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第一話

 人間はいつだってお金に困っている。
 と、言うのは「金融会社スチャラカぱらだいす」にて、人事を行っている雪嶋雪人(ユキシマユキト)の率直な感想だった。
 働いていてもう百年になるが、何処の国の何処の支店にいても、お金を借りに来る人間と言うのは後を絶たない。
 お金と言うものはそんなに魅力的なのか。
 彼はふと考えて、物々交換が盛んではなくなって久しくなった人間社会ではやはり、必要なものなのだろうと納得していた。
 さて、お気付きかも知れないが、雪人は「百年も」、勤労しているので、人間としての寿命は現時点で既に終わっていてもおかしくはない。
 しかし、彼の見た目は二十代後半の青年期のもの。決して若作りしているわけではなく、彼の成長はそこで止まっているのだ。
 結論から言うと、人間に時々白い目を向けてしまう雪人は人間ではない。
 一言で言うと、魔物。更に付け加えると、雪などの冬に因んだ「雪男」なのである。厳密に言えば、彼は「冬の王」というかなり畏まった地位にいるのだが、「お雪!お前、この件におうめを行かせるなって言っておいただろうがっ!」
「ご、御免なさいっ!ひ、ひひ人手が足りなかったんです!」
 他の社員に己の領分である人事について文句を言われて、怯えながら両手を合わせ、椅子に正座してペコペコと謝ってしまうくらい気が弱い性分だった。
「おうめが無事に帰ってこなかったら、お前、溶かすからな」
「ひぃぃぃいいいい!そ、それだけはご勘弁を!」
 おうめ、こと近江近衛(オウミコノエ)を心底心配し、雪人を脅しているのは遠藤円(エンドウマドカ)という社員なのだが、彼もまた、人間ではなく魔物だった。彼は太古の人間と魔力を持った狼の異種カップルから生まれた人狼の末裔である。
 因みに近江は吸血鬼だったりする。
「まあまあ、エンちゃん。お雪が溶けたら今年は雪が降らないかも知れないから。智が雪を見たそうにしてたからそれ、困るから」
 社員の命より恋人の期待を裏切らせないために遠藤を制するのは、社長の神坂築(カミサカキズク)。彼は死神で、一応「神」がついているが、死に対して触れ過ぎている一族だからか、神々には嫌われているので魔物と言う分類にされている。
 遠藤が雪人を睨みつけながら客用の椅子に腰を下ろすと、受付にいた蘭林香(ランバヤシカオリ)がそつなくお茶を出した。
 社員用の徳用を煎れるあたりは出来た受付だが、隙を見ては遠藤や他の男性社員を誘惑しようと流し目を送るあたりは、流石に性に奔放な蝶の魔物というところだろうか。
「遅くなりました!」
「いらっしゃい、智」
 雪人が未だにビクビクしていると、勢いよく自動ドアが開いて、ラフな格好をした少年が入ってきた。
 顔が史上最強に童顔で、そのうえ背も平均以下なのでともすれば中学生に見られるくらいだが、慌てて席につく鷺沼智(サギヌマサトル)は現在立派に有名大学に通っている大学生。
「可愛い智は焦っていても可愛いね。また惚れ直すよ」
「……あほが」
 神坂がうっとり呟いたのに反応して頬を染めた智の担当は経理。彼は高校生の時に「黒い名刺」を拾ってしまったのが縁でこの会社のアルバイトになり、紆余曲折を経て神坂の恋人になってしまった、かなり可哀想な、この会社では唯一の人間だった。
 神坂と智の馴れ初めは後々語るとして、今回の主人公である雪人は未だ震えている指でパソコンを操作して、一週間先の人事を組んでいた。
「社長、御厨さんが未だ九州から帰ってきてないので明日は無理ですよね」
 最年長の御厨剣(ミクリヤツルギ)が、「俺に任せておけ」
 大見得を切って不良債務者に独りで立ち向かっていって既に三日。連絡がつかないのはいつものことと思ってあきらめているが、今後の予定のことを考えると頭が痛い問題だった。
 雪人が問いかけると、神坂はん~っと背の筋肉を解しているようにしながら「みくりんなら当分帰ってこないんじゃないかな。俺がついでにあっちの方も頼んじゃったから長引いてるみたい」
「………何体分ですか」
「確か十体かな」
 多分、それだけではない気がする。雪人は溜息をついて御厨を取り立てのローテーションから外した。
 金融会社を営んではいるが、本業は金貸しではない。魔物に大変重宝されていて、人間には出来ない仕事を本業としている。
 だからと言って桃色系の「そっち系」ではなく、むしろ赤信号的な「そっち系」。命にかかわるものだ。
 魔物の世界にいる間は、魔物の命にはほぼ限りがない。しかし、人間の世界では勝手が違う。不用意に死ぬことがあるし、パーツを失うこともある。
 スチャラカでは、魔物が失った「人間としての命やパーツ」を生前に積まれた金と言う「保険」に似合った分だけ復元させることを本業としている。
 保険会社の凄い版ですね、と智は凄まじく適応能力のある括り方をしていた。雪人が思うに、こういう智だからこそ、神坂は彼を男性にも拘らず半ば強制的に恋人にしたのだ。見た目こそ侮ってしまうくらい童顔で可愛らしい智だが、普通の人間にはないものがたくさんあった。
