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ぶんぶんごま

 うまくできないと言われても、教えようがないものがあるじゃない。例えば、ぶんぶんごまとかさ。あとは、そうね…、つまりぶんぶんごまの話しだよ。

 うまくできると気持ちいいけど、それ以上にやることがないものあるじゃない。例えば、ぶんぶんごまとかさ。あとは、そうね…、つまりぶんぶんごまの話しだよ。

 俺はおまえの目の前で、紐に通された駒をぶんぶん廻す。

 それ、面白いか?

 やってみろよ。

 おまえは両端の輪に指を通して、そいつを振り回しはじめる。駒はばたばたと暴れながら回転し、俺はおまえの失敗を確信する。そして、両端から紐を引けば、案の定、ばたばた暴れた駒がすぐに回転を止めた。

 意外に難しいじゃねえか。

 何度かやってりゃコツが掴めるさ。

 大したことではなけれど、大したことではないだけに、できないことがやたらと悔しく感じることあるじゃない。例えば、ぶんぶんごまとかさ。あとは、そうね…、つまりぶんぶんごまの話しだよ。

 なんだか突然できるようになっちゃって、なんでこんなことが今までできなかったのか不思議に思うことあるじゃない。例えば、ぶんぶんごまとかさ。あとは、そうね…、つまりぶんぶんごまの話しだよ。

 おまえは俺の目の前で、紐に通された駒をぶんぶん廻す。

 どうだ、面白いか?

 意外に面白いな。

 おまえは両端の輪に指を通して、そいつをぶんぶん回しながら一方の手を持ち上げる。駒はばたばたと暴れながら回転を緩め、俺はおまえの失敗を確信する。そして、上下に紐を引けば、案の定、思惑通りにはいかず、ばたばた暴れた駒が回転を止めた。

 引いて廻す以外に技はないのか?

 引いて廻すだけだ。

 そうか。俺はこいつを引きながら雲丹を思った。

 ウニ?

 ある時、突然、美味いと思えるようになったんだ。

 そうか。じゃ、回転寿司でも行くか。

 いいね。

 いいよな。大人って、いいよな。


集団的だわね

 俺はベッドの中で、湿った身体を巻き付ける彼女の髪を撫でていた。

「明日からホルムズ海峡の機雷掃海だ」

「来月には帰るのよね?」

「そのつもり」

 パスポートだけは、眠る前にもう一度確認したほうがいいだろうか?しかし、気怠い身体を起こすのが億劫でならない。

「キライソーカイって何するの?危なくないの?」

「海底の地雷処理だよ。船で掃海具を引き吊り回して、遠くから爆破させるだけだ。意外と何ともなく終わるんじゃね?」

 作業自体はマニュアル通りにこなせばいい。いつまでたっても英語が身に付かない俺は、その後に繰り広げられるであろうパーティーのほうが、よっぽど億劫だった。

「それにしても、うちの会社って何でもやるわよね」

「コンプラ違反じゃなきゃ、金になりそうなことは何でもやるからな。法律が変われば真っ先に首を突っ込むさ」

「社則は法に触れないように、一回りも二回りも締め付けがきびしいってきくけど?」

「解釈、解釈」

 俺は枕元の灯りを消して、彼女の額に口づける。

「あぁらホントにぃ、現代的だわね♪」

 不意に思い出した歌が口をついた。自分が生まれるよりも前の古くさい歌が好きだ。

「何なのその歌?」

 誰だったけな?

 翌朝、俺は忌々しい目覚まし時計をひっぱたいて、ベッドを抜け出す。そして、彼女が目覚めるより先に家を出た。

 オマーンの海は本当に素晴らしかった。ビーチではしゃぐ歳ではないが、オフの日になれば、海辺を歩いて優雅に泳ぐウミガメを探した。

 

 彼女は枕に肘を付いたまま、俺のスマホを眺めて微笑んだ。爬虫類など興味のない女でも、青い海を優雅に泳ぐウミガメには目を細める。

「無事に帰ってきてよかったわ。ご飯とかも美味しかったの?」

 俺は頭の下に自分の両手を敷いて、天井を眺めている。

「どうも、外国の飯は口に合わない」

「帰ってくるなり大戸屋だったもんね」

 俺は英語が飛び交うパーティー会場で、日本語しか喋れない連中で固まって、黙々と飯を口に運んでいた惨めな時間を思い返し、溜め息をついた。

「そう言えば、なんか手紙が来てたわよ」

 彼女は裸のままで立ち上がり、カウンターキッチンに置かれた封筒を手にとった。俺に差し出されたそれは、真っ白な窓付き封筒から赤い紙が覗いていた。日本の国旗でも象ったような手紙にゾッとした。

 国務大臣は、憲法13条と18条から徴兵制は許容されないとの政府の立場を堅持していた。それでいて、国を守る事を苦役と考えるのは国家の名に値しないと発言し、ナチスを作らないために徴兵制を維持するというドイツの考え方を持ち出した。

「軍隊は軍人である前に市民であらねばならない」

 なるほど。しかし、この国でその例を持ち出す意味は何なのか?

