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序章

 

 

 見ただけで、思わず歌い出したくなるような大きな古い時計だ。

 そして、お約束通りに、その時は止まっている。

 振り子の収まるその扉も、鍵がかかって開かない。

 文字盤の蓋も同様だ。

 まずは、この鍵を見つける努力から始めよう。

 わたしは、取り敢えず、そばにあった壷の中をのぞいた。

 

 

 

 わたし、万葉千都世<よろずは ちとせ>のもとへ、非日常からの使者がやってきた時、驚きはしたが、それよりも感心した方が大きかったと思う。

 家族でもいれば別なのだろうが、独身であるし、敢えて、それを変えようとする意志もないので、漫然とした日々を愛でて暮らしていれば、死ぬまでそうそう変わることもないだろうと、内心、諦観に近く思っていた。

 わたしは、誰もが認めるものぐさであり、ぼっち礼賛者である。

 個人的には、『事なかれ主義』に端を発する結果ではあるが、世間的には、独身主義者という方が聞こえはいいだろう。

 だから、その非日常が、弁護士という名の代理人によって提示された時、思わず、感心してしまったわけだ。

 人生って、どうしたって他人からの影響は逃れられないんだなあ――と。

 それにしても、三十年生きてきてそれなりにいろいろありはしたが、こういうパターンは初めてだ。

 とても無難な人生を送っているんだろうと想像がつくような、後頭部を薄くした弁護士の顔をしげしげと眺めながら思った。

 その弁護士曰く、別の弁護士の代理人として雇われて、わたしに会いにきたそうだ。

 なんでもわたしの母方の大叔母というのがいて、最近、その方が亡くなって、わたしにも遺産の一部を、条件付きで相続する権利が与えられるらしい。

 大叔母がいたなんて、はじめて知った。

 だが、向こうも死ぬ間際までわたしの存在を知らなかったそうなので、お相子だろう。

「あれ、でも、他にもご家族がいらっしゃるでしょう。それに、わたしよりもっと近い親戚もいらっしゃると思うんですが。母との関係で、わたしは縁切り状態だと思いますし」

「遺書にしたがって、ご家族やご親族にはすでに相応の財産が分配されておりますし、他、すべてに関しても遺書に従っています。お母様の事情は、あなたには関係ないこととされています」

 


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「あとから不当だって訴えられたりしませんか? 裁判になったりしたら嫌というか、非常に困るんですが」

「その問題はなく、法的手続きについても、心配はありません。万葉さんに別荘及び周辺の土地を相続する権利が与えられることについては、遺族の方々からも承認を得ています」

「別荘ですか……不動産かあ……」

 喜ぶより先に、金計算の方へ頭が行ってしまい、変な声が出た。

 相続税に固定資産税とか、維持費だってかかるだろうし、自慢ではないが、そんなものを払っていける甲斐性はない。

 自分だけの城が持てるというのは理想だが、それでもただというわけにはいかない。

 弁護士は、わたしのそんな考えを見越したように言った。

「尚、相続をされた場合、相続税については、故人の遺産より支払う用意があります。また、固定資産税に関しても、故人の信託基金より毎年支払われることが約束されております」

 それだけ甲斐性なしってことがわかっていたってことか……いや、怒らないよ? 本当のことだし。逆に有り難い。

 しかし、そんなうまい話が、世の中に転がっているとも思えず、素直に受け取れないのも確か。

「こちらで用立てする必要はないってことですか?」

「故人の本来の目的は、別荘を現状のまま保存していくことにあります。すでにその為に必要な信託基金も設立されており、修繕等も、そちらから支払われることになります。万葉さんには、管理人として、月々のお手当も支払われます。ただし、これらが支払われる第一条件として、その別荘に移り住んでいただくことになります」