「みくりんが駄目だからっておうめと俺に回すなよ。明日は絶対に有給だからな」
「……う。他の人も帰ってこられるかどうか。だ、駄目ですかっ?」
「駄目に決まってるだろ!何か月前から申請してたと思ってるんだ!明日は向こうに帰って付き合って五十年目の記念デートをするつもりなんだからな!」
「解りました……」
 近江と遠藤は生まれた時から御家の都合とやらで一緒にいる間柄で、それが縁で付き合っている。
 魔物でも気位が高い吸血鬼の一族で近江は特別な立場で、魔物の中ではあまり歓迎されていない獣の血が入っている遠藤とは付き合うにあたってはいろいろあったらしい。
「最近さ、あいつ、自分にも子供が出来たらきっと俺に似た可愛い子供を産めるのにってベッドの中で可愛いこと言って困らせてくるんだ。困ること言うのに可愛いっつうのは最強だよな」
「・・・・・・」
「智、男同士で子供が産めるならどんな子供がいいかな」
「あんたは実体化させそうで怖い」
「社長、そういう案は言わなくていいですよ。あいつがやってくれって言ったら、俺はノーとは言えないし。かと言って、あいつが俺に似た子供を構って俺のこと構ってくれないとすっげえムカつくし!」
「・・・・・・」
 白昼の社内でする会話ではない。
 雪人は更に溜息をついてお茶を飲んだ。人間にとっては十分なくらい冷めているが、彼には少し熱い。
「あ、そうだ。お雪」
「はい?」
 智の安全のためにと勉強し出して、遂に趣味になってしまったらしいBLのドラマCDを聴きながら神坂は、「明日はここにお客さんが来るから、お前は自腹でお茶とお茶請けを買っておけ」
 平然と経費では落ちない宣言をした。
「どうして自腹なんですか」
「お前が一番被害を出しているからだ。これについては全社員で見解が一致している。無駄金を出すと智が文句を言って相手をしてくれなくなるから、俺としてはお前を容赦なく切り捨てることにした」
「被害?」
 社の無駄を智が嫌うのは解るし、神坂が恋人至上主義で社員を切り捨てるのはいつものことだ。
 雪人も気にしていないが、自分が一番被害を出すとは一体何なのだろうか。
 小首を傾げても思い当る節がない。
「社長、僕はあれは雪嶋さんのせいじゃないと思うんですけど」
「智。時には現実を見ろと厳しく言わないといけない。魔物でも人間社会に生きる社会人として、無自覚でいいことと悪いことがある」
 もっともらしいことを言った神坂はヘッドホンのコンセントを外して音量を上げた。
【あんっ、いいっ!もっと、もっと奥を突いて!あなたのその立派な×××で!】
「キャアああああ!」
 智がペンを神坂の顔面に投げつけ、雪人はおよそ男性らしからぬ女子力のある悲鳴をあげた。
 その瞬間、雪人の周りに突如氷の膜が現れ、更に室内を氷で覆っていった。あっという間に電化製品がぶっ壊れる。
「明日来るのは修理業者だ。このあたりの担当者が代わるらしい。つまり、そういうことだ」
 この会社の電化製品はほぼ防水だが、凍ってしまっては意味がない。毎回買い替えるのでお茶やお茶請けくらいは省きたいと。
 智がくしゃみをしたのを見て、神坂は苦い顔をして彼にコートを着せる。因みに真夏だ。
 雪人は恥ずかしそうに氷の中で縮こまった。


第二話

 人間の世界は年々、温暖化と言うのは間違ってはいない。初めて来た時、雪人は自分の総べる世界とあまり変わらない寒さだったのをふと思い出した。
「今日は何度あるんだろう……」
 滲み出る汗でべたつく前髪を掻き上げながら、帰路を急ぐ。
 以前担当だった修理屋は老年の人で、そういえば定年だと言っていた。定年者が後を譲るのだから今度来るのはきっと若い人だろう。
 狙いを立てた雪人は若い人が好みそうな、この時期におススメだというマンゴーフレーバーの烏龍茶とクッキーを買った。
「うう、暑い……っ」
 身体は人間として生きられるようになっているとはいえ、元が雪国で生きている身だけあって暑さには弱い。
 多少ふらつきながら歩いていると、後ろに気配を感じた。
「あの、済みません」
 侍ではないが、商売柄それなりに心得ている雪人は心持ち緊張したが、「この辺の方ですか?道を訊いてもいいでしょうか」
 スーツ姿の男性の声は本当に困っているようで、申し訳ないが雪人は安心した。
「僕で解る範囲ならいいんですけど」
「この近くで間違いないと思うんですが、金融会社スチャラカぱらだいすって言う会社なんですけど」
「……うちに御用ですか」
「え、社員の方ですか?」
 メモ用紙を見ていた男性が雪人をじっと見詰めた。
 雪人はその瞳があまりにも黒くて奥が深くて、そして綺麗な色をしているので何となく落ち着かない気分になった。
「あの……?」
「あ、はい、そうです!僕、スチャラカぱらだいすに勤めてます」
 何の御用ですか、と訊ねるのは野暮だ。
 しかし、と雪人は不思議に思った。