 俺は布団を被ったまま、恐る恐るその手紙に手を伸ばす。

「召集令状だったりして」

 無理に作った笑顔がひきつる。

「赤紙ってやつ?」

 彼女の笑顔もひきつる。

「でも、戦争なんてはじまってないよな?」

「でも、あの同盟国って、戦争中なんて関係なく空爆とかするじゃない」

 俺の頭にまた古臭い歌が流れた。

「あぁらホントにぃ、現代的だわね♪」


嗚呼ベイベ

「私、塩豆大福にだけは裏切られたこと無いわ」

 要するに、俺に裏切られたと言いたいのだろう。おまえは冷たく言い放ちながらも、未だ俺を裏切らない。無理に千切った歪な和菓子を俺に差し出す。

「嗚呼ベイベちゃん、塩豆大福のいいところを三つ上げなさい」

 俺はそいつをかじって一言。

「甘過ぎず、それでいて、程良い塩味が品のいい甘みを引き立てる」

 二口かじって、もう一言。

「餅のモチモチ感の中にエッヂの効いた豆のホクホク感」

 残りを口に放り込んで適度に咀嚼。そして、茶も含まずに一気に飲み下す。

「でも、やっぱり豆大福は喉越しだよな」

「大変よくできました」

 おまえは子供でもみるような目で微笑み、塩豆大福をそっとかじる。

「なかなかてひないはお」

 俺が茶を継ぎ足せば、おまえは湯呑みを唇に当ててZZZ 。

「なかなかできないわよ」

「なにが?」

「塩豆大福のいいところを、いきなり三つも言い当てるなんて」

 言い当てたのか?

「心が豊かなのね」

 俺は嫌な予感がする。

「それなのに」

 案の定、おまえの目には突如として怒りが宿る。

「なんで私を笑い物にした?」

「そんなつもりはない」

「嗚呼ベイベちゃん、ここを見て。傷ついた私の心がここにある」

 おまえは随分と男らしい拳で胸を打つ。そして、俺に問うた。

「一〇〇人の笑顔を見るために、大切な一人を傷つけていいのか?」

「いいわけがない」

「嘘を言うな。一〇〇人の阿呆から賞賛されるためなら大切な一人だって殺せる。それがきっと嗚呼ベイベちゃんの考え方なんだ。それならそうと言ってくれよ。そうでないと何かしっくりこないのよ。ねぇ、本当は誰のことが大事なの?ねぇ、一体何に気を使っているの?」

 おまえは本当に不思議そうな顔で俺を見た。俺は面倒な気分になって黙り込む。怒りが過ぎ去るのを待つ。優しいおまえが良いように解釈しはじめるのを待つ。

「ねぇ、嗚呼ベイベちゃん。私を笑い物にしたかったらそう言って。それがみんなの幸せなんだって」

 俺の胸が高鳴る。

「ねぇ、嗚呼ベイベちゃん。あなたの犯した過ちは、きっと大したことじゃないの。誰でもやりそうなつまらないこと。でも、それじゃ、私が惨めじゃない。あなたと一緒にいる私がつまらないじゃない」

 俺はおまえの手に握られた残り一口の大福を見つめ、最後にもう一口いただきたいものだと思った。


タレを買いに

 女は暑苦しいアパートで頬杖をつきながら撮りためたドラマを眺めている。俺はその姿を横目に、長財布をポケットに押し込んで、本屋に涼みにでも行こうと企む。

「どっか行くの?」

 一緒に行くと言われるのが面倒で、俺は曖昧に首を振る。

「暑いわね。かき氷でも食べたいわ。どっか行くなら、何でもいいから、あれ買ってきてよ」

「あれってなんだ?」

「かき氷にかけるタレよ」

「タレ?ブルーハワイとかのあれか?」

「そうそう。ブルーハワイはやめてね。日焼け止めみたいな味がするから」

「飲んだことないけどな」

 女の眉間に皺が刻まれる。

「暑いんだからつまらないこと言わないで頂戴。言いたいことは分かるでしょう」

 白砂の付着した白い肌から漂う甘い芳香を思う。扇風機がすす黴の胞子を巻き上げるボロアパートで食べたい味ではない。餓鬼の頃なら迷わずメロン味。しかし、いつの間にやらみぞれ味。そいつに小豆が盛られ、抹茶パウダーが振りかけてあれば言うことない。庫内で痩せた氷は、冷凍食品の匂いをたらふく吸い込んでいる。ここは氷も買うべきであろう。