「ああ、人が住んでいないと傷むから」

 それにしても、良い話過ぎる。

 ただ住むだけで、月々お金がはいってくるなんて美味い話、手放しで喜べない。

  きっと、なにか裏があるはずだ。

「ただし、相続されなかった場合、または、相続されたとしても、実質的に管理がなされていないと判断された場合は、これら金銭の支払いはなされず、そのまま退去していただくことになります」

「つまり、その別荘で暮らさなければ、手当もなにもなし。ゼロということですか」

「そうです。二つ目の条件として、正式な相続者として契約された後、最低でも八年間は現状維持が求められております。その間、登記簿の名義変更はされず、万葉さんは、管理人という扱いになります。ですから、その間は別荘の売却および譲渡、担保にすることはできませんし、また、修繕目的以外の改築増築などの手を入れることは、一切、禁じられます。もし、これに違反すれば、故人の意志に反したとみなし、即刻退去を求められます」

 


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「ええと、まとめると、別荘の相続をしても契約手続きのみで、法的に所有権が認められたわけではない。八年間はわたしは管理人という立場で常駐することになるが、その間は、給料の支払いと支援が約束される。ただし、家を個人の勝手にすることは、一切まかりならならないし、金銭だけの要求も認めない。もし、これに違反した場合は、相続はなかったものにされて放り出されると。そして、八年経ったら正式な所有者として法的手続きが行われる、ということでいいですか?」

 そういえば、登記簿の名義変更の期間に制限はなかったっけね。

「そういうことになります」

 弁護士は、無表情にうなずいた。

「条件さえクリアーできれば、八年後には、邸をわたしの好きにしてもいいってことですか」

「法律上はそういうことになります。が、故人の遺志は別荘の現状維持にありますので。先方も邸の保護のための財団法人を設立しておられていますので、そちらとの兼ね合いが必要になります」

「へぇ、わざわざ財団法人を!」

 つまり、現状維持の意志をもたないことには、所有権があったとしても、裁判でもなんでもやって、強制退去の可能性は充分ってことか。

 多分、それだけの余裕と用意があるってことだろう。

 その中で、どうにか掠め取ろうと思っていても、八年間も猫を被り続けるのも無理だろうし、民事訴訟になっても和解にもちこまれて、多少の金は払われたとしても、家は取り上げられるってことになるんだろうなあ……。

 それにしても、大した念の入れようだ。

「文化財的な価値があるとか?」

 相続した途端、なんとか文化遺産に登録されて没収されるとかは?

「その辺は、私も知らされておりませんが、築百三十年とうかがっています」

「百三十年……」

 戦前どころか、明治時代の建物か。保護するには充分な理由になるだろうけれど、建造物としては微妙な築年数だ。耐震が心配される。

 それよりも、空襲の被害を受けなかった地域ってことか……京都奈良でなければ、近くに軍の基地や倉庫も作られなかったど田舎ってことだ。

 弁護士は言った。

「話は前後しますが、別荘の相続権を得るためには、まず、その別荘にて、十日間お一人で過ごしていただく必要があります。これは、万葉さんが、別荘を管理する方としてふさわしい方かどうかを判定するために設けられた期間になります」

「それに落ちれば、相続権もなくなるってわけですか」

「そういうことになります。あくまでも、別荘の維持管理が目的ですので、信用出来ない方にはお渡しできないとおっしゃられています」

「面倒くさっ!」

 失礼ではあるが、思わずそう呟いてしまったわたしは、悪くないだろう。

 


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 幸いなことに、咎められることもなく、苦笑いで流してくれた……いい人だ。

「その試験日というのは、いつからですか」

「それは、万葉さんのご都合に合わせて行うそうです。ただし、法的な手続きの関係上、二ヶ月以内には行われていなければなりません。お返事がなくとも、この期限を越えれば、相続放棄とみなし手続きを行わさせていただきます」

「試験って、どういった内容なんでしょうか」

「生憎、わたしは存じ上げませんが、現地にて説明があるそうです」

 ううん、どうすっかなぁ。今は派遣の契約も切れて、暇と言えば暇だ。

 他に予定もないし、リスクもない。リスクはないが……?