 スチャラカは魔力によって必要性を感じないものにとっては見つかりにくい仕組みになっているが、肩を並べる男性は客らしいのに行き方が解らないと言う。
 逞しい体躯をしているが、もしや殴り込みとかの類で、下見に来ているのではないか。
 会社に近付くにつれて不安が募ったが「俺、男の人で美人だなって思ったの初めてですよ」
 照れたように笑う男性の顔に邪悪なものを感じることはなく、雪人はまたも彼のような人間がどうして自分の会社を探しているのかが気になった。
 そうこうしているうちに会社が見える位置に来たが、そこで神坂が待っていることに気付いて声をあげる。
「あ、しゃちょ……」
「お雪!外出中は連絡がつくようにしておけって言っただろう」
「は、はい。済みません。スマホ、苦手で触りたくなくて……」
「だからって、……あ、お客さんと一緒だったんだな」
「え……?」
 傍らにいた男性を見上げると、「こんにちは。神坂社長ですね。この地区を担当することになりました、修理屋の手代木篤志(テシロギアツシ)です。宜しくお願いします」
 男性、手代木が元気よく挨拶をするので雪人は驚いた。
「こんなところで立ち話もなんですから、中に入ってください。職業柄、関係のない方が入るのは外聞はよくありませんが、まあ誰も気付きませんから」
 朗らかに話す神坂は雪人に早くお茶の準備をするように促す。慌てた雪人は走り出しそうになって何もないところで突っかかり、つんのめってしまう。
「大丈夫ですか?」
「は、はい」
 手代木が横から手を出して雪人を支えてくれなければ、クッキーが粉に戻ってしまうところだった。
 ホッとしたのもつかの間、触れている部分に何となく熱を感じて雪人は俄かに恥ずかしくなってしまった。
 彼は恥ずかしくなると魔力の制御が出来なくなって暴走させる癖がある。思わず顔を押さえてしまっていると、「こら、馬鹿者。自制せい」
 神坂にチョップを食らって痛みで我を取り戻した。
「さっさと行け」
「す、済みません。手代木さんも、有難う御座います……」
 額を擦りながら準備をしていると、「社長にもうちょっと手加減するように言いますね」
 今日は来るのが早かった智が苦笑してお湯をティーポットに入れた。雪人は熱湯がかかるのを嫌って智に任せっきりになってしまう。
「おい、俺の智が火傷したらどうする。白い肌に変な傷が出来たらお前を溶かす」
「す、済みません」
「僕はあんたの所有物じゃないし、物騒なこと言わないでくださいよ」
 神坂は笑いながら言う時が一番怖い。本気だ。熱いと思いながらもお茶を煎れるのを代わった雪人は一応と電化製品をチェックする手代木を遠めで見詰めていた。
 手代木の隣にいる神坂も長身だが、彼も負けないくらいの長身だった。そして何より、人間でここまで整った容姿をしているのを雪人は見たことがなかった。
 スチャラカは智以外が魔物である。人間は外見に判断されやすい、と言うので雪人を含めた社員はかなりの美形だった。雪人や近江などの元々人型で過ごせる魔物はそのままの容姿で美形なのだが、化ける必要があるものは美形に化けさせる。これは社員を選考した神坂の趣味も多分に含まれていて、人間が営む同業からはホストやホステスのクラブ扱いされたこともあるくらいだ。
「皆さん、物凄い美形ですね」
 今いる社員が手代木に挨拶を終えると、彼はお茶を飲んで感嘆の溜息をついた。
「なんか、人間とは思えないくらい整ってて、この場にいるのが恥ずかしいくらいです」
「あー、僕もたまにそれは思いますね」
 人間の智が苦笑する。
「そうですか?智が可愛いのは当然として、手代木くんはモテるでしょ」
「いえ、俺なんて!……顔つきは派手だって言われるんですけど、みんなお友達止まりなんですよ」
 気恥ずかしそうに頬を掻く手代木に微笑ましいものを感じた雪人だったが、ちらっと目線を移して怖いものを感じた。
「じゃあ、うちのランランなんかどうです?未だ二十四歳のぴちぴちですよ」
 神坂が面白がるように蘭林を指し示す。
「あら、シャチョからご指名があったんならクッチャッテいいってことですかあ?」
「ランランさん、それはちょっと……」
「もー、智ちゃんにはシャチョがいるでしょ、オネイサンの邪魔しないでー」
 智が制止に入るが、雪人の危ぶんでいた通り、蘭林が目を輝かせて受付の囲いからひょいっと足を延ばした。そのスラリとした脚線美に引っかからない人間はいないとばかりに。
 手代木もあまりの大胆さと妖艶さに頬を染めたが「蘭林さん、ですよね。女性は自分から足を出してはいけないです」
 ハッキリと言ったので、一同目を丸くした。
「蘭林さんは妖艶美女って感じで凄くいいと思います。でも楚々とした雰囲気を持ったら向かうところ敵なしって感じになると思いますよ」
「はあ……」
 更なる追撃。これには蘭林も呆気にとられて間抜けに頷いただけだった。
 男でも女でも振り向かせることが容易く出来る蘭林の魅力を持って、今までにこの事態はなかったので雪人も呆然としたが、「雪嶋さん、このお茶美味しいですね」
 手代木は気にした風でもなくお茶を飲んで雪人に微笑みかけた。
