後失われた二人の子供たちの命。

あの監視カメラに映った「ぼやけた子供達の姿」こそが、象徴的な「ニッポンの避難」そして「ニッポンの命の軽さ」そして「命の輪郭がぼやけている」という「風景」ではなかったでしょうか?

ルオーはご承知の通り、20世紀最高の宗教画家と呼ばれています。その骨太の輪郭が形作る、人物像。そこには人間の尊厳を見つめるような、画家の視点があります。僕はそのルオーの筆使いそのものに、どこか「聖なるもの」を感じ、心が静かになるような気がするのです。

本作「サイの季節」をネットで調べると、監督であるバフマン・ゴバディ氏自身も、生まれ故郷イランを去り、現在も国外亡命中であるとのことです。

また、婚約者がイラン政府からスパイ容疑で逮捕され、8年間拘束されていたという情報もあります。

そのような監督自身の境遇を踏まえ、本作の方向性として、イランでの革命の際、実際に起こった、不幸な人間ドラマとして描くのか? それとも現代アート的な表現技法へ軸足を置くのか、はたまた、民衆を決して幸せにしない国家や宗教への痛烈な批判を描くのか?

もちろん、監督自身はこれらを全て融合させ、作品として仕上げようとしていることは疑いようもありません。ただ、そのブレンドのさじ加減については、好き嫌いの分かれるところでしょう。

監督自身が、難民であり、故郷に戻れない境遇で描かれた本作。

バフマン・ゴバディ監督については、抜きん出た映像感覚の持ち主であることはまちがいなく、アート系の映画がお好きな方にはいいかもです。

 

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆

配役 ☆☆☆☆

演出 ☆☆☆

美術 ☆☆☆☆

音楽 ☆☆☆

総合評価 ☆☆☆

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作品データ

監督   バフマン・ゴバディ

主演   ベヘルーズ・ヴォスギー、モニカ・ベルッチ

製作   2012年 イラク、トルコ合作

上映時間 93分

予告編映像はこちら

「サイの季節」予告編


日本のいちばん長い日

日本のいちばん長い日

2015年8月10日 神戸国際松竹 にて鑑賞

始めてしまった戦争は……終われない

 

本作で描かれるのは、太平洋戦争最後の戦時内閣、鈴木首相就任から、終戦の詔書が放送される8月15日まで、を描くものです。もうすでに、勝てる見込みのなくなった戦争を指導していた人物たち、大本営や、内閣、そして天皇の言動に至るまでを克明に描こうとします。ただ、136分の中で、これらを描くには、どうしても駆け足でストーリーを追いかけざるを得ないなぁ~、というのが率直な感想です。

できれば、事前に原作なり、あるいは太平洋戦争のドキュメンタリーなどで、今一度予習していったほうが理解は深まります。

本作でのキーパーソン、鈴木貫太郎首相は、連合艦隊司令長官も務めた、バリバリの海軍軍人出身の政治家です。その後、天皇のお世話をする侍従長を務めます。ところが二・二六事件の夜、自宅に押し入ってきた青年将校たちから、5発の銃弾を撃ち込まれるんですね。このとき奥さんが「お願いですから、トドメは刺さないでください」と懇願します。青年将校たちも「いずれ鈴木は死ぬ。とどめは残酷だから止せ!」

この奥さんのとっさの機転で、鈴木貫太郎は奇跡的に一命を取り留めます。

過激な軍人から命を狙われた、その鈴木貫太郎は、昭和天皇のお気に入りでもあったようです。

終戦間際、実質、戦争を終わらせるための内閣が組まれます。そのとき、わざわざ昭和天皇が指名したのが鈴木貫太郎でした。

鈴木はいったんは丁寧に断ります。

それはそうでしょう。77歳という高齢。おまけに、かつて5発の銃弾を受けた、ボロボロの体です。体力的にも不安がある。そんな鈴木に昭和天皇は「頼むから、どうか、曲げて承知してもらいたい」と言葉をかけました。