 健康情報誌の「腹割」特集でも立ち読みしようかと考えていたが、理想のかき氷にはたっぷり煉乳までもが盛られている。腹割は来年に持ち越しだ。俺は暑苦しいボロアパートで仁王立ち。鼻息を荒らげて、胞子を巻き上げる。そして、メッシュスニーカーに履き替えて女に告げた。

「最高のタレを買ってくるぞ」

「私のチャリ使う?」

 俺は眉間に皺を寄せて首を振る。どうにも電動自転車というものが性に合わない。漕ぐ気があるなら全力出せよ。ガッチャマンからはじまった俺のチャリンコ人生で、あいつだけは受け入れ難い。

「なんでもいいから早く買ってきね。あ、あと氷も」

 言われなくとも分かっておる。あいつはいちいちこっちのやる気に水を差す。俺は不機嫌に鉄階段を踏み鳴らし、その下で錆にまみれた自転車に鍵を差す。ガチャガチャと何度か力を込めねば開きやしない。

 そうだ。潤滑油が必要だ。

 錆び付いたものたちをピッカピカに磨き上げて、油をささねばなるまい。そして、鈍い金属音とともに鍵が開く。タレを買いに行こうしているスーパーには、日用品も置かれていたはずだ。俺はチャリンコに跨がってペダルを軋ませる。そして、行きはヨイヨイ、坂道をスイスイ下って行った。とはいえ暑い。直射日光にアスファルトの放射熱。まったく暑い。いくら首を振っても逃れきれない灼熱をなんとか振り切らんと、俺はチャリンコを加速させた。

 スーパーに逃げ込み冷風で身体を冷ます。しばらく放心していると、氷旗が吊された商品棚が目に留まった。そこには色とりどりのタレが並んでいる。俺は迷わずみぞれの瓶に手を伸ばした。そして、首を回し、辺りに小豆缶が無いことを確かめて、鼻を鳴らす。まったく詰めが甘いね。小豆色した缶詰めを思い浮かべれば、家にストックがあったような気もする。汁粉が食いたいと思い立った冬の日、買ったはいいが餅がないことに気づいて食わなかったのだ。数日前のことのように覚えているが、季節は一変している。

 不意に不安が過ぎった。冬には汁粉、夏にはかき氷。やるべきことは山ほどあるのに時間だけが流れ去る。俺はみぞれの瓶を右手に握り、二階の日用品売り場へと駆け上がった。そして、左手に呉五五六の二〇パーセント増量缶を握った。

 やると決めた、今、やるのだ。

「あ、袋いいです」

 会計を済ませたタレと潤滑油を両手に店を出た。タレを前籠に置き、早速スプレー缶にノズルを差し込む。そして、鍵穴へシュッと一吹き。するとどうだ。毎度、ガチャガチャとねじ切らんばかりに力を込めていた鍵がスルリと開いた。

「えぇえ!?」

 思わず声が漏れる。大胆に眉が書き込まれたマダムと目が合い、軽く頭を垂れてからチャリンコを発車させた。鍵穴に差しただけの油だが、心なしかペダルも軽い。俺は坂道をギュンギュンと上り、アパートへ戻っていった。

 少し考えれば阿呆でも分かる。ペダルが軽くなるはずがない。俺は疲労の溜まった脚を引きずり、滝のような汗を流しながらでアパートの戸を引いた。ドラマを見終えた女が欠伸をしながらタレを出迎える。すっかり茹で上がった俺を見て目を丸めた。

「暑いのに無駄な苦労が好きね」

「無駄な苦労など好かん。実に有意義な苦労であった」

 俺はタレを差し出しながら、印籠のように呉五五六を掲げる。女はタレを受け取り、阿呆のように口を半開きにした。

「確かになんでもいいって言ったけど、みぞれなの?かき氷って色を楽しむものじゃない?人工着色料を善とする数少ない食べ物じゃない?」

「正月に買った小豆缶があったろう」

「この前、トーストにのせて食べたじゃない。名古屋人に教わったとかなんとか」

 嗚呼。

「ことろで氷はどうしたの?」

「嗚呼っ」

 俺は危うく印籠を落としそうになる。

「なによそれ?」

「呉五五六だ」

「そうみたいね。で、なにするの?」

「そりゃあ、『サビを取り、キシミをおさえ、動きをよくする』のさ」

 俺は缶に書かれたコピーをそのまま読み上げる。女は首を傾げて目を細めた。

「シュッと一吹きで、錆び付いた鍵もシュッコンシュッコン動くようになったぞ。こんなにすぐに効果が実感できるなんてなかなか無いぞ。おいっ、使い古しの歯ブラシを持ってきてくれ。これから俺の自転車を磨き上げる。サビを取り、キシミをおさえ、動きをよくするのさ。氷を買いに行くのはそれからだっ」