「前任者から聴いてるんですけど、ここの会社は国産で、しかも物凄く高い防水電化製品を使っていただいていて、うちとしても修理のし甲斐があるんですが」
 遂に本題が来たかと雪人は頬を引きつらせた。
「ただ、何故か氷結して故障するという事例が多いそうなんですけど。今見せてもらっただけでも軽い氷結の跡が見られているので、……まさか水でもばらまいてるんですか?」
「はは。まさか……」
 実は自分が凍らせているとは言えず、雪人は申し訳なさで目を伏せた。
 それが、魔性を帯びているかのようにとてつもなく美しく見えることに気付いたのはその場の人間のみ。と言っても二人だが。
「智、なに赤くなってるの。浮気は許さないよ」
「あほか!誰が浮気なんて」
「じゃあいいけど。……今ので完全に堕ちたな」
「は?」
「面白くなるぞ、これは」
 ニヤニヤし出した神坂の視線の先には、魅せられたように雪人に釘付けになっている手代木の姿があった。


第三話

「……これは、氷が基盤まで入っちゃってますね。でもどうしたらこんなところまで水が入るんだろう。そもそも凍ってるってなんでだろうな」
「済みません済みません、済みません」
「どうして雪嶋さんが謝るんですか?」
「済みません」
 ひたすら頭を下げる雪人に、手代木が苦笑する。
 先ほど連絡を入れて直ぐに来てくれた手代木は早速動かなくなった電化製品の裏蓋を開けて言ったのが今のことになる。
 実は近江と遠藤のキスシーンを見てしまい、恥ずかしくなって魔力を暴走させて電化製品を氷結させたとは、言えない。
 しかもキスシーンと言ってもただ頬に唇をくっつける外国で言えば単なる挨拶程度のものだった。自身も外国での生活経験がある癖に長く日本にいるからか、すっかり日本ナイズされてしまいそういう光景だけでも雪人にとっては恥ずかしく見えてしまう。
「あの、クーラーも壊れてしまっていて。暑いですよね。冷たい飲み物持ってきます」
「済みません。有難う御座います」
 手代木は修理できるものと買い替えが必要なものをリストに書き上げて簡単な書類を作っている。
「今日は皆さんいないんですね」
「あ、そうなんですよ。みんな仕事で」
 智は大学、他の社員は取り立て。社長の神坂は本業で魔物の世界まで行っているし、蘭林に至っては昨日引っ掻けた男といるから今日は出社しないと言う。
「失礼かも知れませんけど、金融会社さんで独りきりの留守番って怖くないですか」
 手代木が心配そうに言うので、雪人は優しい人だなあと感心してしまった。
「怖くないって言ったら嘘になりますけど、僕でも処理できますから大丈夫ですよ」
 この会社は何度となく殴り込みや強盗などの犯罪者が入ってきたことがある。しかし一度も命はおろか金品、備品すら盗られたことはない。もちろん怪我人もいない。
 何せ、やってくる犯罪者がどんなに凶悪だろうと人間に過ぎないからだ。魔物が本性である社員がかかれば赤子の手をひねるよりも簡単に危機は去る。
 しかし智を雇った当初、彼がいる時に強盗が入った時にはえらい惨事が起きた。と言っても社員側ではなく、本来は加害者になるだろう人間側に。智の貞操の危機だと勘違いしてブチ切れした神坂がとんでもないことをしたのだ。
 そのことを思い出してふと唇に笑みを載せた雪人を見て、「雪嶋さんって案外強い人なんですか?」
 手代木が好奇心を覗かせてくる。
「いえ、僕はご覧の通り非力ですよ」
 長袖でも解るくらいの細い腕を少し恥ずかしそうに雪人が示すと、手代木がどれどれを優しく掴んだ。
「おー、細いですね。女の人って程ではないけど」
「でしょ。手代木さんはしっかりしていて羨ましいくらいです。何かスポーツをやっていたんですか?」
「大学でテニスをしていたんです。サークル程度だったんですけど、割としっかり扱かれました」
「僕は運動は全然出来なくて。夏は外に出るのも嫌なんですよ」
 外見通りだろうと雪人は苦笑する。
 手代木みたいな恵まれた体躯の男性はさほどいないと思うが、それにしても普通の成人男性にしては雪人は痩身で色も白い。しかしそれが変に気持ち悪く見えたりしないのは、雪人の容姿が日本人と言うよりは欧州人のようにやや彫りが深い顔立ちをしているのと、雰囲気が清廉だからだった。
「日本の夏は暑いから仕方がないですよ。雪嶋さんは外国の方なんですよね」
 さらっとそう訊かれるのも初めてではないので雪人は頷いた。元より雪人は灰色に近い銀髪と寒い日の空のような蒼い瞳をしているのでどんなに頑張ろうとも日本人には見えない。
「名前は日本人なんですけど寒い国の出身なんです。この国より、ずっと寒い」
 雪人の国には日本のような四季はない。天気はあるのだが、大抵雪が降っている。国の天気は雪人の心と直結していて、雪が降っている時が通常営業なのだ。
「寒い国ですか。俺は北海道出身なんで寒さには強いんですよ」
 書類に目を通して社長席に置いた雪人は手代木の労にお茶で持て成した。
「雪嶋さんは雪人さんって言うんですよね。なんか正に雪って感じですね」
「ですね。社長は狙ってますから」