昭和天皇、直々の強い要請に、鈴木は覚悟を決めたのでしょう。

軍人出身とはいえ、映画を見る限りでは、鈴木貫太郎は、大本営や、陸軍、海軍、の硬直した思考パターンに辟易していたようです。

あるシーンで彼が受話器を持って放ったセリフ

「軍とはこういうところなのです!!」

彼はいったん軍を離れ侍従長として、外から客観的に軍を見る目を持っていたようです。

映画では、硬直した思考パターンしか持たない、大本営の参謀たちの暴走が描かれてゆきます。

特に陸軍はその歴史に非常な誇りを持っていたようです。

「栄光ある陸軍が行くところ、すべて勝ち戦さである!!」

ほとんど妄想としか言いようのない「陸軍常勝神話」に彼ら自身が自家中毒に陥っていたようです。

ですから、彼らにとって、「無条件降伏」などもってのほか。

大日本帝国の臣民は、皆が天皇の子供達なのですから、天皇のために死んでこそ本望、いざ、本土決戦、一億玉砕ダァァァ~!!とやたらと威勢がいい。

女学生たちが竹槍訓練をする風景も映されますが、まさに精神力があればB29など、恐るるに足らず、竹槍で一撃必殺のかまえです。

ここまでくると、もう、この連中、精神病院へ放り込んだほうがいい、と僕なんかは思ってしまうんですが、実際、戦争終結直前まで、陸軍や大本営はこの調子なんですね。

とくにやっかいなのが、飾緒(しょくちょ)と呼ばれるモールを吊り下げた軍人たち。参謀です。

このひとたち、机の上で戦争をやっているのです。机上の作戦が失敗したと現場から報告が入ると、兵を引くときに「撤退」は軍の名誉に関わるから、「転進」などという、都合のいい言葉を発明したりします。

かつて司馬遼太郎氏は「戦時中、日本国は、日本軍に”占領”されていた」と語りました。本作の原作者、半藤一利氏は、永きにわたって、その司馬遼太郎氏の編集者でありました。そのニュアンスは半藤氏に受け継がれていると思います。

さて、そういったやたらと威勢のいい、血気盛んな陸軍内部。その代表、陸軍大臣として、鈴木内閣に入ったのが阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大将なのですね。彼は表向きは「徹底抗戦派」を装っております。しかし、内実は「日本に勝てる見込みなどない」ということは承知しています。この戦さをいかに「より良い条件で」終戦させるか、軟着陸させるか、それを模索していたようです。彼もまた、一時、侍従武官として、天皇陛下の近くで御仕えしていた時期があります。そのときの侍従長が鈴木貫太郎氏でありました。彼は鈴木氏の人柄に大変尊敬の念を抱いていたようです。ただ、陸軍内部のエネルギーはいつ暴発を起こすかわからない。しかし、天皇を思い、国を思えば、何としてでも軍内部を自分が説き伏せ、鈴木内閣を命がけで支えなければならない。

苦渋の板挟み状態です。

本作において、この実に難しい役どころを、名優、役所広司氏が熱演しております。こんな難しい役どころはおそらく、役所さんでなければ務まらないでしょう。

歴史の歯車は刻々と進みます。

玉音放送は実は事前に録音されたレコード盤であったこと。

それを放送させてなるかと、宮城を占拠した軍部のクーデター事件があったこと。

日本人でも意外に知られていないこれらの事実が、淡々と時系列を追って描かれてゆきます。

最後に昭和天皇を演じた本木雅弘氏が、役の存在感に押しつぶされずに、神々しく演じきったことに感嘆いたしました。

なお参考までに、この戦争末期の天皇や軍部を描いた作品として、イッセー尾形氏が、生き写しのように昭和天皇を演じきった傑作、アレクサンドル・ソクーロフ監督の「太陽」、また、「終戦のエンペラー」もあわせて鑑賞してみてはいかがでしょうか。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)

物語 ☆☆☆

配役 ☆☆☆☆

演出 ☆☆☆

美術 ☆☆☆☆

音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆

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作品データ

監督   原田眞人

主演   役所広司、本木雅弘、松阪桃李、山崎務

製作   2015年 

上映時間 136分

予告編映像はこちら

「日本のいちばん長い日」予告編

 


奥付



2015・9月号映画に宛てたラブレター


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著者 : 天見谷行人
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/mussesow/profile


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