「例えば、逆に、試験を受けた上で、わたしの方で管理は無理と判断した場合、辞退は可能でしょうか?」

「その場合は……どうだったかな……」

 初めて弁護士が言い淀み、手持ちの書類を確認した、

「ああ、はい、問題はありませんが、いちど辞退をされたのち気が変わったとしても、権利の復活はできませんので、その点はご了承下さい」

 ふむ。じゃあ、面倒くさいことは別にして、十日間遊びに行くつもりでもかまわないってことか。それも悪くない。

 どうせ、次のバイト先を探さなきゃいけない身だから、暇はある。

 わたしはものぐさだが、それ以上に面白そうなことには貪欲である。

 そこまでして、維持したがる別荘とはどういうところなのか?

 裏があるにしても、一体、どんな裏なのか?

 この上なく、好奇心が刺激された。

「別荘ってどこにあるんですか?」

 

 そんな経緯で、わたしは契約書と誓約書にもサインをし、他に何度か連絡を取って、十日間のリゾート気分で件の別荘を訪れた。

 で、実際に建物を見て、感想を一言。

 

 

 すごぉーいっ!!

 

 

 

  


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一日目

 

 大叔母の別荘は人里離れた山の中にある、石造りのでっかい洋館だった。

 事前に住所を教えても貰えなかったそこは、家まで車の迎えに来た車に乗り、高速道路を使って、途中休憩もいれて、延々四時間以上かかる場所だった。

 近くには、店どころか、人もおらず、なにもない。生い茂る草木ばかり。

 運転手の説明によれば、丸っと山ひとつが私有地で、最も近い人里まで車でも三十分はかかるという。

 ミステリー小説の、連続殺人事件の舞台にもなりそうなお邸だ。

 ひなびた和風木造平屋建てを想像していたから、意外すぎた。

「昔のこととは言え、こんな辺鄙な場所にこんなお邸、よく建てましたね」 

 運転手さんに言ったのだが、返事はなかった。

 途中も最低限の会話しかなく、単に寡黙なのか、口止めをされているのかは、判断がつかなかった。

 気にせず観音開きの大きな玄関扉から中へ入って、わたしは、また、大口をあけた。

 うわあ……ぐるんぐるんだ!

 外観のクラシックな印象から、相応に重厚感ある木調の内装を想像していたのだが、予想に反して、艶やかな白い御影石を基調にした優美な曲線を描くアールヌーボーの様式だ。

 まず、眼に入るのは、吹き抜けのホール真正面の大きな階段。

 中央、天井から床まである九枚張りの大きな窓を背景にして、向かって右方向へと大きな弧を描く階段から中央の広い踊り場を経由し、そこから建物二階の左右へとわかれてあがる階段が連なっている。

 階段手すりは磨かれた木製ではあるが、白と金の組み合わせの支柱には、蔦の意匠が絡みついている。

 ほかにも、左右玄関と、扉の上にある小洒落た彫刻飾りや柱もすべて白く、アクセントに金を使っている。

 正面の窓からは、窓枠に区切られた向こうにコニファーを中心とした庭が広がって見える。

 その向こうは広葉樹の森。

 今の季節は緑ばかりだが、秋になれば、さぞかし紅葉も美しかろうと期待させる。

 遠くに立ち並ぶ高圧電流用鉄塔が興ざめではあるが、ゴージャスなシャンデリアに目がいって、あまり気づかないかもしれない。

 まるで、お伽話に出てくるお城の挿絵のようだ。

 もしくは、結婚式場のチャペルを思い起こさせる。

「お荷物は以上でよろしかったでしょうか」

 敷居の向こうから、運転手に問われた。

「あ、はい。ありがとうございます」

「では、これで失礼を致します。十日後にまたお迎えにあがります」



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