「神坂社長がどうかしたんですか」
「え、あ……いや、社長と同じことを言っているなって」
 社員たちの名前とあだ名は神坂が決めている。苗字名前ともに改名できるわけではあるまいし、雪人は誤魔化しを打った。
「初めてここの社員の方を見た時は本当にビックリしました。みんな美男美女で」
 手代木も深くは追及せずに話を切り返す。
「でも、これだけ美形が揃ってると色んな意味で有名な店になりそうですけど、人だかりとか出来ないものなんですね」
「金融会社ってみんなこんな感じですよ」
「そうですか。うちのお得意先にも美形揃えましたって言う感じのちょっとアレな職業のお店があるんですけど、そこは迷惑って言うくらい人だかりが出来てますよ」
 幸寿地区は、いわゆる歓楽街になっている。スチャラカは中心地からは離れているがやや特殊な職業の店も近くにはある。顔で売る店も確かに存在しているのだろう。
「でも、俺が見た中では雪嶋さんが一番だな」
「なにがですか?」
「雪嶋さんが一番美人だと思います」
「・・・・・・」
「あ、別に女っぽいとかそういう意味じゃなくて、純粋に美しい人だなって。美しいって一言で言っちゃうとそれまでなんですけど、なんか幻想的な感じがして。色が白いせいか、人形みたいにさめざめするような、美貌?って言うか。上手く言えないけど、雪嶋さんを見ていると、素直に美しいってこういうことだなっていつまでも見ていたいなって思えてきて」
 焦っている手代木を見て、雪人は何だか変だなあと思った。
 何処の国にいても、自分の国にいてさえ雪人は外見で賞賛を受ける。人間から見ても、魔物から見ても彼の容姿は超一級と言えるからだ。
 自分のしていることにあまり自信がなく、褒められることに慣れていない控え目な王様である雪人でも外見に関しては程々に慣れてはいた。
 しかし、「……ゆ、雪嶋さん……?」
 手代木に言われると頬がじわじわと熱くなってくるのを感じてどうしようもない。指先がじんわり痺れるような、こそばゆい感覚に囚われてしまう。恥ずかしさがあるのにいつものように顔を隠すことも出来ない。
「あ、あれ?なんか寒い……」
 急激に室温が下がってきたのに気付いて手代木が半袖から覗いている自身の腕を摩る。
 雪人はそれに気付かず、呆けっとしたまま室温を下げ続けた。見る見るうちに床に霜が降りる。
 手代木はまさか雪人が温度を下げているとは思わず、ひたすら不思議そうにしている。くしゃみをしかけた時、「お・ゆ・き!」
「あだっ!」
 後頭部を俄かに衝撃が襲って雪人は我に返った。部屋の氷結は免れる。
「お前、大丈夫か?ここのところ不調じゃないか。熱でもあるんじゃないだろうな」
「熱はないですよ」
 むしろ雪人に熱があったら溶けて消滅する。
 自分でも訳の分からないことだったと雪人が不思議がっていると、神坂が彼の額に手をあてた。
「うん、俺の方が熱い」
「当たり前じゃないですか」
 帰ってくるなりチョップして更に病気を疑うなどと、あんまりだと雪人が呆れていると「……神坂社長と仲がいいですね」
 手代木が少し低く小さい声で言うので、話の途中だったなと思い出した。
「社長はイジメるのが好きなだけなんです」
 ジンジンする後頭部を押さえて神坂を見ている雪人に「好きな子ほどイジメたくなるのって男のサガですよ」
 手代木は苦笑する。
「人間って面白いですね。手代木さんもですか?」
「いえ、俺はうんと優しくしたり甘やかしたい方なんです」
「そうなんですか」
「二人なら、もう大丈夫ですよね。じゃあそろそろ行きます。お茶、美味しかったです」
 行儀よく去っていく手代木を見送っていた雪人の背後で「確かに好きな子には優しくしてるよな」
 不器用だし、ちょっと嫉妬深いけどな、と神坂は密かに笑いを堪えていた。


第四話

 目が眩むくらいの陽射しも小休止なのだろうか、久し振りに涼しいので雪人はお昼ご飯を外で食べることにした。
 スチャラカの日本支部で働き出した時から世話になっている弁当屋は、雪人が知る限り何代か代替わりしているが味は昔も今も変わらない。流石に戦時中は店がやっていなくて淋しい思いもしていたが。
「いただきます」
 手を合わせて誰に言わずとも挨拶をして、マイ箸を構える。
 この幕の内弁当は、いかに効率よく全てをまんべんなく食べることが重要ではないかと雪人は常々思っている。
 今日は季節ではないのに鮭が乗っかっていてバランスが悪いなあと思わず眉を寄せる。
 自分の国では食事を必要としない魔物は、人間の世界で人間らしく生きるために食事が必要な身体になる。大抵のものは面倒くさがるが雪人は楽しんでいた。もっとも、自分で料理をするとかの楽しみまでは百年経ってはいても見い出せてはいない。
「あれ、雪嶋さん」
「手代木さん」
 ここでお昼を摂るつもりだったのだろう、手代木が弁当が入っていると見られる巾着を片手にして近付いてきた。雪人はそっと席を詰める。
「雪嶋さん、幸寿幕の内なんて豪華な昼食ですね。俺なんて手作りですよ」