 息巻く俺から視線を逸らし、女は手にとったタレに目を落とす。そして、首を倒したまま再び俺を見る。

「それって時間かかる?」

 俺は小さく首を振る。

「じゃ、済んだらメロンシロップも買ってきて頂戴」

 俺は小さく頷く。

「かき氷のタレって基本的にはどれも同じで、香料と染料でイチゴだのメロンだのと言っているらしいぞ」

 無駄な知識を披露すれば、女は更に目を細めた。

「なにそれ、名古屋人に聞いたの?」

 なにより、サビを取り、キシミをおさえ、動きをよくすることが先決だ。

 


「嗚呼、疲れたわね。田舎暮らしして樵にでもなりたいわ」

 俺の失態で頭を下げるために同行してくれた女上司が漏らした。

「きこり?ですか?」

「理想よね」

「樵って」

 俺の頭に浮かんでいるのは、かつてブルボンが販売していた「きこりの切り株」というチョコレート菓子のパッケージに描かれていた、あのラウンド髭のオヤジ。

「なによ」

 俺はスマホを取り出して、国語辞典で調べてみる。

「山林の立ち木を伐 (キ) り倒す職業 (の人)」

「は?」

「樵ですよ」

 女上司は通りにタクシーを見つけると、大きく身を乗り出して手をふった。年の割にスレンダーな体型を保っている。俺はそのピンと伸びた身体に見惚れ、樵の既成概念が吹き飛んだ。

 タクシーが停まると、俺は先に乗り込む。通常は上司を先に押し込むもんだが、以前、先に乗るように促したところ、奥まで乗り込むのが面倒だからと、先に乗るよう命じられたのだ。

「で、なんの人だっけ?」

「はい?」

「樵よ」

「あ、はいはい」俺はスマホを取り出して改めて答える。「山林の立ち木を伐 (キ) り倒す職業 (の人)、です」

「伐り倒すことが仕事なのね。で、売るの?」

「知らないッスけど、間伐のために伐採したりもするんじゃないですかね」

「あんた、詳しいじゃない」

「知らないッスけど、一度ニンゲンの手が加わった人工林って、世話し続けないと痩せてっちゃうらいしですからね」

「詳しいじゃない。あんた、樵になれば?」

「クビですか?」

 女上司は顔をクシャクシャにして笑い、「そんなことはない」と、皺だらけの顔の前で手のひらを振った。

「でも、田舎暮らしって憧れますよね。樵かぁ」

「バーニーズ・マウンテン・ドッグを二匹くらい飼ってね」

「バーニーズ?」

「大きな犬よ。毛がフサフサのね」

 俺は毛がフサフサの大型犬を連れて斧を担ぐ女上司を想像する。そして、苦笑いを浮かべながらある疑問にぶち当たった。

「斧ってどこで買えるんでしょう?」

「さぁ、ハンズじゃ見ないわね」

「ジョイフル本田とか?」

「あんた茨城?」

「千葉です」

 やがて、タクシーは駅のロータリーに到着した。女上司はカードを差し出し、「お世話さま」と営業スマイルを浮かべた。

 タクシーを降ると、俺は女上司と二人きりで多少緊張していたことに気づく。凝り固まった身体を伸ばし、嗚呼と溜め息をもらした。

「あんたとこんなに樵の話をするとは思わなかったわ」

「俺もです」

「なんだかスッキリしちゃった」と少女のような笑みを浮かべた。

「またなんかあったら、今度は海人の話でもしましょう」

「あんたがトラブルおこしたんでしょう」女上司の眉間に皺が寄る。

「そうでした」と頭を下げれば、「気をつけなさいよ」と言い残して、俺に背を向けて歩きだした。

「お疲れさまでした」俺はもう一度、深々と頭を下げた。

 

 そんな女上司が会社を辞めることになった。俺はすぐにあの日のことを思い返す。しかし、おそらく競合会社でいいポジションの話でもあったのだろう。 

 小さな営業所だ。送別会の席では、最後の有り難い御言葉を頂戴する前に、一人ずつ感謝の言葉を述べることになる。俺はその際に樵になるのか聞いてみたいとも思うのだが、おそらく無難な謝辞に終わるだろう。



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