 弁当を広げる手代木の手元のものは、豪華な幕の内も色褪せるくらい色鮮やかなおかずがいっぱい詰まっていた。
 手代木は独り暮らしだと言っていたので自分で作ったということになるだろうが、一般男子というよりかなり女子力の高い弁当だったのできっと彼女が作ったのだろうと思った。
 最初の時とは違い、彼女が出来たのだろう。蘭林にも靡かなかった手代木の彼女だからきっと美女に違いない。そう思った雪人は、何故か胸がちくんと淋しい痛みを訴えたのでふと摩ってみた。
「どうしたんだろう?」
「食べないんですか?」
「あ、食べます」
 二人でもそもそと食事を採っていると、沈黙が落ちてきて何だか落ち着かない。普段のんびりしている雪人が思うのだから手代木はもっと落ち着かなかったのだろう、急にがっついて食べたと思うと持参していたお茶を一気飲みして、その様子を驚いて見ている雪人を真っ直ぐ見据えた。
 初めて会った時と同じ、真黒な目は今日は何処か熱を孕んでいるように雪人には見えた。
「あの、雪嶋さん。……率直に訊くんですけど好きな人って、いますか」
「好きな人、ですか」
 真剣に訊かれて、雪人も真剣に考えた。
 これまでの経験で好きになった人間はおろか同族もいない。それに、雪人は恋愛という形がなく何処か不安定で、持ち主を狂わせてしまうある意味で魔物より怖い存在をあまり好んではいなかった。それは、自分の母親である先代の王、女王のことが一因しているがそれを手代木に言うわけにはいかなかった。
 言葉を探している雪人に痺れを切らしたのか、手代木は視線を落として手元を見詰め口を開いた。
「好きな人がいるんです」
 その言葉に、雪人は何故か心が揺れた。
「笑われるかも知れないんですけど、一目惚れって言うやつなんです。道で、見かけて」
 どうやら恋の相談らしい。一体いつの間に手代木はここまで自分に心を開いてくれていたのかと雪人は不思議に思ったが、信頼してくれているのだと思って傾聴することにした。
 でも、これまた原因は不明だが胸がざわめき出した。
「見かけた時に何か接点を作らなきゃって思って慌てちゃって、思わず声をかけたんです。自分でも白々しい感じだったんで不審に思われてたらって、今思うと怖いんですけど」
 手代木に声をかけられたら、大抵の女性はにこやかに応じてくれるだろう。何も思うところがなかった雪人ですら、その魅惑的な瞳に魅せられそうな心境に陥った。
「その人、とっても美しい人で、でもそれだけじゃなくて喋ってみるとのんびりしているところや可愛らしいなって思うところもあるんです。謝ってる時とか、なんかにやけちゃうくらい可愛く見えてどうしようもないんです」
 本気ではなかったとはいえ、あの百戦錬磨の蘭林を前にしても動じなかった手代木がにやけるくらいの女性の想像が出来ない。芸能人を想像してみても彼が好みそうなタイプを想像するには雪人にはデータが不足していた。
「その人、好きな人はいないみたいなんです」
「じゃあ告白してみるんですか?」
「……え、あの……、まあ……」
 雪人の当然のような問いに手代木は呆然としているようだった。
「でも、その人、凄く仲がいい人がいるみたいなんですよ……」
「ライバルと言うわけですか」
「……まあ、そうですね……」
「これは昔読んだ小説の受け売りになりますが、そういう時はひたすら自分の存在をアピールして押すべしとありました。ライバルに差をつけるんです」
「結構アピールしてるつもりなんですけど……」
「でも、その人は気付いていないんでしょ?手代木さんは見かけによらず奥手なんですね」
「そうですか……」
 溜息をついた手代木は二本目のお茶をちびちびを飲み出した。
「あの、雪嶋さん」
「なんでしょう」
「雪嶋さんは恋人がいる人間を好きになったりしますか」
「なりませんね。浮気と言うことでしょ。子供っぽいと言われると思いますが僕はそういう不純なものが大嫌いです」
 雪人が断言すると、手代木は少し元気になったように笑って見せた。
「なんか、未だ頑張れそうです」
「お互い、午後の仕事はきついですよね」
「……雪嶋さんって物凄い天然なんですね」
「天然?」
「いや、新たな一面を見れて嬉しいです」
「そうですか」
 何のことだろうと小首を傾げていると、「雪嶋さん!」
「智くん」
 通りかかって声をかけてきたらしい智と視線がぶつかる。
「もう直ぐお昼終わりますよ?一緒に行きません?」
「え、もうそんな時間なの。……手代木さん、済みません」
「気にしないでください。一緒にお昼が出来て嬉しかったです」
 笑いかける手代木に笑みを返して雪人は弁当をしまった。
「あら~、僕ってお邪魔でした?」
「え?全然。手代木さんのお話も終わっていたところだったよ」
「いやいや、あの人は未だ雪嶋さんと一緒にいたかった感じですよ、あれは」
「そうかな。彼女からの手作り弁当をあんなに一気に食べちゃったから暇だったのかもね」
 雪人が納得していると「雪嶋さんって可愛いですよね」
 智が苦笑するので何のことかさっぱり解らない。
「雪嶋さん、その様子だと未だ告白されてないみたいですね」
「だれに?」
「手代木さんに」
 雪人はますます訳が分からなくなった。
「手代木さんには彼女がいるよ?今日ね、凄い豪華なお弁当だったんだから。あれは手作りだった」
「……マジですか?」
 確信を持って伝えると智は信じられないと言いたげな表情になった。それこそが雪人には信じられない。手代木ほどカッコいい男なら当然モテるだろうに。
 しかし、とまたもや解らないことが起きた。
「彼女がいるのに、好きな人がいるってどういうことだろう……」
 恋の相談の時は胸がざわついて深く考えなかったが、思えば手代木の考えが解らない。
 彼女はイコール好きな人ではないのだろうか。
「智くん、社長のこと好きだよね?好きだから恋人なんだよね?普通そうだよね」
「い、いきなりなんですか。……そうですよ」
「だよねえ……」
 手代木は今の彼女から心が移っているのだろうか。一目惚れした彼女に盲目になって、今の彼女を捨てるのだろうか。
「・・・・・・」
 雪人は心が寒くなるのを感じた。
 手代木の相談に体調が変化したような、くすぐったいものではない。深く深く、胸の中にしまい込んだドス黒い感情で掻き乱されそうになる。
「人間ってみんなそんな感じなのかな……」
 一番最初に会った人間のことを思い出した。忘れもしない、簡単に心変りをしたあの男。
 手代木とは似ても似つかないが、彼がそうだったらと思うと心が荒みそうになった。


第五話

 魔物はある年齢になると社会勉強として様々な世界に赴任することになる。それは王と呼ばれる身分でも同じことで、しかしそれが人間の世界に決まった時、雪人は自分の運の悪さに思わず舌打ちしたほどだった。
 雪人、と言うより冬の国の住人は人間にいい思い出がない。
 それは何百年か前に、雪人の母親であった女王が人間に恋をして国と一族、そして雪人と直ぐ下の弟や夫すら捨てて人間の世界に住み着いてしまったからだ。
 人間の作った昔話に、「雪女」というものがある。それの原型になった雪女が雪人の母親だ。
 雪の中で遭難していた男を助け、恋に堕ちた雪女。燃えるような恋情で結ばれた二人は末永く暮らしていくと思っていた。しかし、男は雪女よりも他の女に目が眩み、彼女を捨てた。
 捨てられた悲しみは憎悪となって男を殺し、我に返った雪女もその悲しみから自ら炎の中に身をくべて命を絶った。
 昔話ではどうなっているか雪人は知りたくもなかったが、実際はこういうことだ。
 母親の身勝手な廃位に伴い、異例の弱冠にて王位についた魔力の強い雪人は当初、それでも周囲に文句を漏らすことはなかった。
 自分たちが捨てられたということは確かにショックなことだったが、母親が強固な意思の持ち主であったことは知っていたし、夫である王とは恋愛結婚ではなかったと言うから、初めての恋に情熱を傾けても仕方がないと思っていた。
「幸せになってね」
 何としてでも男と添い遂げると宣言して、周囲の猛反対を押し切って城を出る母親を、雪人は立場上表立っては応援できなかったが、別れ際にそう言って送り出した。
 数年、母親は幸せだったのだろう。長くは続かなかった。
 人間は自分たちに比べると命が儚い。それは解っているし、母親もだからこそ焦っていたのだろう。しかしながらそれが男の心変りで幸せが終わるだなんて誰が予想しただろうか。
 知らせを聞いた時、駆け付けた雪人の前にあったのは、凍死した男の死体と、母親が身をくべた炎の柱だった。
 その時、雪人は初めて見た人間と言う生き物が酷く憎らしいものに見えた。気は弱いが羞恥心以外はあまり起伏のない雪人だったが、暫く国の天候が荒れるくらい、人間について憎悪を持った。
 だから人間の世界で働くことは躊躇われた。
 王は多忙を理由にその職権を駆使して一度だけ拒否権を行使することが出来る。しかし、雪人は使わなかった。
 躊躇われたが、母親が亡くなってからもう何百年も経っていたし、憎む気力すら人間に使いたくはないと思っていたからだ。
 それに、憎らしいがあの男は雪人にとって細やかなプレゼントを遺していた。
 雪人には妹がいる。
 父親との間には雪人と弟しか子供はいなかったが、母親は人間の男との間に女の子の子供をもうけていた。
 二人が悲惨な最期を遂げた後、周囲を見回った雪人が見つけたその小さな命を雪人は魔物の世界へと連れ帰った。
 あの男の子供など、引き千切って捨ててしまえとこれまた周囲の反応は残忍だったが、雪人は半分魔物の血を引いてしまっているその赤子が人間の世界では生きられないことを知っていた。その子に自分の力を分けて、魔物として生きられるようにした。
 可愛いその子は雪人にとって宝物だった。直ぐ下の弟も本来はクールだが、その子にはメロメロである。
 かくして、その子のこともあり人間について興味もわいてきた雪人は人間の世界で働くことになった。
 職種が金融業なので汚い一面ばかりではあったが、親切な人間もいるし、智のように自分たちの本性を知っても全くと言っていいほど動じない凄まじく心の広い人間もいるし、手代木のような気のいい人間もいる。
「ワタシタチの間でも、浮気はそんなに珍しくないでしょ」
 実は向こうに夫が五人いる蘭林は平然とそういうことを言う。
「珍しくないけど、俺は智一筋かな。純愛、最高でしょ」
 神妙に持論を唱える神坂が、向こうにいた時は食っては投げを繰り返したと智にチクる勇気があるものは誰もいない。
「恋人がいるのに他の女に目が行くって言うのは仕方ねえよ。それはオスとして当然だと思うね。少しでも上物がいればぴょんって跳ねる勢いでさ」
「みくりん、それ奥さんの前で言えるんだ?」
「……無理かな」
 勇ましく発言したのにしょぼんとなった御厨はお茶をすする。
「でもそのお友達、未だ浮気がケッテイしてるわけじゃないんでしょ。お雪はそういうの、ビンカンダカラネ」
「ランランが奔放過ぎるんだよ。うちの国は多夫多妻制とかじゃないから」
「……そのお友達、さん?どうして雪嶋さんにそんな相談したんですかね。と言うか、そもそもそれは相談なんですか」
 智が何かを堪えるように肩を震わせて問いかける。
 実は、スチャラカの三時休みに雪人が暇な社員に手代木の名前は伏せてお昼休みでの出来事を相談していたのだ。
 困っている様子で相談してくれたのに、自分はいいアドバイスをあげられなかったと雪人は反省し、自分より上手な社員の面々から意見を訊いている。
 しかし実際は雪人が手代木のことを言っているというのは本人以外には周知の事実だった。
 雪人に近付いてくる人間なんて、手代木しかいないとみんな思っている。彼がモテないわけではない。定期的に行動範囲を変えていても、百年も人間の世界にいれば好意を抱かれても不思議ではない。でも、雪人はあまりそういうことに頓着がなかった。そして彼を覆う神秘的と言ってもいい雰囲気は特攻してこようとする男女の気力を不思議と殺いでいて、今まで彼の関心をこれほど惹いた人間はいなかった。
「相談、だったと思うよ?なんか切羽詰ってた感じだし」
「……雪嶋さんって可愛く鈍いですよね」
「どういう意味?智くん」
「お雪、お前は人間を好きになったりするか?」
 小首を傾げる雪人に遠藤が投げかける。それに対し、雪人はふむと考え、真っ先に何故か手代木の顔が浮かんだ。
 何故、手代木の顔が浮かぶのだろう。爽やかな笑顔が浮かんで胸が苦しくなる。自分を見詰める真っ直ぐな瞳にじりじりと焦がされていくものを感じる。
 低く柔らかな声が自分の名を呼ぶと、何だかきゅんとした。
 しかしその正体が何なのか、雪人は知らず不思議に思うばかりだった。
「お雪?」
「……好きにはならないと思います。智くんがいる前であれなんですけど、僕は人間に好意を抱くことはあっても恋愛感情は持ちませんよ」
 母親の件があって、雪人は恋だの愛だのにはいい印象がない。多分、婚姻は結ぶだろう。しかしそれは人間相手ではないと思う。
「お雪は真面目だからな。まあそういうところも彼には評価が高いんじゃないかな。……お雪。女はともかく、男はどうだ?」
「男の人、ですか……」
 人間の一部とは違い、魔物は同性でも結ばれることがあるのでその辺の認識はかなりゆるい。おまけに問うてきた神坂自身、男の上に人間である智と恋に堕ちているので雪人も否定的ではない。
「愛があれば性別なんて、些細なことですよ。社長が常々言ってることじゃないですか」
「雪嶋さんもその点は人間の僕とはハードルの高さが違いますよね……。まあ、僕も腹を括ってますけど」
「人間が囚われ過ぎなんだよ。まあ、彼も思い切ってる感じだけどいまいち押しがまだ弱いんだよね」
「あ~、あの外見だと押したことってあんまりないんじゃないっすか?普段が入れ食いだから口説くのは苦手そう……」
 遠藤がもっともなことを言うと、「そういう初心な男もクイガイがありそうねえ」
 蘭林が目を輝かせる。
「ランランの毒牙にかかるか、こっちが崩落されるのが早いか」
「賭けるか?……と言ってもランランは一回敗北してるからな」
 御厨がサイコロを振るような仕草をすれば「もう!おじさんの意地悪!今度は失敗しないわよ」
 蘭林が使わなくてもいい色目を御厨に向けて甘い声を出す。
 そこで、雪人は自分の相談があらぬ方向に向かっていることに気付いた。
「あの、みんな。一体何の話になってるの?僕は友達について相談してるんだけど……」
 話題が掴めないと混乱している雪人を見て、一同はうんうんと訳知り顔で頷いた。
「雪嶋さん。鈍いって可愛いけど、あんまりそれだと本当に可哀想だから。察する能力をつけましょう?」
「え?」
「お雪、男同士でも楽しむやり方が知りたかったら俺に言え。ひっそり向こうにアドバイスをしておく」
「何の話ですか、遠藤さん……」
「お雪ちゃんは心底人間が嫌いってわけじゃないんだし、愛があればそこは許容できるよな。俺のかみさんも人間だから、気軽に相談してくれよ」
 御厨に肩を叩かれても、雪人は何が何だか解らなかった。



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